支援活動日記2024.2.15(山谷夜回りの会活動) [支援活動日記]

今夜は、仕事が終わって19時30分からホームレス支援活動グループ「山谷夜回りの会」の活動に参加しました。暖かくなってきましたね~( ̄▽ ̄;) お昼休みの天気予報では、最高気温が20度を超え、昨年より14日も早く ” 春一番 ” が吹いたそうです。しかし、朝夕はまだ寒く、これから深夜に向けて気温が低下して寒さが半端なく厳しなります。ホームレスの皆さんは、毛布を何枚でも配布しますので、とにかく暖かくしてもらいたいものです。
さて、毎回毎回このブログに書いていることですが、私は一人のキリスト者(クリスチャン)として、人道のための弱者支援活動を行うことが本望であり、若い時からの念願でもありました。働けなくて経済的に困窮して路上生活を余儀なくされている人、精神時に不調をきたして路上生活を余儀なくされている人、ホームレスの皆さんにはいろいろな理由があります。国や自治体など行政では手が回らないところを私たちが支援するということですね。誰かがやらなければならない、隣人への愛の地道な活動です。
◯この辺りは、だいたい2,200円〜2,500円くらいで泊まれます。
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ところで、私たちキリスト教の信徒は、前述したような生活に困窮している人のことをイエス様だと思って支援するようにしています。これは聖書にあるイエス・キリストの教えです。要するにホームレスの皆さんを分け隔てせず、すべての方に親切に支援の手を差し伸べることです。新約聖書の『マタイによる福音書』第25章・第31~第46節に書かれています。このブログの2022年11月11日に掲載した「聖マルティヌス司教のお話し」を是非ともお読みください。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-11-11

今夜も台東区端の泪橋交差点から少し歩いた所にある「いろは商店街」に、ビニールシートのテントで寝ている方を含め25人ほどのホームレスの皆さんが私たちを待っていました。10年ほど前は、実測250mほどのアーケード(屋根がある)商店街で、そのころでもすでに8割方はシャッターを下ろして営業をしていない「シャッター商店街」になっていました。当時は屋根があって雨をしのげていましたから、シャッターの前に段ボールを囲って寝ることができましたね。あのころは120人ほどが来て、半数ほどの方が段ボールで囲って寝泊りしていました。今は40人~50人くらいです。
◯修道会の「神の愛の宣教者会」にある聖母マリア様のご像です。善き活動ができるようお祈りしました。
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今日は、支援活動に集まった12人で、ホームレスの皆さんにおにぎり、マスク、ペットボトル、軍手、石鹸、歯ブラシ、髭剃り、靴下、上下の下着類、シャツ、ズボン、毛布、寝袋、風邪薬などをお配りしました。最近は、女性の方もいらっしゃいますから生理用品も配ります。おにぎりを配る時は、毎回約200〜350個ほどのおにぎりをカトリック板橋教会や松戸教会の信徒の皆さんの善意で作ってもらっています。私が以前所属していたカトリック町田教会も、かつては「山谷の会」があり、おにぎりを作って隅田川沿いで配布していましたが、会のメンバーが高齢化して解散しました。

支援活動に集まっている方の年齢構成は、私のような仕事帰りの60歳代の社会人、定年退職した70歳代の方や主婦は少数派ですが、中心になっているのは大学生や若い20歳代~30歳代の社会人です。たまに高校生も親子で参加しています。若い人たちは使命感を持って支援活動に取り組んでいる立派な人ばかりです。ところで、今週に入って冬本番となって急に最低気温がより低くなり、ホームレスの皆さんにとっては、明け方は厳しい寒くて寝られない季節となってきました。路上で寝る方も多く、雨が降ると衛生的にも極めて悪い環境になります。とにかく健康には気をつけてもらいたいですね。活動が終了してから反省会を行い、20時50分ごろに解散し、今はすでに帰りの電車の中にいます。
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教会日記2024.2.15(カトリック成城・聖タデオ教会「灰の水曜日後の木曜日のミサ」木曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会で7時からの「灰の水曜日後の木曜日のミサ」に与りました。
カウントダウン:定年退職(3月31日)まで、あと45日です!
天気予報では、今日の最高気温は20度だそうです( ̄◇ ̄;) 暖かくなるというより暑くなるのですが、朝は寒いものですから、この時期は服装に悩みますね。コートは脱いでジャンパーにしました。

