ラ・ロシュフコーのことば(第2日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「自分の内に安らぎを見出せない者が、それを外に求めても無駄である。」

ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世のことは、「ラ・ロシュフコーのことば(第1日目)2020.6.8」をご覧ください。
「そりゃそうですよね~!」と言いたくなる言葉です。私の個人的な豊富?な経験上、外に求めても安らぎなど得られません。「自分の内に安ららぎのない人」は、その人の側にいて何か落ち着かない不安げな感じがするものです。反対に「自分の内に安らぎのある人」は、その人の側にいて安心感や信頼感が得られる人のことです。まずは自己の心の平安です。それがあれば、外に対して何も求めるものはありませんよね。

私が若い20歳代のころ、居合道(田宮流剣術)を稽古する毎日で、大学居合道部の監督として、学生諸君と夏は炎天下で、冬は雪の降る中でも稽古着一枚で、“朝鍛夕錬(ちょうたんせきれん)”で稽古をしていました。血気盛んで行動も言動も大胆不敵(だいたんふてき)!、自分にも人に厳しかったですね………今となっては、当時の片鱗(へんりん)もないのですが、というか180度人間が変わったかもしれませんね( ̄◇ ̄;)

そのころ、関東学生居合道大会や全日本学生居合道大会など、学生の大会や自分の社会人の大会などがあり、毎日稽古稽古で心の安まる暇がありませんでした。もちろん仕事もあります。彼女はおらず独り身でしたから………。ですから当時は、その安らぎを求めていろいろと………言えません(; ̄O ̄)秘密です(⌒-⌒; ) 結局は安らぎなど見いだせなかったですね。あのころは心の修行がついていかなかったのですね。
主(神様)の平安が皆様にありますように。

【朝鍛夕錬】
朝な夕なに稽古に励むこと。朝夕鍛錬に励むこと。
【大胆不敵】
度胸があって、恐れを知らないこと。また、そのさま。「大胆不敵な面がまえ」
【片鱗】
①一片のうろこ。②ほんのわずかな部分。一端。 「大器の-をうかがわせる」
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