教会日記2020.6.1(カトリック成城「ロザリオの祈り」月曜日) [教会日記]

今日は、仕事が終わってから帰宅経路途中にある小田急線成城学園前駅で下車し、カトリック成城教会に寄って静寂に包まれたお御堂で「ロザリオの祈り」一環を心静かにお祈りしてきました。ロザリオの祈りの最後に「新型コロナウィルスの感染が拡大しませんように、感染者の皆さんが早く治りますように、不安定となっている人々の心に平安が戻りますように」とお祈りしました。

今日から成城教会の所属になりました。お御堂には、私が崇敬する「絶えざる御助け(おんたすけ)の聖マリア」の大きなご絵が額に入れて飾ってあります。「絶えざる御助けの聖母マリア信心会」の会員としては、大変嬉しいことですね。
お御堂が暗いので細部までよく写っていませんが、とても綺麗なご絵です。
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最後に『新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り』と『聖母の御助け(おんたすけ)を求める祈り』の2つの祈りをお祈りいたしました。祈祷文は、次のアドレスをクリックしてご覧ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2020-06-01
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「教会の母 聖マリア」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

「教会の母聖マリア」
今日6月1日(月)は、「教会の母聖マリア」の記念日です。このブログに昨年掲載した記事を再掲載いたします。聖霊降臨の主日の翌日にあたる月曜日から、教会カレンダーは、復活祭(復活の主の)から聖霊降臨祭(聖霊降臨の主日)までの50日間を終わり、再び「年間」に入ります。年間は必ず34週と決まっているため、聖霊降臨の主日が何日になるかによって、年間の何週から入るかが決まっていきます。今年は、年間第9週となります。その最初の月曜日に教会は、「教会の母聖マリア」を記念します。
昨年、フランシスコ教皇は、2018年、この記念日を一般ローマ暦に加えることを決定しました。教皇は「マリアは、福音を宣べ伝える教会の母です」と言われました。教会の母である聖マリアに、祈る教会の最高の模範である彼女に、キリストに約束された聖霊を祈り求めましょう。

◯ミサ(司式)
☆入祭唱
弟子たちはイエスの母マリアと心を合わせて熱心に祈っていた。
(新約聖書:使徒言行録・第1章・第14節参照)

☆集会祈願
あわれみ深い父である神よ、
十字架につけられた御ひとり子は、
ご自分の母であるおとめ聖マリアを、
わたしたちの母として与えてくださいました。
マリアの愛に助けられ、
あなたの教会が、日々、信じる人々の誕生と成長を喜び、
母としてすべての民の家族を迎え入れることができますように。
聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

☆第一朗読
(旧約聖書:創世記・第3章・第9~第15節、第20節)
「創世記」
〔アダムが木の実を食べた後に、〕主なる神は〔彼〕を呼ばれた。
「どこにいるのか。」
彼は答えた。
「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」
神は言われた。2
「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」
アダムは答えた。
「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」
主なる神は女に向かって言われた。
「何ということをしたのか。」
女は答えた。
「蛇がだましたので、食べてしまいました。」
主なる神は、蛇に向かって言われた。
「このようなことをしたお前は
あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で
呪われるものとなった。
お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。
お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に
わたしは敵意を置く。
彼はお前の頭を砕き
お前は彼のかかとを砕く。」
アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。

または
☆第一朗読
(新約聖書:使徒言行録・第1章・第12~第14節)
「使徒たちの宣教」
〔イエスが天に昇られた後、〕使徒たちは、「オリーブ畑」と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にある。彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。それは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダであった。彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。

☆答唱詩編
(旧約聖書:詩編・第87編・第1節+第2節、第3節+第5節、第6節+第7節)
答唱
神の町シオンよ、お前に示された神のことばはすばらしい。
神はシオンの町をとうとい山の上に建て、
ヤコブのすべての住まいより愛される。
神の町シオンよ、お前に示された神のことばはすばらしい。
シオンはすべての者の母と言われ、すべてを越えるかたに支えられる。
神は民を数えられる時、すべての人をシオンの民に加えられる。
彼らは踊りながら歌う。「シオンはわたしたちの泉。」
(歌う場合じゃ、詩編・第65編・第3節+第4節、第5節、第6節 『典礼聖歌』183)

