教会日記その二2019.11.30(カトリック町田教会「待降節第一主日」土曜日) [教会日記]

今夜は、私の所属するカトリック町田教会で、待降節第一主日のミサに与りました。ついに待降節に入りました!………ということで、キリスト教カトリック教会においては、「待降節第一主日」から新年を迎えたことになりますから、今日は「新年明けましておめでとうございます。」になります。

今日から祭壇前はプレゼピオになりました。イエス・キリスト生誕のジオラマ(立体模型)です。全世界のカトリック教会は、待降節になると同時にどこの教会もプレゼピオを飾ります。
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18時30分からのミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学一年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病気が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
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教会日記2019.11.30(カトリック成城教会「平日のミサ」土曜日) [教会日記]

今日も出勤前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会の7時からの平日のミサに与りました。今朝も、ものすご〜く寒いですが、清々しい朝を迎えています!

6時50分から「お告げの祈り」をお祈りし、7時からのミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学一年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病気が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
さあ!これから仕事に行ってきます!
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「聖アンデレ使徒」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日11月30日は、「聖アンデレ使徒」の祝日です。このブログの2018年11月30日に掲載した記事を一部加筆・修正して再掲載いたします。イエス・キリストの使徒(弟子)の一人で、ガリラヤのベツサイダの漁師でした。同じ使徒のシモン・ペトロの兄弟です。『マタイによる福音書』及び『マルコによる福音書』によると、兄弟ペトロと共にガリラヤ湖で漁をしていた時に、イエス・キリストに声をかけられて弟子となったことになっていますが、『ヨハネによる福音書』では、兄弟ペトロとアンデレの兄弟はもともと洗礼者ヨハネの弟子だったのですが、イエス・キリストを「神の子羊だ」という洗礼者ヨハネの言葉を聞いてイエス・キリストに従ったことになっています。
伝承によれば、イエス・キリストが昇天された後、ギリシャのパトモスで宣教し、そこで迫害され✕字型の十字架にかけられて殉教したといわれています。アンデレは十字架の刑に処せられる時、「イエス様と同じ十字架では畏れ多いので、十字架を斜めにしてください。」と申し出たそうです。絵画においてもしばしば✕字型の十字架と共に描かれています。
マッティア・プレティ作の「聖アンデレの磔刑」1651年製作・南オーストラリア美術館所蔵
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十二使徒のひとりとして崇敬され、カトリック教会、正教会、聖公会などで聖人とされています。ロシアとルーマニアのほか、スコットランドとギリシャでも守護聖人とされており、アンデレが処刑されたとされる✕字型の十字架は、「アンデレの十字架」と呼ばれ、アンデレを守護聖人とする人物や団体の旗や紋章に採り上げられています。
スコットランドの国旗「聖アンドリュー旗」(セント・アンドリュー・クロス、青地に白)です。今年は特にラグビーワールドカップで有名になりましたからご存知の方は多いのではないでしょうか。
スコットランド旗.png
現在のロシア連邦海軍旗(白地に青)です。日露戦争における日本海海戦時のロシア・バルチック艦隊に掲げられた旗も同じでした。
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教会日記2019.11.29「平日のミサ」金曜日) [教会日記]

今日も出勤前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会の7時からの平日のミサに与りました。今朝はものすごく寒いですね〜( ̄◇ ̄;) でも、私は清々しい朝を迎えています!

6時50分から「お告げの祈り」をお祈りし、7時からのミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学一年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病気が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
さあ!これから仕事です!
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「待降節」、「降誕祭」そして「降誕節」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

このブログに2018年11月26日に掲載した記事を一部加筆して再掲載いたします。
今年も「クリスマス = 降誕祭」の正しい知識を学びましょう!
キリスト教カトリック教会では、イエス・キリストの誕生を祝う日である12月25日を「降誕祭(こうたんさい)」と呼んでいます。一般的には「クリスマス」と呼んでいますね。実は、キリスト教会の新年(1年間)は「待降節(たいこうせつ)」から始まります。待降節とは、11月30日の「聖アンデレの日」に最も近い日曜日から、12月24日(クリスマスイブ)までの約4週間で、最も早い年で11月27日、遅い年でも12月3日に始まります。つまり降誕祭の4つ前の日曜日から、降誕祭を準備する期間に入ります。その期間のことを待降節と呼んでいるのです。

