今日の日記その三2024.2.9(大指揮者 小澤征爾氏ご逝去) [日記]

世界最高峰の大指揮者である小澤征爾氏が、2月6日(水)にご逝去されました。享年88歳でした。私が大学一年生の時に、小田急線成城学園前駅に停車していた電車の中で、サインをいただいたことがあります。友人と「あっ!あの人は小澤征爾じゃないか?」.「いや、小澤征爾は大指揮者なんだよ。電車なんかに乗るわけないよ。」と話していたら、どうも会話が聞こえたらしく「あんがい本人かもしれないよ〜。」と笑顔で話され、サインをいただいたのでした。真っ赤なカーネーションかバラの花を一輪お持ちでしたから、母の日ではなかったかと思います。当時(昭和53年)東京に出てきたばかりで、超有名人にお会いしたのが初めてで、大感激しましたからよく覚えています。小澤征爾先生の永遠の安息をお祈りいたします。

小澤氏は、1935年に中国・瀋陽(旧奉天)生まれました。ピアノに才能を示しましたが、ラグビーで指を痛めたため指揮に転向。高校時代に作曲家の山本直純、名チェリストでもあった斎藤秀雄のもとで指揮の勉強を始めました。桐朋学園短大を経て59年に渡欧し、仏ブザンソン国際指揮者コンクールで日本人初の優勝を果たしました。
カラヤンに弟子入りし、61年にはバーンスタインにも才能を認められ、ニューヨーク・フィルの副指揮者に就任、ウィーン・フィルやベルリン・フィルなど世界の名門楽団と共演を重ねました。武満徹が和楽器とオーケストラの融合に挑んだ「ノヴェンバー・ステップス」の67年のニューヨーク初演は世界的な話題となりました。
サンフランシスコ交響楽団、カナダのトロント交響楽団を経て、70年、米タングルウッド音楽祭の芸術監督となり、73年から29年間、ボストン交響楽団の音楽監督を務めました。2002~10年にはオペラの最高峰であるウィーン国立歌劇場の音楽監督を務め、02年には日本人指揮者で初めてウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートに登壇しました。
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今日の日記その二2024.2.9(焼そば!) [日記]

カトリック麹町・聖イグナチオ教会で、18時からの年間第五金曜日のミサが終わってから、JR中央線八王子駅経由で帰るところ手前の立川駅で途中下車し、駅構内にある焼そば屋でミックスソバにオムレツをトッピングしていただきました!これは美味い!ソースが濃すぎず、丁度いい味付けになっています!
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今日の日記2024.2.9(モーニング!) [日記]

ミサが終わって、久しぶりに成城学園前駅近くの上島珈琲店でモーニングです!このトーストが美味いのです!
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教会日記2024.2.9(カトリック成城・聖タデオ教会「年間第五金曜日のミサ」金曜日) [教会日記]

今朝は、カトリック成城・聖タデオ教会で、7時からの「年間第五金曜日のミサ」に与りました。今日と明日の2日間は、お世話になった諸先生・諸先輩方に今までのお礼と3月の定年退職のご挨拶回りをするため、仕事はお休みをいただきました。今日は、これから午前中は多摩地域を回り、終わってから後を託す方を昼食にお招きし、その後は都心でご挨拶回りをします。
カウントダウン:定年退職(3月31日)まで、あと50日です!

ミサでは、先唱奉仕を務めました。また、能登半島地震でお亡くなりになられた方の永遠の安息と被災された皆さんに主の平安とお恵みがありますようお祈りし、被災地が一刻も早く復興できますようにとお祈りいたしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
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「聖アポロニア」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日2月9日は、「聖アポロニア(生年不詳~249年)」の祝日です。なお、典礼歴にはありません。
聖アポロニアは、ローマ帝国時代のアレクサンドリアで殉教したキリスト教徒です。アレクサンドリアで殉教したため、「アレクサンドリアのアポロニア」とも呼ばれています。カトリック教会、東方正教会、コプト正教会で聖人とされています。
◯写真の絵は、17世紀フランドルの画家ヤーコブ・ヨルダーンスの手がけた宗教画のひとつ「聖アポロニアの殉教」です。アントウェルペンのアウグスティノ修道参事会の依頼により同会の祭壇画として制作されました。逸話で有名な聖アポロニアの抜歯の場面です。抜歯される聖女アポロニアは痛々しい姿ながら胸の前で腕を交差させ、天上を見上げ聖母マリアの降臨(聖母マリア様がアポロニアの魂を迎えにきたのですね。)を幻視しています。また抜歯するアレクサンドリアの暴徒や異教の神像を指差す異教の祭司、画面下部で火刑の炎を熾す暴徒などが画かれています。
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言い伝えによると、彼女は歯を全て乱暴に引き抜かれたか、粉々にされるという拷問を受けたということです。このために、歯科学や歯痛を患う者、歯に関する問題のあるすべての人の守護聖人として崇敬されています。多くの絵は、歯を引き抜くための“はさみ(又は「歯」)”を手にした姿で描かれている場合が多いです。歯が痛い時は、聖アポロニア様にお祈りしましよう!それと、歯科医院が苦手な人も!お祈りしてくださいね。

当時アポロニアは、教会内の協力者を務め非常に尊敬されました。アレクサンドリア市で異教の偶像を破壊したことから捕らえられ、柱に繋がれ歯を抜かれる(又は殴られて歯が折れたとされる)などの暴行を受けた後、市外で火刑に処されました。一説では改宗しないと火刑にすると脅されるも自ら炎の中へ飛び込んだそうです。この悲惨な話しは、ヤコブス・デ・ウォラギネの著した「黄金伝説(1260年頃)」により広まりました。
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