「アパレシーダの聖母」と「聖マルチン・デ・ポレス」のお話し [聖人・福者・尊者]

昨日、〈年の瀬ぶらっと教会旅2019〉で静岡県三島市にあるカトリック三島教会を訪問し、主日のミサに与らせていただきました。その際、聖堂内を撮影した(もちろん許可を得ています)のですが、聖母像と神父様像らしきご像も撮影しました。ミサが終わってから、沼津市(カトリック沼津教会)に移動する時間に余裕がなく、ご像のことを聴かないまま三島教会を後にしました。
今日になって調べたら、写真左側は「アパレシーダの聖母」で、右側は「聖マルチン・デ・ポレス」のご像であることが判明しました。ただ、自信はありますが、私が個人的に調べたことですので、ひょっとしたら間違っているかもしれません。もしも、お気づきの点がありましたらコメントをください。
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◯アパレシーダの聖母( Nossa Senhora da Conceição Aparecida)は、ブラジルで信仰されている、サンパウロ州のアパレシーダに現れたとされる聖母マリアです。「アパレシーダ」とは「現れた」という意味です。アパレシーダの聖母に捧げる10月12日は、ブラジルの国民祝日に制定されているほどです。「褐色の聖母」との異名を持っています。
1717年、3人の漁師がパライーバ川で漁をしていましたが不漁でした。その後、投げ入れた網から最初は聖母像の胴体、次に頭部が引き上げられ、再度、網を投げ入れると魚が大漁となりました。漁師の一人が聖母像を家に保管し、家族や近隣の人達が聖母像の前で祈るようになりました。そして、多くの奇跡が伝えられました。 1734年、ロス・コケロス(Los Coqueros) の丘に聖堂が建設され、多数の巡礼者が訪れるようになりました。1834年に、現在は「古いバジリカ」と呼ばれる教会が建設され、1930年、ローマ教皇ピオ11世が「ブラジルの保護者」と宣言しました。1955年、新バジリカの建設が開始され、1980年には、ブラジルを訪問した教皇ヨハネ・パウロ2世によって建設中のバシリカの献堂式が挙行されました。1984年、アパレシーダの聖堂は、ブラジルの聖地として宣言されました。

◯聖マルチン・デ・ポレス(St. Martin de Pores)は、1579 年にペルーのリマにおいてスペイン人貴族の父と黒人の解放奴隷の母との間に生まれました。家族は父から見捨てられ、マルチンの幼い頃は悲惨な貧しさでしたが、後に父ホアン・デ・ポリスは悔い改め、二人の子供たちを引き取って初等教育を授けました。家族はマルチンが12歳の頃、外科医として修業させるため、医者のところに見習いに行かせました。医療技術を学んだマルチンは病者を癒し、慰める生涯の第一歩を踏み出しました。それは、裕福なスペインの人々だけでなく、貧しいインディアンの農夫にいたるまですべての病人を治療し、また、犬猫の動物までも傷の手当てをしました。15 歳でリマのドミニコ会、聖ロザリオ修道院に行き「信徒会員」すなわち「第三会」の奉仕人として受け入れられ、この立場で修道院の最も低い務めに専念しました。貧しい人たちが安心して治療を受けられるようにと、彼は玄関番兼掃除人の役目を引き受けました。院長は彼のうちに誰の目にも明らかな善意と聖性を見出し、助修士として荘厳誓願を立てることを認めました。マルチンは、病人を 扱う術と貧者への愛徳以外にも修道生活における苦行の精神、徹底的な貧しさ、それに並外れた従順において際立っていました。彼は十字架につけられたイエス・キリストに対して深い崇敬心を抱き、贖いの無限 の恵みに対して、何か小さな方法で応えたいと切望していました。1639年11月5日帰天。 1962年5月5日、教皇ヨハネ 23 世により列聖され、アメリカ大陸から出て聖人の列に加えられた最初の黒人となりました。
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