ラ・ロシュフコーのことば(第3日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「友人に不信を抱くことは、友人に欺かれるよりもっと恥ずべきことである。」

ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世のことは、「ラ・ロシュフコーのことば(第1日目)2020.6.8」をご覧ください。
自分にとって友人又は親友と位置づける人とは、私の場合は、“心を通わせることができる関係にある人”という定義をしています。このような人は“信頼できる人”、つまり信頼関係にある人ということですね。それができないのなら友人とか親友ではなくなってしまいます。「不信を抱く」こと自体、すでに友人ではないのです。それは“自分が相手に対して友人ではない”ということを心の中で宣言しているのと同じです。友人であることを自らが放棄しているのですね。

誤解が生じたり、「もしかして欺かれるのではないか?」「裏切られるのではないか?」と、疑心暗鬼になることは、「信頼」にとって大敵となります。ラ・ロシュフコーは、友人に「不信を抱く」ことは、友人に「欺かれる」よりも恥ずべきことであると述べているとおり、誤解や疑心暗鬼になること自体が、すでに恥ずべきことなのですね。友人や親友に対して不信を抱かないでもすむように、日頃から意思の疎通を図ることが肝要です。常に私の自戒とするところです。
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