そして、「降誕節(こうたんせつ)」とは、イエス・キリストの降誕(主の降誕:12月25日)の“前晩の祈り”で始まり、イエス・キリストの公現(主の復活)後の主日(1月7日~13日の間の日曜日)の期間のことをいいます。日曜日で必ず終わるので、年によっては日が移動し、長い時は2週間と6日(20日間)、短い時で2週間(14日間)となります。
………ということは、今年の待降節が始まるのは、11月30日に一番近くて12月25日の4つ前の日曜日は12月1日(日)となりますから、クリスマス・ツリー、リースや降誕セット(プレセビオ)などの飾り付けを始める日は12月1日(日)となります。そして「公現(「主の復活」今年は1月5日)後の主日」が1月12日(日)となりますから、飾りなどを片付ける日は1月12日(日)となります。日本では12月25日のクリスマス終了と同時にすぐにお正月の飾り付けとなりますから、信徒ではないご家庭は1月12日まで飾っておくのは難しいですね。
◯まとめ(2019年~2020年)
待降節:12月1日(日)~12月24日(火)
降誕祭:12月25日(水)「主の降誕」
降誕節:12月25日(水)「前晩の祈り」~1月12日(日)

降誕祭は、神のひとり子イエス・キリストの誕生を思い起こす日として古代から祝われてきました。イエス・キリストがいつ生まれたかは聖書には何も記載はありません。12月25日がイエスの誕生の日とする最古の記録は、4世紀のローマの「殉教者帰天日表」です。しかし、昔は地方によって1月6日に祝っていました。ちなみにロシア正教会は、今でも1月はじめにイエス・キリストの降誕を祝います。3月だという説もあります。ではなぜ、クリスマスは、12月25日に祝われるようになったのでしょうか?次の説が、有力であるといわれています。それは、昔むかしローマ帝国内では、太陽崇拝が広く行われていました。ローマ暦では12月25日が冬至で、この日を太陽誕生の祝日として祝っていたそうです。教会はこの祭日を取り入れ、「正義の太陽」であるイエス・キリスト誕生の日として祝うようになったそうです。

さて、日本では、キリスト教を信仰している・していないに関わらず、クリスマス・ツリーとリースくらいの飾り付けはしますが、欧米のカトリック教会やその影響の強い国々では、イエス・キリスト誕生の場面を“人形”で再現します。「ルカによる福音書」では、生まれたばかりのイエス・キリストを布に包んで「飼い葉桶に寝かせた」と書いてあり、これを「飼い葉桶」の意味から、イタリア語で「プレセピオ」、フランス語で「クレッシュ」、ドイツ語で「クリッペ」、英語で「クリブ」、スペイン語で「ベレン」と言います。日本では、一般的に“降誕セット”と呼んでいます。私は、12月1日(日)なんて待ちきれませんので、”せっかち”ではありますが神父様には内緒にし、我が家の“降誕セット(プリセピオ)”は昨夜のうちに飾ってしまいました!今年もやっちゃいました!(⌒-⌒; )
写真は、自宅の自室にあるテーブルの上に飾ったプレセビオです。
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自宅用の多くはミニチュア(写真)で、教会によっては実物大の人形と小屋が仮設されることもあります。写真左の我が家の“降誕セット(プリセピオ)”を説明しますと、左から天使のお告げを聞いてやって来た子羊を抱いた羊飼い、足下には牛と羊、その右側には父親のヨセフ、その右側に天使、天使の前には飼い葉桶、その右側に母親である聖母マリア、その右側に東方の3人の博士(占星術の学者)と載ってきたラクダ(本当は3頭)があります。3人の博士は、黒人、白人、黄色人となっています。
ところで、生まれたばかりの赤ちゃんのイエス・キリストは飼い葉桶にはいません!
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なぜか?そうです!それはまだお生まれになっていないからです!お生まれになる12月24日から25日になってすぐの夜中に飼い葉桶に寝かせます。この習慣は世界共通です。ちなみに、居間に飾るクスマス・ツリーと玄関の扉に飾り付けるリースは、お約束の12月1日(日)に飾ります!
下の写真ですが、お生まれになるまでは、聖母マリア様の御像の前でおやすみです!
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イエス様がお生まれになった場所は、馬小屋が通説となっていますが、このプレセビオには馬はいません。牛とロバはいます。新約聖書の福音書には根拠となる記載はありません。旧約聖書の「イザヤ書」の第1章・第3節に、「牛は飼い主を知り、ロバは主人の飼い葉桶を知っている。しかし、イスラエルは知らず、わたしの民は見分けない。」とあり、ここから採られているのですね。また、欧米の教会では、小屋(日本語では「厩」もしくは「馬小屋」と書きますが、家畜小屋と考えたほうがいいでしょう)としての伝承が通例ですが、キリスト教正教会では洞窟と伝承され、イコンにもそのように描かれています。新約聖書の外典である「ヤコブ原福音書」には洞窟で産まれたと書いてあります。絵画がありますね。

新約聖書の福音書での根拠となる記載は次のとおりです。
◯新約聖書:「マタイによる福音書」第2章・第1~第11節
「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」

◯新約聖書:「ルカによる福音書」第2章・第1~第20節
「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」
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教会日記2019.11.28(カトリック成城教会「平日のミサ」木曜日) [教会日記]

今日は、出勤前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会の7時からの平日のミサに与りました。ここのところ寒い日が続いていますが、今朝も清々しい朝を迎えています!

