新約聖書:ヨハネの手紙 一・第1章・第9節 [聖書]

「私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、あらゆる不正から清めてくださいます。」
『聖書協会共同訳 聖書』から

この聖句(聖書の言葉)は、カトリック教会の『赦しの秘跡(ゆるしのひせき)』のことを表しています。『赦しの秘跡』とは、カトリック教会にある7つの秘跡の一つで、罪を犯した信徒が聴罪司祭(ちょうざいしさい:神父様)に告解(こっかい:罪を告白すること)をし、罪を赦してもらうというものです。もちろん罪を赦すのは、神様であって司祭ではありません。『赦しの秘跡』として、罪の赦しのための行為ができるのは、イエス・キリストの12人の使徒(弟子)の後継者である司教と、司教の協力者である司祭だけです。

司教・司祭(聴罪司祭)は、罪の告白を聴いて「父と子と聖霊のみ名によって罪を赦す権能」を行使します。要するに神様に代わって罪を赦す宣言をするということですね。また、聴罪司祭には守秘義務があり、告白によって知り得た罪(刑法に係る罪であったとしても)について完全に秘密を守るように秘密を守る義務(守秘義務)があります。これに背けば厳罰を科せられることになります。ですから、告解した内容は厳守されます。なお、『赦しの秘跡』を受けることができるのは、洗礼を受けたカトリック教会の信徒だけです。

ちなみに、若い人たちの間で次のような会話を耳にすることがあります。
A子「今日ね、教会で神父様に罪の告白をして、神様にお赦しをいただいちゃいました!」
B太「そうなんだ~、懺悔(ざんげ)してきたんだ。」
A子「懺悔じゃないから!」
B太「だって罪の告白って懺悔のことじゃん!」
A子「なに言ってんの!?罪の告白は告解(こっかい)って言うんだよ。」
B太「なにそれ~。どう違うの?」(⌒-⌒; )

『赦しの秘跡』での告解を「懺悔(ざんげ)」と間違う人がいますが、懺悔はカトリック教会では使われず、カトリック教会での宗教的意味は全くありません。そして、お祈りの中で罪を認めるときは「罪の告白 = 告解」といいます。カトリック教会の告解はとても大切な秘跡であって、告解は懺悔ではないということです。わかりやすく言えば、懺悔は「ごめんなさい」と謝ることで、告解は「振り返り、あやまり・罪を認め神様に赦していただくこと。」です。『赦しの秘跡』で告解をし、そして、最後のところで「あなたの罪は赦されました。」と神様に代わって聴罪司祭が宣言します。これで罪が赦されたことを意味しているのですね。

【聴罪司祭(神父)】
『赦しの秘跡』において、信徒の罪の告白を聴き、赦免(赦し)を与える司祭のこと。もちろん、『赦しの秘跡』の指導を受けて秘跡を修得し、聴罪司祭としての訓練をされていますから信頼して告解できます。(告解とは、聴罪司祭に罪を告白すること。)
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