答唱
われらはシオンで神をたたえ、豊かな恵みを喜び歌う。
祈りを聞いてくださる神、罪に苦しむ人はみな、あなたのもとをたずねる。
罪の重荷にうちひしがれても、あなたはすべてをゆるしてくださる。
あなたの庭に住むように選ばれ、招かれた人はしあわせ。
わたしたちはあふれる恵みに潤される、あなたの家、神殿の中で。
わたしたちの救い、わたしたちの神よ、あなたは地の果ての望み、遠い島々の希望。
わたしたちにこたえて救いを現し、驚くべきしるしを行われる。

☆アレルヤ唱(『典礼聖歌』の年間アレルヤ唱の旋律を用いる)
アレルヤ、アレルヤ。
幸せなかた、主を産んだおとめ、教会の母よ。
あなたはわたしたちのうちにイエス・キリストの霊をはぐくんでくださる。
アレルヤ、アレルヤ。

☆福音朗読
(新約聖書:ヨハネによる福音・第19章・第25~第34節)
「ヨハネによる福音」
〔そのとき、〕イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。
この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。
その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た。そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。

☆奉納祈願
恵み豊かな神よ、
わたしたちのささげものを受け入れ、
救いをもたらす秘跡としてください。
秘跡の力と
教会の母おとめマリアの愛がわたしたちを燃え立たせ、
マリアとともに、あがないのわざにいっそう強く結ばれますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
叙唱聖母マリア三-聖母マリアの生涯-(『ミサ典礼書』608ページ)

☆拝領唱
ガリラヤのカナで婚礼があり、イエスの母がそこにいた。
イエスは最初のしるしを行い、その栄光を現され、
弟子たちはイエスを信じた。
(新約聖書:ヨハネによる福音書・第2章・第1節、第11節参照)
または
十字架につけられたイエスは、愛する弟子に言われた。
「見なさい。あなたの母です。」
(新約聖書:ヨハネによる福音書・第19章・第26~第27節参照)

☆拝領祈願
聖なる神よ、
あがないをもたらすいのちの糧を受けて、心から祈ります。
あなたの教会が、母であるおとめマリアの助けによって、
すべての民に福音を告げ知らせ、
あなたから注がれる聖霊を受けて、全世界に広がりますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
(2018年4月5日日本カトリック司教協議会常任司教委員会承認
ミサ司式は以上です。

ローマ教皇庁典礼秘跡省
◯通 達
「教会の母聖マリア」の記念日について
「教会の母聖マリア」の義務の記念日は、本年の聖霊降臨後の月曜日にすべての人によって祝われなければならないが、この記念日がローマ暦に記入されたことをふまえて、以下の指針を示すことは時宜を得ていると思われる。
『ローマ・ミサ典礼書』の聖霊降臨のミサの式文に続く典礼注記は、次のように述べている。「聖霊降臨後の月曜日もしくは火曜日が、信者にとってミサへの参加が義務もしくは習慣となっているなら、聖霊降臨の主日のミサを繰り返すか、聖霊のためのミサをささげることができる」(『ローマ・ミサ典礼書(規範版)』448 頁)。この典礼注記は現在も有効である。
なぜなら、その祭儀が、「典礼日の優先順位表」(「典礼暦年と典礼暦に関する一般原則」59 参照)によってのみ規制される典礼日間の優先権を損なうことはないからである。同様に、優先権は信心ミサに関する以下の規則によって規制される。「義務の記念日に当たる日、または12 月 16 日までの待降節、1 月 2 日からの降誕節、主の復活の 8 日間後の復活節の週日には、種々の機会のミサと種々の目的のためのミサと信心ミサは原則として禁じられる。しかし、それが真に必要あるいは司牧上有益であるならば、会衆が参加するミサにおいて、教会責任者または司式司祭自身の判断によって、その必要性または有益性に応じるミサを用いることができる」(「ローマ・ミサ典礼書の総則」376)。
それにもかかわらず、その他の点ですべて同等であるなら、「教会の母聖マリア」の義務の記念日を選ぶべきである。記念日の式文は、朗読箇所の指示とともに「教令」に添付されている。これらは、霊的母性の神秘を明らかにするので、固有のものとして保たれなければならない。『ミサの朗読配分(Ordo lectionum Missae)』の改訂版では、第 572 項の 2 の典礼注記は、朗読箇所が固有であること、また、その日が記念日であっても当日の朗読の代わりに採用すべきであることを明確に示すことになるであろう(「朗読聖書の緒言」83参照)。
この記念日が他の記念日と重なる場合には、典礼暦年と典礼暦に関する一般原則に従うべきである(「典礼暦年と典礼暦に関する一般原則」60 参照)。「教会の母聖マリア」の記念日が聖霊降臨と関連づけられていることを考えれば、「聖母のみ心」の記念日が「イエスのみ心」と関連づけられているのと同じように、聖人や福者の記念日と重なる場合には、人々の間の卓越した典礼の伝統に従い、聖母マリアの記念日が優先される。
  典礼秘跡省にて、2018 年 3 月 24 日
  長官 ロベール・サラ枢機卿
  次官 アーサー・ローチ大司教