6時50分から「お告げの祈り」をお祈りし、7時からのミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学一年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病気が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
さあ!これから仕事です!
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松下幸之助のことば(第2日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

「人には燃えることが重要だ。燃えるためには薪が必要である。薪は悩みである。悩みが人を成長させる。」

松下幸之助氏のことは、「松下幸之助のことば(第1日目)2019.11.26」をご覧ください。
生きていく上で、悩みがないということはないですね。誰でも大なり小なり悩みを抱えているものです。精神衛生上、悩みなんか無いほうがいいのですが、松下氏は「悩みが人を成長させる。」と説いておられます。言い方を変えれば、「悩みがないと成長しない(できない)」といことになります。ということは、「悩み」は成長剤ということですね。「悩み」をマイナスに受け取るのではなく、“悩みがあって当たり前、ないと損だ!”とプラスに考えれば少しは気持ちが楽になりそうです。61歳になっても悩み多き青年です(⌒-⌒; )
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私のお薦めキリスト教入門書のご紹介 [キリスト教と読書]

このブログの2017年11月13日と同月22日に掲載した2つの記事を一部修正して再掲載いたします。
私は、日ごろから自分の勉強のための読書の他に、初めてキリスト教(カトリック教会)を教養として知る(又は勉強する)方、キリスト教やカトリック教会に興味のある方にご紹介するための入門書を積極的に読んでいます。入門書といわれるものは今までたくさん読みましたが、今日はその中から2冊の本をご紹介いたします。

①『はじめて出会うキリスト教』
編集:オリエンス宗教研究所
出版:オリエンス宗教研究所
B6判・並製・288頁
価格:1,800円(税別)
※書店で注文しても、amazonで注文しても購入できます。
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読み終えての感想は、………これぞキリスト教(特にカトリック教会)の入門書として最適である!とお薦めする本であることを認証します!
この本の“良さ”は、①聖書(新約聖書・旧約聖書)を一度も読んだことのない方でも理解しやすい内容であること。②15の講座という単元で、テーマごとに読める(理解できる)こと。③単元ごとに信徒ではない方の率直な質問(疑問)とそれに対する丁寧な回答が掲載されていること。④各界で活躍されている方(クリスチャン)の「キリスト教と私」というエッセイ?コラム?が掲載されていること。以上の4点です。
今まで、いろいろとたくさん入門書を読んできましたが、入門書で一番障害となる“聖書を通読しているか?”が、この本にはありません。一度も聖書を読んでなくても理解しやすい内容ですね。キリスト教に興味のある方は、是非ともお読み下さい!

再度ホームページから内容と目次を掲載しておきます。
<内容の紹介>※ホームページから
日本で培われてきた文化や伝統のなかで、イエス・キリストをいかに捉え、キリスト教をどのように理解すればよいのでしょうか。イエスの言葉と生涯をたどりながら、仏教や儒教の言葉、日常的な具体例なども引用しつつ、キリスト教の核心を理解しやすく語りかける内容となっています。初めての方にも馴染みやすい構成となっています。キリスト教と出会った人びとの体験談や、カトリック通信講座に寄せられたさまざまな疑問への回答も紹介する。
<目次>※ホームページから
はじめに
本書をお読みになるにあたって
第1講 おかげさまで
苦しいときの神だのみ/おかげをいただいた話/ふとしたきっかけ/自分を見つめる
【質 問】科学が進歩すれば、宗教は滅びるでしょうか

第2講 最初の呼びかけ
第 一 声/時は満ち、神の国は近づいた/悔い改め/福音を信じなさい
【質 問】他の宗教の人とは結婚できないのでしょうか
●キリスト教とわたし――1
いくつもの出会い 末盛千枝子 (絵本編集者「3.11絵本プロジェクトいわて代表」)

第3講 あなたがたの父 
父/天の父が完全であるように/神を愛しなさい
【質 問】神は、個々の人間の生き方に介入されますか
●キリスト教とわたし――2
信仰・気づき・癒やし 飯嶋正広 (心療内科医)