ミサでは、能登半島地震でお亡くなりになられた方の永遠の安息と被災された皆さんに主の平安とお恵みがありますようお祈りし、被災地が一刻も早く復興できますようにとお祈りいたしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
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新約聖書:ルカによる福音書・第18章・第9〜第14節 [聖書]

「また、自分を正しい人間であると思い込み、ほかの人をさげすむ人々に、イエスは喩え(たとえ)を語られた、
「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人であった。ファリサイ派の人は胸を張って立ち、心の中でこう祈った、「神よ、わたしがほかの人たちのように、略奪する者でも不正な者でも、姦淫を犯す者でもなく、またこの徴税人のような者でもないことを、あなたに感謝いたします。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を収めています」。ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った、「神よ、罪人であるわたしを憐れんでください」。
あなたがたに言っておく。義とされて家に帰ったのは徴税人であって、ファリサイ派の人ではない。誰でも自ら高ぶる者は下げられ、自らへりくだる者は上げられる。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

【徴税人】
当時のユダヤ地方(現在のシリア、ヨルダン、イスラエル辺り)を属州として支配していたローマ帝国(ローマ人)のために、税金の取立て役を請け負ったユダヤ人のことです。自分たちを支配するローマ人のために、同胞のユダヤ人から税を取り立て、定められた額より多く搾取するなど、同胞のユダヤ人から憎まれて罪人として嫌われていました。
【ファリサイ派】
ユダヤ教の指導者の一派で、律法を厳格に守り、細部に至るまで忠実に実行することによって神の正義の実現を追求しているつもりですが、その実は形式主義に陥り、人間が作った掟を大切にして神の教えをないがしろにしている人たちのことです。偽善者ですね。また、自分達イスラエル人は、神に選ばれた唯一の民族で、神様との特別な契約を結んだ “ 神の民 ” であり、救いは “ 神の民 ” だけのものだと信じている人たちでした。ですから、イスラエル人でない異邦人は、神様の救いから除外されていると見下していました。新約聖書に登場する律法学者や祭司長なども同類の人たちです。

この聖句(イエス・キリストの言葉)には、祈るために神殿に上がった2人の人が登場しています。1人はファリサイ派の人で、もう1人は徴税人です。ファリサイ派の人は市民から社会的に認められている地位のある人ですが、徴税人は、異邦人で支配者であるローマ帝国(ローマ人)に協力し、税金を多く搾取することでユダヤ人から嫌われ憎まれていました。ところが、「神よ、罪人であるわたしを憐れんでください」と言葉少なく、正直に謙虚にお祈りした徴税人の方が、神様から赦されて祝福を受けて家へ帰ったのです。偽善者のファリサイ派の人も、まったく誉められた人間ではありませんが、なにか不公平な感じがしないわけではないですね。

しかし、イエス・キリストが私たちに教えてくださることは、「神にその赦しと祝福を受けて愛されることの妨げになるのは、私たちの『罪そのものよりも傲慢な心』である。」とはっきりと教えてくださっています。つまり、人々に認められ地位のあるファリサイ派の人たちでも、自惚れた傲慢な心(偽善者の態度)で祈っていては救われないのです。一方、たとえ人々から罪びとと罵られていても、徴税人のように神様に対して自分の罪を正直に認め素直で謙虚になって祈れば救われるのです。私たちも日々犯した罪の赦しを願うのであれば、その前に私たちの心にある<傲慢な心>を取り除かなければなりません。毎日ミサに与ってご聖体を拝領し、熱心に祈りに励んでいても、<傲慢な心>では信仰生活はまったく意味をなしません。とにかく正直で謙虚な心を持つことです。謙虚になって祈りましょう。

◯カトリック教会では、高慢(こうまん)は大罪です。次に上げるのは、カトリック教会が定める「七つの大罪」です。なんか漢字の練習問題みたいですが。どこぞやの高校入試の国語の問題に、大罪の一つが漢字の問題として出たそうですよ(^_^;)
【七つの大罪】
一、傲慢:ごうまん(高慢:こうまん)
二、貪欲:どんよく(強欲:ごうよく)
三、嫉妬:しっと(羨望:せんぼう)
四、憤怒:ふんど(激高:げきこう)
五、貪食:どんしょく(暴食:ぼうしょく)
六、色欲:しきよく(肉欲:にくよく)
七、怠惰:たいだ(堕落:だらく)
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