ローマ教皇庁典礼秘跡省
◯教 令
一般ローマ暦における「教会の母聖マリア」の祭儀について 現代の教会は大きな喜びをもって神の母を崇敬しており、キリストの神秘とその本性に ついて考察するなら、一人の女性(ガラテヤ 4・4 参照)、すなわちキリストの母であると同時 に教会の母でもあるおとめマリアの姿を見過ごすことはできない。
このことはある意味で、聖アウグスティヌスと聖大レオが先駆けて語ったことばを通し て、教会の心の中にすでに残されていた。実際、聖アウグスティヌスは、マリアはキリス トの肢体の母であると述べている。それは、信者が教会のうちに新たに生まれることに、 マリアが愛をもって協力したからである。他方、聖大レオは、頭の誕生はからだの誕生で もあると述べて、マリアは神の子キリストの母であると同時に、神秘体すなわち教会の成 員の母であることを示している。こうした考察は、マリアが神の母であること、そして、 十字架の時に頂点に達したあがない主のわざにマリアが深く一致したことに由来している。
たしかに、母は十字架のもとに立ち(ヨハネ 19・25 参照)、わが子の愛のあかしを受け入れ、 永遠のいのちへと再生する子としてすべての人を最愛の弟子の名のもとに迎えた。こうし て母は、キリストが十字架上で霊をゆだねることによって生まれた教会の優しい母となっ た。さらにキリストは、最愛の弟子のうちに、すべての弟子を母に対する自らの愛の奉仕 者として選んだ。キリストは母をこの人々にゆだね、こうして彼らは孝愛をもって母を迎 えることができたのである。
生まれたばかりの教会の優しい導き手として、マリアは聖霊の到来を待ち望む使徒たち とともに祈り、階上の部屋で自らの使命を果たし始めていた(使徒言行録 1・14 参照)。この 意味で、敬虔なキリスト者は時代の流れの中で、たとえば弟子たちの母、信者の母、信じ る者の母、キリストにおいて新たに生まれるすべての人の母など、さまざまな称号をもっ てマリアをたたえてきた。また、同じように、霊的著作家の文章や教皇ベネディクト 14 世とレオ 13 世の教導職において、「教会の母」という称号も用いられた。
福者教皇パウロ 6 世は、第 2 バチカン公会議第 3 会期の閉会に際し、1964 年 11 月 21 日に、聖なるおとめマリアを「教会の母」と宣言した。「それはマリアが、信徒であれ司牧 者であれマリアを最愛の母と呼ぶすべてのキリスト者の母であるということである」。そし て、「すべてのキリスト者が、最も甘美なこの称号をもって、今後いっそう神の母に敬意を 払い、取り次ぎを願うよう」定めた。
したがって、使徒座はあがないの聖年(1975 年)の機会に、教会の母聖マリアのための 信心ミサを提示し、これはその後『ローマ・ミサ典礼書』に採用された。使徒座はまた、 ロレトの連願にこの称号による嘆願を加えるための権限を付与し(1980 年)、『聖母マリア のミサ集(Collectio missarum de Beata Maria Virgine)』の中で他の式文を公布した(1986 年)。 また、使徒座に申請したいくつかの国、教区、修道家族には、この祭儀を特殊暦に加える ことが許された。 2 教皇フランシスコは、この信心を奨励することが、司牧者と修道者と信者における教会 の母性の感覚の成長とともに真正なマリアへの信心の成長もいかに大きく促進するかを熟 慮して、教会の母聖マリアの記念日を、ローマ暦の聖霊降臨後の月曜日に記載し、毎年祝 わなければならないと命じた。 この祭儀は、キリスト者の生活の成長が、十字架の神秘、聖体の晩餐におけるキリスト の奉献、そしてあがない主の母でありあがなわれた者の母であり、神に自らをささげたお とめであるマリアに固く結ばれていなければならないことを思い起こすために役立つであ ろう。 したがってこの記念日は、すべての暦、ならびにミサの祭儀と時課の典礼の典礼書に記 載されるべきである。関係する典礼式文は本教令に添付され、司教協議会によって準備さ れ認可された翻訳は、本省による認証の後に公表される。 教会の母聖マリアの祭儀が、局地法の規定に従って認可されたより高い典礼上の優先度 をもってすでに特定の日に祝われている場合、将来もその祭儀は同様の方法で祝うことが できる。 以上に反することはすべて退けられる。
  典礼秘跡省にて、2018 年 2 月 11 日、ルルドの聖母の記念日
  長官 ロベール・サラ枢機卿
  次官 アーサー・ローチ大司教