第4講 幸 い な 人
良い言葉だけでは/幸いな人/実践する人
【質 問】信仰とは、一種の洗脳ではないでしょうか
●キリスト教とわたし――3
すべてのわざには時がある 足立洋子 (料理講師)

第5講 見ても見ず、聞いても聞かず
日のあるうちに/たとえ話/見ても見ず、聞いても聞かず
【質 問】カトリックは、産児制限は本当に許されないのでしょうか
●キリスト教とわたし――4
〝そのひと〟との出会い 木崎さと子 (作家)

第6講 互いに愛し合いなさい
愛と慈悲/互いに愛し合いなさい/愛するということ
【質 問】キリスト教の教えは、とても実践できないと思います
●キリスト教とわたし――5
信仰体験 秋月辰一郎 (元長崎平和推進協会顧問)

第7講 あの人は何者だろう
「わたしを何者だと言うのか」/わたしは命を捨てる/十字架上の死
【質 問】生まれたときから罪びとだ、というのはどういうわけですか
●キリスト教とわたし――6
答えの彼方、彼方の応え 若松英輔 (批評家・随筆家)

第8講 主はよみがえられた
闇から光へ/よみがえりの朝/復活の意義
【質 問】数ある宗教のなかから、一つを選ぶ基準を教えてください
●キリスト教とわたし――7
出会いの神秘 伊藤幸史 (カトリック東京教区司祭)

第9講 いつもあなたと共にいる
峠を越えて/母マリアと共に/助け主なる聖霊/聖霊降臨/いつもあなたと共にいる
【質 問】良心は教育と環境によってでき上がるものではないのですか
●キリスト教とわたし――8
信仰体験 重兼芳子 (作家)

第10講 いのちの泉・祈り
手を合わせて/祈 り/主の祈り/いのちの泉・祈り
【質 問】キリスト教は、規制が多くて堅苦しい感じがしますが
●キリスト教とわたし――9
放蕩むすめ いぬいとみこ(児童文学者)

第11講 キリストの望まれた共同体
社と教会堂/キリストの望まれた共同体/教会の不思議な発展/新しく生きる
【質 問】カトリックは離婚を認めないそうですが、なぜですか
●キリスト教とわたし――10
生きていく意味 滝島恵一郎(実業家・映画製作者)

第12講 日々に新たに
弱い私/痛みをおぼえる/あなたに対して罪を犯しました/日々に新たに
【質 問】神が愛ならば、なぜこの世に苦しみがあるのですか
●キリスト教とわたし――11
不満・不平が募る時 平林国彦 (UNICEF〈国連児童基金〉東アジア・太平洋地域事務所 保健衛生部長)

第13講 いのちのパン
食卓を囲んで/これはわたしの体/ミ サ/旅する教会
【質 問】死ぬ間際に洗礼を受けるのが、いちばん得ではないですか
●キリスト教とわたし――12
カトリック信仰は「からだ」とともに 田畑邦治 (白百合女子大学学長・NPO法人 生と死を考える会理事長)

第14講 私たちのいのち
人生の完成に向かって/老人を敬う/信仰の試金石/病者の塗油/人生の完成点
/死と永遠のいのち
【質 問】宗教は、普通の人には特に必要ないと思いますが

第15講 信仰による新しい価値観
真の自由人/キリストであったら/復しゅう心からの解放/来世はある/苦しいとき
/あなたは愛されている/感謝は恵みを招く
【質 問】「あがない」による救いとは何でしょうか

②『聖書入門―四福音書を読む』
編集:オリエンス宗教研究所
出版:オリエンス宗教研究所
B6判・並製・288頁
価格:1,800円(税別)
※書店で注文しても、amazonで注文しても購入できます。
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前述した『はじめて出会うキリスト教』をご紹介しましたが、第2弾として『聖書入門―四福音書を読む』をご紹介いたします。この本も、聖書をまったく読んでいない方でも理解できる内容となっており、私がお薦めするナンバー1の聖書理解のための入門書です。ただし、新約聖書に収録されている4つの福音書の入門書ということになります。でも、一番大切なイエス様の教えが書いている福音書ですから、これを読めば、一度も聖書を読んだことのない方でも理解が進むこと間違いなしです。

この入門書は、なんと言っても指示された聖書の箇所と説明書きを交互に読み進めるだけで理解できるところが秀逸です。聖書と交互に読みますから、自然と福音書の内容が理解できるようになっています。もう400冊ほどのキリスト教関係の書籍を読んできましたが、この入門書は大いにお奨め・お勧めできる入門書ですね。聖書を読んだことのない方、聖書に興味のある方に絶対に読んでももらいたい一冊です………ということで、この入門書の他に聖書(旧約聖書と新約聖書が一緒になっているもの)をご準備くださいね。

