教会日記2020.6.14(カトリック相模原教会「主日のミサ」日曜日) [教会日記]

今日は、カトリック相模原教会(横浜司教区)で、7時からの主日のミサに与ってきました。2月23日(日)にカトリック成城教会の8時30分からの主日のミサに与って以来、約3ヶ月と3週間ぶりの主日のミサとなりました。ミサ自体は2月26日(水)の「灰の水曜日」のミサ以来となります。随分と長い日々をお祈りだけて過ごしてきましたが、やっとミサに与ることができ、イエス・キリストの御体であるご聖体を拝領することができました。神に感謝ですね。

日本全国のカトリック教会は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、3蜜を避けるために2月末からミサの開催を中止してきました。全国といっても地域によって違いはありますが、緊急事態宣言の解除以降は、段階的にミサが開催されるようになりました。今の気持ちは、「やっとミサに与かった!やっとご聖体を拝領した!」という実感でいっぱいです。ちなみに、東京大司教区(東京都と千葉県)の場合は、20日(土)夜の主日のミサから再開となります。

今朝の相模原教会の主日のミサでは、マスクの着用はもちろんのこと、聖堂入口手前で検温、氏名&連絡先電話番号の受付簿記入がありました。聖堂内の席は、ソーシャルディスタンスです。
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ミサでは、第一朗読で「申命記」を朗読担当し、今日の「キリストの聖体」の祭日をお祝いしてお祈りし、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学一年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病気が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。

◯キリストの聖体
日本では「キリストの聖体の祭日」と呼ばれますが、ラテン語の正式名称は「主の至聖なる御体と御血の日」(Dies Sanctissimi Corporis et Sanguinis Domini )です。歴史的には信者の信心から生まれた祭日で、本来は「三位一体の主日(6月7日)」の週の木曜日に祝われますが、日本のようにキリスト者が少ない国では、平日にミサに参加するのが難しいため、木曜日ではなく三位一体の主日直後の日曜日に祝うように教会は配慮しています。この祭日は、聖体を崇める祝日であって、イエス・キリストの人生での特定の出来事を祝うものではありません。この祝日は、最後の晩餐における聖体の秘蹟と結び付けられています。
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チャールズ・ハッドンのことば(第1日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「もしあなたが、自分はクリスチャンだと告白しながら、いまだにこの世的な楽しみに十分な満足を見いだし、それを追い求めているなら、あなたの信仰告白は偽物ということになる。」

チャールズ・ハッドン・スポルジョン(イギリス:1834年~1892年)は、キリスト教プロテスタントのバプテスト派の牧師で、伝道者、説教者です。キリスト教の教団教派を越えて影響を与えた「講壇のプリンス」と呼ばれています。
「この世的な楽しみに十分な満足を見いだし、それを追い求めている。」とありますが、これこそが“誘惑”ですね。これは、生きていく上で楽しんではいけないということではなく、この世的な楽しみに満足を見いだしてそれを追い求めるという誘惑に負けているなら、その人の信仰告白は偽物であると私は解釈します。重要なことは「この世的な楽しみ」ではなく、「来るべき世の平安」であり、私達キリスト者(クリスチャン)が追い求めるのは、「楽しみに十分な満足を見いだす」ことではなく、イエス・キリストの教えである「隣人への愛」の実践ということですね。
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