今日の日記2019.12.30(映画「ドラキュラ」) [日記]

今日は、BOOKOFFで中古のDVDを購入しました。映画界の巨匠フランシス・F・コッポラ監督の映画「ドラキュラ」です。この映画の分野は「ホラー映画」でストーリーはフィクションですが、歴史上の事実に創作を結びつけた吸血鬼(ドラキュラ)の物語です。1992年のアメリカの映画で、もう28年ほど前になりますね。ただ恐怖だけの映画ではなく、ドラキュラは最後に愛に救われ、神の恩寵によって天に上げられるのです。愛が憎しみや死に打ち勝つのです。

巨匠フランシス・F・コッポラは、アメリカの映画監督で、映画「ゴッドファーザー」や「地獄の黙示録」などで有名ですね。アカデミー監督賞など多くの賞を受賞しています。この「ドラキュラ」には、アカデミー賞主演男優賞俳優のアンソニー・ポプキンスが司祭役とバンヘルシング教授(医師)役で出演し、また、若いころのイケメン俳優キヌア・リーブスが弁護士役で出演しています。
怖がり屋の私としては、一人で観るには怖くてしかたがないのですが( ̄◇ ̄;) 十字架を首から下げ、手持ち用の十字架を側に置いて観ています( ̄▽ ̄;)
536A36EF-A85F-4AE8-A5E5-67980E8E684A.jpeg
◯ドラキュラは、イギリス時代のアイルランド人の作家、ブラム・ストーカーが1897年に発表した恐怖小説『吸血鬼ドラキュラ』に登場する男性の吸血鬼のことです。吸血鬼を表す英語は「ヴァンパイア」です。ドラキュラはルーマニア語で「竜の息子」を意味し、竜は悪魔という意味もあります。小説執筆時は「不死者」という題名でした。
ドラキュラの詳細は、Wikipedia(ウィキベディア)をご覧ください。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A9

nice!(0)  コメント(0) 

「アパレシーダの聖母」と「聖マルチン・デ・ポレス」のお話し [聖人・福者・尊者]

昨日、〈年の瀬ぶらっと教会旅2019〉で静岡県三島市にあるカトリック三島教会を訪問し、主日のミサに与らせていただきました。その際、聖堂内を撮影した(もちろん許可を得ています)のですが、聖母像と神父様像らしきご像も撮影しました。ミサが終わってから、沼津市(カトリック沼津教会)に移動する時間に余裕がなく、ご像のことを聴かないまま三島教会を後にしました。
今日になって調べたら、写真左側は「アパレシーダの聖母」で、右側は「聖マルチン・デ・ポレス」のご像であることが判明しました。ただ、自信はありますが、私が個人的に調べたことですので、ひょっとしたら間違っているかもしれません。もしも、お気づきの点がありましたらコメントをください。
88386560-6EC9-4063-AB11-A242F1DA23F5.jpeg
◯アパレシーダの聖母( Nossa Senhora da Conceição Aparecida)は、ブラジルで信仰されている、サンパウロ州のアパレシーダに現れたとされる聖母マリアです。「アパレシーダ」とは「現れた」という意味です。アパレシーダの聖母に捧げる10月12日は、ブラジルの国民祝日に制定されているほどです。「褐色の聖母」との異名を持っています。
1717年、3人の漁師がパライーバ川で漁をしていましたが不漁でした。その後、投げ入れた網から最初は聖母像の胴体、次に頭部が引き上げられ、再度、網を投げ入れると魚が大漁となりました。漁師の一人が聖母像を家に保管し、家族や近隣の人達が聖母像の前で祈るようになりました。そして、多くの奇跡が伝えられました。 1734年、ロス・コケロス(Los Coqueros) の丘に聖堂が建設され、多数の巡礼者が訪れるようになりました。1834年に、現在は「古いバジリカ」と呼ばれる教会が建設され、1930年、ローマ教皇ピオ11世が「ブラジルの保護者」と宣言しました。1955年、新バジリカの建設が開始され、1980年には、ブラジルを訪問した教皇ヨハネ・パウロ2世によって建設中のバシリカの献堂式が挙行されました。1984年、アパレシーダの聖堂は、ブラジルの聖地として宣言されました。