オリエンス宗教研究所のホームページから内容と目次を掲載しておきます。
<内容の紹介>※ホームページからイエス・キリストの言葉と行動は、現代に生きる私たちに何を訴えかけているのか。日本の文化や習慣など、身近なたとえを用いながら平易に解説する、福音書案内の決定版。
<目次>※ホームページから
第1講 新約聖書を開いて
第2講 イエス・キリストの誕生
第3講 キリストの道を準備する
第4講 イエス・キリストの招き
第5講 福音の核心
第6講 あなたは何者ですか
第7講 イエスに出会った人々
第8講 神の国
第9講 神は私たちの父
第10講 祈り
第11講 互いに愛し合いなさい
第12講 受難に向かうイエス
第13講 十字架
第14講 主はよみがえられた
第15講 キリストと共に生きる
以上です。
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松下幸之助のことば(第1日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

「悪い時が過ぎれば、よい時は必ず来る。おしなべて、事を成す人は必ず時の来るのを待つ。あせらずあわてず、静かに時の来るのを待つ。」

松下 幸之助(まつした こうのすけ:1894年~1989年)氏は、実業家で発明家です。皆さんよくご存知ですよね。パナソニック株式会社(旧社名:松下電器産業、松下電器製作所、松下電気器具製作所)を一代で築き上げた創業者(経営者)です。自分と同じく丁稚から身を起こした思想家の石田梅岩に倣い、PHP研究所を設立して倫理教育に乗り出す一方、晩年は松下政経塾を立ち上げ政治家の育成にも意を注きました。知らない人はいないですね。有名な実業家です。ちなみに、クリスチャンではありません。

そうなのですよね~。焦らず、慌てず待つのです。分かっているつもりですが、私にはこれができないのですよね~(⌒-⌒; ) せっかちなのか?自信過剰なのか?成果の達成度は考えはしますが、あまり期待できそうでなくてもすぐ行動してしまうのです。最も私が自戒しなければならない言葉です。
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「聖カタリナ」のお話し [聖人・福者・尊者]

このブログの2017年11月25日に掲載した記事を再掲載いたします。
今日は、聖カタリナの祝日です。昨年に引き続き掲載いたします。カタリナ(287年~305年)は、エジプトのアレキサンドリアの貴族の家に生まれたことから「アレキサンドリアのカタリナ」とも呼ばれています。キリスト教の聖人で殉教者です。カトリック教会では伝統的に「十四救難聖人の一人とされており、ジャンヌ・ダルクと話したとされる聖人の一人です。

カタリナは、ある時、一人の隠修士からキリストの教えを聞き、直ちに洗礼を受けたといわれています。カタリナが18歳の時、ローマ皇帝マキシミヌスは、市民たちに偶像崇拝を命じ、従わない者は処罰することを公布しましたが、カタリナは、公に信仰を表わしたので、皇帝は50人の学者を集め、彼女を屈服させようとしました。
ところが、学者たちは彼女に感化されて、キリスト教こそ真の宗教であると公言して改宗してしまいました。憤慨した皇帝は学者全員を処刑しましたが、カタリナに対しては、その学識の豊かさと美しさに心をひかれていたので、彼女が信仰を捨てれば皇后にするとまで言いました。しかし、彼女が拒否したので皇帝は怒り、彼女を車輪に縛りつけて身を引き裂くという刑を執行するよう命じました。
その時、カタリナが目を天に向けて祈ると、「わたしの許に来なさい、愛しい妻よ。見なさい。天国の門はあなたに対して開かれている。あなたの殉教をほめたたえる者に、わたしは天国の慰めを約束しよう。」という声が天から聞こえてきたそうです。それでも彼女が命を落とさなかったため、最後は、斬首されました。彼女の遺体は、天使によってシナイ山に運ばれたと伝えられています。

画名は《アレクサンドリアの聖カタリナ》です。画家のミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオによって描かれた作品です。制作年は1598年ごろ。処刑された時に使われれた車輪や剣が画かれています。
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カタリナを敬う習慣は、8世紀ごろに東方教会から西方教会に伝わり、10世紀にはイタリアを中心に広まりました。釘を打った車輪と、イエス・キリストとの婚約指輪、剣などを持った姿で描かれている絵画が多いですね。若い女性、学者、弁護士などの守護の聖人とされています。
東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世(483~565)は、カタリナの遺体が天使によって運ばれたとされるシナイ山に聖カタリナ修道院を設立しました。シナイ山の聖カタリナ修道院は現在も機能している世界最古の修道院で、写本やイコンなどキリスト教美術の宝庫として知られています。
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