教会日記その二2024.2.19(カトリック麹町・聖イグナチオ教会「赦しの秘跡・四旬節第一月曜日のミサ」月曜日) [教会日記]

今夜は、仕事が終わってから四ツ谷にある整体院に行く前に、「赦しの秘跡」を授けていただくためにカトリック麹町・聖イグナチオ教会に行ってきました。18時からの「四旬節第月曜日のミサ」に間に合いましたからミサも与りました。「赦しの秘跡」では、今まで自分が犯した罪を認め、聴罪司祭に告解(こっかい:罪の告白)し、神様からお赦しをいただきました。前回「赦しの秘跡」を授けてもらったのは、昨年の四旬節の2月25日以来ですから約1年ぶりとなりました。
「赦しの秘跡」については、このブログの2月18日に掲載した「新約聖書:ヨハネの手紙 一・第1章・第9節」をご覧ください。アドレスは次のとおりです。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2024-02-18
◯順番待ちしている待機席からミサの様子を撮影しました。人が少なかったですね。
IMG_6510.jpeg
ミサは、「赦しの秘跡」を順番待ちしている待機席から司式に加わり、どうにかご聖体拝領には間に合いました(⌒-⌒; )
ミサでは、能登半島地震でお亡くなりになられた方の永遠の安息と被災された皆さんに主の平安とお恵みがありますようお祈りし、被災地が一刻も早く復興できますようにとお祈りいたしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
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教会日記2024.2.19(カトリック成城・聖タデオ教会「四旬節第一月曜日のミサ」月曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会で7時からの「四旬節第一月曜日のミサ」に与りました。
カウントダウン:定年退職(3月31日)まで、あと42日です!
今夜は、仕事が終わってから、カトリック麹町・聖タデオ教会で、今までの罪を告解して「赦しの秘跡」を授けていただく予定です。前回の告解から犯した罪をお赦しいただき、四旬節を清らかな心でお祈りに励みたいと思います。

ミサでは、朗読奉仕を務めました。また、能登半島地震でお亡くなりになられた方の永遠の安息と被災された皆さんに主の平安とお恵みがありますようお祈りし、被災地が一刻も早く復興できますようにとお祈りいたしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
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新約聖書:マタイによる福音書・第7章・第7〜第11節 [聖書]

「求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば見出す。たたきなさい。そうすれば開かれる。誰でも求める者は手に入れ、探す者は見出し、たたく者には開かれる。あなた方のうちに、子供がパンを求めているのに、石を与える者がいるだろうか。あるいは、魚を求めているのに、蛇を与える者がいるだろうか。あなたがたは悪い者であっても、自分の子供たちに、善い物を与えることを知っている。まして、天におられるあなた方の天の父が、ご自分に求める者に、善い物を与えてくださらないことがあるだろうか。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

今日のこの聖句(イエス・キリストの言葉)は、「山上の説教」という副題のついているところの一部分です。一般的には「山上の垂訓(さんじょうのすいくん)」として有名な箇所ですね。これは、新約聖書のマタイによる福音書・第5章から第7章とルカによる福音書・第6章に記載のある、イエス・キリストが、山の上で使徒(弟子)たちと群集に語った教えのことです。是非とも第7章全体をお読みください。

この「求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば見出す。たたきなさい。そうすれば開かれる。」は聖書の中でも有名な箇所です。しかし、イエス・キリストの教えの主要部分は、最後にある「まして、天におられるあなた方の天の父が、ご自分に求める者に、善い物を与えてくださらないことがあるだろうか。」に集約されています。天の父とは、イエス・キリストの父である神様のことです。

イエス・キリストは、実は「求めつづけなさい、探しつづけなさい、たたき続けなさ」と“ 続けなさい ” と説かれているのです。私たちが祈り求めるものは、「ください。」とお祈りして、「はい、あげますよ。」という簡単なものではないですね。そのようなものなら、最初から祈り求めなくてもいいわけです。私たち人間が簡単に与えてもらえないものだからこそ、諦めずに求め続けなさいと説いているのです。

では、イエス・キリストは、私たちに対して何を求め、何を探し、何をたたきなさいと説いているのでしょうか。それは、「神のみ旨・み心(神の教え・お考え)」です。神のみ旨・み心を求め、神のみ旨・み心を探し、神のみ旨・み心をたたきなさいと説いておられるのです。目の前にあるような物質的な物欲的なご利益的なものではなく、み旨・み心に叶うことを求め、探し、たたきなさいということです。そうすれば「天におられるあなた方の天の父が、ご自分に求める者に、善い物を与えてくださらないことがあるだろうか。」と私たちに問いかけているのです。

そして、聖書に書かれている「種を蒔く人のたとえ」の教えを引用し、それを応用して書きますが、神のみ旨・み心を知り聞くだけの人の蒔く種は、道端に蒔かれた種と同じで、芽を出す前に人に踏みつけられ、鳥に食べられてしまいます。み旨・み心を求め探す人が蒔く種は、良い土地に落ちて芽を出し百倍の実を結びます。キリスト者の信仰は、神のみ旨・み心を知って聞いて信じることだけでなく、神のみ旨・み心を行うこと、実践すること。その“善き行い”が伴なって初めて信仰と言えるのです。これがキリスト者として非常に重要なことであると確信しています。

最後に、この聖句はイエス・キリストが「祈り求める大切さ」も説いると解釈します。祈りは、粘り強く諦めずに継続しなけなければなりませんが、そうしたからといって必ずしも私たちの願いがすべて成就するわけではありません。しかし、真剣に祈り続けるなら、祈る人自身の心が次第に良い方向に向かって変えられて行くのです。この聖句は、ある意味で祈りの勧めである以上に、イエス・キリストの父である神様の寛大な愛を示しているように感じます。

使徒である聖パウロは、新約聖書のローマへの信徒への手紙・第5章・第3~第5節で「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」と記しています。忍耐こそが希望への光となるのです。祈りも同じだと思います。忍耐を持って祈り続けるのです。そうすれば、希望の光であるイエス・キイストの父である神様が、必ずや聴き留めて報いてくださるのです。これを信じて祈りを実践することが信仰なのですね。
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