教会日記2019.12.24(カトリック町田教会「主の降誕夜半のミサ」火曜日) [教会日記]

今日は仕事が終わってから、私の所属する町田教会の19時30分(第2回目)からの「主の降誕夜半のミサ」に与りました。この後、22時(第3回目、ちなみに第1回目は17時から)が行われます。すごかったですね〜超満員でした。信徒ではない方もたくさんいらしたようですね。
ついに、待ちに待ったイエス・キリストの降誕(誕生)です!今夜の教会での挨拶は「こんばんは」ではなく、「おめでとうございます!」です。イエス様は、24日の夜半から25日にかけてお生まれになったことになっています。ここで、毎年、主の降誕夜半のミサでの福音朗読となっている、新約聖書の「ルカによる福音書」からイエス・キリスト誕生の場面を画いた箇所を掲載します。

◯新約聖書:ルカによる福音書・第2章・第1~第20節
「そのころ、皇帝アウグストゥスによって、全世界の住民に登録をせよとの勅令が発布された。この登録は、キリニウスがシリア州の総督であった時に行われた、最初のものであった。人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰っていった。
ダビデ家とその血筋に属していたヨセフも、すでに身籠もっていたいいなずけのマリアを伴って、登録のために、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
ところが、二人がそこにいる間に、出産の日が満ちて、マリアは男の子を産んだ。そして、その子を産着にくるみ、飼い葉桶に寝かせた。宿屋には、彼らのために場所がなかったからである。
さて、その地方では、羊飼いたちが野宿をして、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の使いが羊飼いたちのそばに立ち、主の栄光が彼らの周りを照らし出したので、彼らはひどく恐れた。み使いは言った。「恐れることはない。わたしは、民全体に及ぶ、大きな喜びの訪れを、あなた方に告げる。今日、ダビデの町に、あなた方のために、救い主がお生まれになった。この方こそ、主メシアである。あなた方は、産着にくるまれて、飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見出すであろう。これが徴である」。すると突然、み使いに天の大軍が加わり、神を賛美した。

「いと高き天には、神に栄光、地には、み心にかなう人に平和」

み使いたちが離れて天に去ると、羊飼いたちは語りあった。「さあ、ベツレヘムへ行って、主が知らせてくださった、その出来事を見て来よう」。そして、彼は急いで行き、マリアとヨセフ、そして飼い葉桶に寝ている乳飲み子を捜しあてた。それを見た羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを、人々に知らせた。羊飼いたちが語ったことを聞いた人々はみな不思議に思った。しかし、マリアはこれらのことをことごとく心に留め、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことが、ことごとく告げられたとおりだったので、神をほめたたえ、賛美しながら帰っていった。」

ベツレヘムの宿屋は、どこも満員で泊る場所がなかったので、夫のヨセフと妻のマリアの夫婦は、馬小屋(家畜小屋のこと・一説には洞窟とも)で夜を明かすことになりました。しかし、妻のマリアは月が満ちて不安のなかで初めての子を産み、布に包んで飼い葉桶に寝かせました。寝ているその子を夫のヨセフが心配そうに見守っていたころ、羊飼い達は野宿をしながら夜通し羊の群れの番をしていました。暗闇に目を凝らしながら、外敵から羊の群れを守っている彼らには、町の賑わいも温かな団欒(だんらん)も縁遠いものでした。
仕事の都合上、律法で定められている戒めを守るのも大変だった羊飼い達は、罪深い者と見なされて裁判での証言も許されませんでした。安心して生活する場所もなかった人達だったのです。そのような羊飼い達に、その夜、主(しゅ)のみ使いが近づき、主の栄光があたりを照らしました。羊飼いに“主のみ使い”を通して、神様が近づいて来て下さったのです。荒野(あれの)をさすらい、故郷といえるところも安住の地もない孤独な羊飼い達に、神様が近づき、喜びの言葉が告げられたのでした。それが……、

「今日、ダビデの町に、あなた方のために、救い主がお生まれになった!」

というメッセージです。この言葉に羊飼い達は非常に驚き恐れます。そんな羊飼い達に天使は、「恐れるな」と告げ、繰り返し「あなたがたのために」、そして「あなたがたへ」と強調します。それは、この出来事が他の誰でもなく、羊飼い達のように罪深い者とされて虐げられ、いつも不安な生活を強いられている弱い立場の人達に告げられた神様の出来事だったからですね。
み使いをとおして神様が伝えたいのは「平和・平安」です。民全体に神様がお与えになりたいのは、「大きな喜び」です。暗闇ではなく光、絶望ではなく希望、そして赦しです。それを神様は、イエス・キリストをとおして羊飼い達からすべての人達にお与えになりたいのですね。羊飼い達は、この「不思議な出来事」を知らせてくれたみ使いに、天の大群が加わって神を讃美する歌声を聴きいたのです。それが……、

「いと高き天には、神に栄光、地には、み心にかなう人に平和」

天の大軍が自分たちに向けて「み心にかなう人」と力強く声高らかに歌うのを聴いて、羊飼い達はどんなに嬉しかったことでしょうか。どんなに慰められたことでしょうか。羊飼い達は、この時、初めて「あなたがたは罪人ではなく神さまのみ心にかなっているのですよ。」と言われたのです。神様は、はっきりと「み心にかなう人である」と言い切って受け入れて下さっているのです。
この言葉は、主イエス・キリストがお生まれになって以来、2000年の時を越えて、現在に至るまで、すべて人間に告げられている神さまの宣言なのです。ですから、降誕祭(こうたんさい:クリスマス・25日)は、最高に喜ばしい最高に嬉しいことなのですね。イエス・キリストはこの恵みと祝福をすべての人間にお与え下さるためにお生まれになり、それに生涯をささげられたのです。
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松下幸之助のことば(第3日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

「アイデアを生むと言っても、口先だけでは生まれない。これもやはり熱心であること。寝てもさめても一事に没頭するほどの熱心さから、思いもかけぬ、よき知恵が授かる。」

松下幸之助氏のことは、「松下幸之助のことば(第1日目)2019.11.26」をご覧ください。このブログは、12月に入って「クリスマス特集」になったものですから、「松下幸之助のことば」が中断されていましたが、今日から再開いたしました。
【熱心】とは、「その事に心を打ち込んでいること。」と辞書にあります。一生懸命にやっているだけではダメなのです。“心を打ち込むこと”が大切なのですね。真面目に謙虚にやりたいものです。そうすれば自ずから道は開けてくるのです。松下氏の著書を読んでいると、この「熱心」という言葉が度々出てきます。それほど大切な言葉なのですね。
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