教会日記2019.12.12(カトリック成城教会「平日のミサ」木曜日) [教会日記]

今日は、出勤前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会の7時からの平日のミサに与りました。やはり朝は冷えてますね~ 。でも、お昼は暖かくなるそうですよ。今日も清々しい朝を迎えています!

6時50分から「お告げの祈り」をお祈りし、7時からのミサでは「グアダルーペの聖母」の任意の祝日をお祝いし、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学一年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病気が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
さあ!これから仕事に行ってきます!
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「グアダルーペの聖母」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

このブログの2018年12月12日に掲載した記事を一部加筆して再掲載いたします。
今日(12月12日)は、カトリック教会では「グアダルーペの聖母」の任意の祝日です。
グアダルーペ(グアダルペ)の聖母は、カトリック教会が公認している聖母のご出現の一つであり、メキシコで最も敬愛されている宗教的シンボルとなっています。
1531年12月9日、メキシコ・グアダルーペのインディオ、フアン・ディエゴの前に聖母マリア様が現れました。聖母は、ディエゴに聖母の大聖堂を建設する願いを司教に伝えるよう求めましたが、ディエゴは病気の親類ために、助けを求めに行こうとしていたため、話しかけてくる聖母を振り切って先を急ごうとしました。すると、聖母は彼の行く手を阻み、親類の治癒を告げました。ディエゴが家に戻った時、病気だった親類は癒されていました。聖母は、司教へご自分の徴(しるし)として、花を持っていくように言われ、ディエゴは花をマントに包み司教のいる司教館に運んだところ、ディエゴのマントには聖母の姿が映し出されていました。
グアダルーペの聖母.jpg
フアン・ディエゴは2002年に列聖され、彼が聖母と出会った場所であるメキシコ市近郊のテペヤク(テペヤック)の丘には大きなグアダルーペ寺院が建てられました。1537年にローマ教皇パウルス3世は、インディオは理性ある人間として扱われるべきという回勅を発し、植民地におけるインディオへの迫害を禁じました。また、16世紀末頃から17世紀の初めには、聖母によって重病人が回復する奇蹟がたびたび起こり、聖母への信仰はどんどん強まっていきました。そして17世紀には、この「褐色の肌の聖母」はあらゆる階層の人々の信仰を集めていったのでした。聖母はメキシコの民族主義の象徴ともなっており、メキシコ独立革命の指導者ミゲル・イダルゴの蜂起の宣言(ドロレスの叫び)では、「聖母万歳」と唱えられていますし、メキシコ革命の指導者の一人であるエミリアーノ・サパタの軍隊は、聖母の像を帽子につけていました。1754年、グアダルペの聖母マリアは、教皇ベネディクト14世によってメキシコの保護者とされ、12月12日にその祝日が定められました。

グアダルーペの聖母のご像です。背後の光線の部分は、仏像の「光背(こうはい)」に似ていますね。
グアダルーペの聖母.png
奈良の大仏様です!金色に輝く背光がありますね。
奈良の大仏様.jpg

【インディオ】
スペイン語、ポルトガル語で中南米諸国のアメリカ先住民をさしていう名称。英語ではインディアンです。
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