◯聖マルチン・デ・ポレス(St. Martin de Pores)は、1579 年にペルーのリマにおいてスペイン人貴族の父と黒人の解放奴隷の母との間に生まれました。家族は父から見捨てられ、マルチンの幼い頃は悲惨な貧しさでしたが、後に父ホアン・デ・ポリスは悔い改め、二人の子供たちを引き取って初等教育を授けました。家族はマルチンが12歳の頃、外科医として修業させるため、医者のところに見習いに行かせました。医療技術を学んだマルチンは病者を癒し、慰める生涯の第一歩を踏み出しました。それは、裕福なスペインの人々だけでなく、貧しいインディアンの農夫にいたるまですべての病人を治療し、また、犬猫の動物までも傷の手当てをしました。15 歳でリマのドミニコ会、聖ロザリオ修道院に行き「信徒会員」すなわち「第三会」の奉仕人として受け入れられ、この立場で修道院の最も低い務めに専念しました。貧しい人たちが安心して治療を受けられるようにと、彼は玄関番兼掃除人の役目を引き受けました。院長は彼のうちに誰の目にも明らかな善意と聖性を見出し、助修士として荘厳誓願を立てることを認めました。マルチンは、病人を 扱う術と貧者への愛徳以外にも修道生活における苦行の精神、徹底的な貧しさ、それに並外れた従順において際立っていました。彼は十字架につけられたイエス・キリストに対して深い崇敬心を抱き、贖いの無限 の恵みに対して、何か小さな方法で応えたいと切望していました。1639年11月5日帰天。 1962年5月5日、教皇ヨハネ 23 世により列聖され、アメリカ大陸から出て聖人の列に加えられた最初の黒人となりました。
nice!(0)  コメント(0) 

典礼聖歌集 第305番「やみに住む民は光を見た」のお話し [聖歌日記]

今年の1月4日(金)のカトリック成城教会での初金のミサで、典礼聖歌集の第305番「やみに住む民は光を見た」を初めて歌ってから、私が大好きな聖歌の一つになりました。降誕節に歌われる聖歌ですから、季節限定みたいなところがありますが、一昨日(夜)と昨日の主日のミサで、「入祭の歌」として歌われました。この2日間で4回のミサにあずかりましたから、4回とも全力で歌わさせていただきました!特に最後のところの「神に栄光 人に平和」がいいですね〜!聖歌大好き人間の私には至福の時でした(^O^)
EDC8A9CB-AA00-42DC-B98C-293BA0D8657C.jpeg
FCDA3004-CDF6-4D08-80E8-E39879BFF7C2.jpeg
典礼聖歌集第305番「やみに住む民は光を見た」
「やみに住む 民は光を見た
ダビドの街に 生まれた幼な子
すべての人を 救う恵み
すべての民に およぶ喜び
神に栄光 人に平和

世界よ 神を讃え歌え
神は来られた 告げよ知らせよ
すべての国に その救いを
すべての民に 不思議なわざを
神に栄光 人に平和」
nice!(0)  コメント(0) 

教会日記2019.12.30(カトリック成城教会「主の降誕第6日(平日)のミサ」月曜日) [教会日記]

今朝は、カトリック成城教会での7時からの主の降誕第6日(平日)のミサに与りました。明日は、カトリック八王子教会の7時からの平日のミサにあずかりますので、成城教会は年内最後になります。今年も大変お世話になりました。感謝いたします。昨日の朝の冷え込みほどではありませんが、今日は雨が降って寒くなるそうですよ。今日も清々しい朝を迎えています!

6時50分から「お告げの祈り」をお祈りし、7時からのミサではご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学一年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病気が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
nice!(0)  コメント(0) 

渡辺和子シスターのことば(第5日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「幸せは、自分を忘れて人の幸せのために尽くすところに、生まれるものだと思います。」

渡辺和子シスターのことは、「渡辺和子シスターのことば(第1日目)2019.12.26」をご覧下さい。
この言葉にある「幸せ」という言葉の捉え方しだいで、人によって違いがでてくるかもしれません。しかし、自分の為にではなく、他の人の為に尽くすことによって生まれる「幸せ」は、何よりも尊いものだと思いますし、私も日頃から実感していることです。これは「お互い様」でもあります。この想いがなくては人間社会は成り立ちません。東日本大震災以降、よく「絆(きずな)」という言葉が使われるようになりましたが、この絆こそ、他の人のために尽くすことを根底にしている言葉だと思います。
nice!(0)  コメント(0)