◯「教令」に関する解説
「教会の母」であるマリアの記念日について
ルルドでのおとめマリアの最初の出現から 160 年を記念する 2018 年 2 月 11 日付の「教令」をもって、教皇庁典礼秘跡省は、「教会の母聖マリア」の記念日を一般ローマ暦に加えるよう命じる教皇フランシスコの決定を履行する。「教令」には、ミサと時課の典礼とローマ殉教録のためのラテン語による典礼式文が添付されている。司教協議会は、必要な式文の翻訳を認可し、認証を受けた後、その管轄区域のために典礼書の中で発表する。
新しい祭儀については、「教令」の中で簡潔に説明されている。「教令」は、第 2 バチカン公会議の『教会憲章』第 8 章で説明されているように、「キリストと教会の神秘の中の」マリアの存在について理解が深まり、マリアに対する典礼による崇敬が最終的に成熟したことを思い起こしている。たしかに、1964 年 11 月 21 日にこの教義憲章が発布される際、福者教皇パウロ 6 世が、マリアに「教会の母」という称号を荘厳に与えることを望んだのには正当な理由があった。キリスト者の意識は、二つの千年期という歴史を通して、キリストの弟子たちをさまざまな方法で聖母と分かちがたく結び付ける最終的なきずなをはぐくんできた。福音記者ヨハネは、十字架上で亡くなるイエスについて記すとき、そのようなきずなについてはっきりとあかししている(ヨハネ 19・26-27 参照)。自らの母を弟子たち
に与え、母を弟子たちに与え、「すべてのことが今や成し遂げられたのを知り」、死の間際のイエスは、神秘体である教会のいのちのために「息を引き取られた」。実に、「十字架の上に眠るキリストの脇腹から、このうえない秘跡である全教会が生まれた」(『典礼憲章』5条)のである。
十字架上のイエスの心臓から流れた水と血は、イエスのあがないをもたらす奉献の完全なしるしであり、洗礼と聖体を通して、教会に秘跡的にいのちを与え続けている。あがない主とあがなわれた者とのこのすばらしい交わりは、つねにはぐくまれなければならず、この交わりのうちに、聖マリアはその母として果たすべき使命をもっている。このことは、ヨハネ福音書 19・25-31 で思い起こされ、この箇所は創世記第 3 章と使徒言行録第 1 章からの朗読とともに、すでに示された新しい記念日のミサのために推奨されている。これらの箇所は、1975 年のあがないの聖年を前にして 1973 年に典礼省によって認可された「教会の母聖マリア」という信心ミサに含まれている(Notitiae 1973, pp. 382-383 参照)。
このように、マリアが教会の母であることを典礼の中で記念することは、1975 年の『ローマ・ミサ典礼書』規範版第 2 版の信心ミサの中にすでに採用されている。そして、聖ヨハネ・パウロ 2 世の教皇在位中には、ロレトの連願に「教会の母」という称号を加える可能性が司教協議会に与えられたNotitiae 1980, p. 159 参照)。また、マリア年に際して、典礼省は、『聖母マリアのミサ集(Collectio missarum de Beata Maria Virgine)』の中で、「教会の母であり象徴であるマリア」という表題で信心ミサのための他のミサの式文を発表した。何年か後には、ポーランドやアルゼンチンなどいくつかの国の固有の暦には、「教会の母」の祭儀を聖霊降臨後の月曜日に挿入することも認可された。その他の例として、福者パウロ6 世がこの称号を告知した聖ペトロ大聖堂のような特別な場所や修道会や団体の固有暦の中にこの祭儀が加えられた。
五旬祭に聖霊を待ち望んでいたときから、地上を旅する教会に母としてたえず気遣ってきたマリアの霊的母性の神秘の意義をふまえて、教皇フランシスコは、聖霊降臨後の月曜日に、教会の母であるマリアの記念日が、ローマ典礼様式の全教会で義務として守られることを定めた。聖霊降臨の教会の活力と教会に向けられるマリアの母としての心遣いとの結びつきは明らかである。ミサと聖務日課の式文の中で、使徒言行録 1・12-14 は、世のあがない主であるわが子の十字架のもとで「すべていのちある者の母」となった「新しいエバ」の予型の観点から読まれる創世記 3・9-15、20 と同じように、典礼祭儀に光を投げかけている。
この祭儀が全教会に広がるようにという願いは、すべてのキリストの弟子に次のことを思い起こさせるであろう。すなわち、神の愛によって成長し満たされることを望むなら、わたしたちの生活を三つの偉大な現実、すなわち、十字架と聖体と神の母の上にしっかりと据える必要があるということである。これらは、わたしたちの内的いのちを形づくり、実を結ばせ、聖化し、わたしたちをイエスへと導くために神からこの世界に与えられた三つの神秘である。この三つの神秘は、沈黙のうちに観想されなければならないのである(R.Sarah, The Power of Silence, n. 57 参照)。
典礼秘跡省長官 ロベール・サラ枢機卿
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教会日記2020.6.1(所属教会の移籍) [教会日記]

今日から、所属教会がカトリック町田教会からカトリック成城教会になりました。5月30日に転出・転入手続きを済ませ、今日から成城教会にお世話になることになりました。町田教会は、2011年4月に初めて訪れ、翌年の4月7日には洗礼を授かり、先月の5月末まで約9年お二人の主任司祭(神父様)にお世話になりました。町田教会の皆様に感謝感謝です。

2年前から、身体のこともあって他の教会への移籍を考えていました。仕事、身体や信仰生活上のいろいろなことを検討し、候補として京王線明大前駅から徒歩3分の松原教会も考えたのですが、結果は成城教会になりました。その理由は、まず、①膝の痛みという身体的なことがあります。200mほど歩くと、しばらくは立ち止まって休まなければなりません。町田教会は、小田急線町田駅から普通に歩いて約15分ですが、今は膝の痛みで約25分もかかります。この1年の往路は、ほとんどをタクシーを利用していました。一方の成城教会の場合は、小田急線成城学園前駅から徒歩約2分の近さにあります。

また、②通勤途上にあり、通うにはとても便利なところにあります。そして、なによりも③月曜日から土曜日の朝7時から平日のミサがあり、ご聖体拝領に与れることは、私にとっては信仰生活を充実させるためにも大いに有意義なことです。それから、土曜日の夜の主日のミサも仕事帰りに余裕で与ることがでます。ちなみに、ミサに与ったのは、2018年は町田教会24回、成城教会79回、2019年は町田教会33回、成城教会111回です。以上の理由となりますが、教会が変わっても神様は同じです。今後もお祈りに励み、心機一転より一層充実した信仰生活を送ることができるよう頑張ります!
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教会での祈り [祈り]

6月から教会の聖堂でお祈りするのは、「主の祈り」と「ロザリオの祈り」の他に次の2つのお祈りです。
①『新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り』
「いつくしみ深い神よ、
新型コロナウイルスの感染拡大によって、
今、大きな困難の中にある世界を顧みてください。
病に苦しむ人に必要な医療が施され、
感染の終息に向けて取り組むすべての人、
医療従事者、病者に寄り添う人の健康が守られますように。
亡くなった人が永遠のみ国に迎え入れられ、
尽きることのない安らぎに満たされますように。
不安と混乱に直面しているすべての人に、
支援の手が差し伸べられますように。
希望の源である神よ、
わたしたちが感染拡大を防ぐための犠牲を惜しまず、
世界のすべての人と助け合って、
この危機を乗り越えることができるようお導きください。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
希望と慰めのよりどころである聖マリア、
苦難のうちにあるわたしたちのためにお祈りください。
アーメン」

②『聖母の御助け(おんたすけ)を求める祈り』
「教会の母である聖マリア、
あなたは、「絶えざる御助けの聖母」と呼ばれ、
果てしない信頼を起こさせてくださいます。
いつ、どこにおいても、
私(たち)をお助けくださいますよう、
心から祈り求めます。
特に、困難に出会った時、
病気の時、
誘惑を受けた時、
罪を犯した時、
人生のあらゆるみじめさの中にあって、
ことに臨終の時、私(たち)をお助けください。
幼子のような信頼をもって、
あなたのご慈愛と、
絶えざる御助けをいただくことができますように。
アーメン」
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