「待降節」、「降誕祭」そして「降誕節」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

明日11月27日(日)(実質は今日26日(土)の夕刻)から「待降節」が始まります。
今年も「クリスマス = 降誕祭」の正しい知識を学びましょう!
キリスト教カトリック教会では、イエス・キリストの誕生を祝う日である12月25日を「降誕祭(こうたんさい)」と呼んでいます。一般的には「クリスマス」と呼んでいますね。そして、キリスト教会の新年(1年)は「待降節(たいこうせつ)」から始まります。待降節とは、11月30日の「聖アンデレの日」に最も近い日曜日から、降誕祭の前日である24日(一般的には「クリスマスイブ」と呼んでいます)までの約4週間で、最も早い年で11月27日、遅い年でも12月3日に始まります。つまり降誕祭の4つ前の日曜日から、降誕祭を準備する期間に入ります。その期間のことを待降節と呼んでいるのです。この待降節の始まりが、キリスト教の暦では新年の始まりとなります。今年の場合は、11月26日(土)の夕刻前までが2022年で、27日(日)(実質は今日26日(土)の夕刻)から2023年ということになります。

次に「降誕節(こうたんせつ)」とは、イエス・キリストの降誕(主の降誕:12月25日)の“前晩の祈り”で始まり、イエス・キリストの公現(主の復活)後の主日(1月3日~13日の間の日曜日)の期間のことをいいます。日曜日で必ず終わるので、年によっては日が移動し、長い時は2週間と6日(20日間)、短い時で2週間(14日間)となります。
………ということで、今年の待降節が始まるのは、11月30日に一番近くて12月25日の4つ前の日曜日は11月27日(日)となりますから、クリスマス・ツリー、リースや降誕セット(プレセビオ)などの飾り付けを始める日は11月27日(日)となります。そして「公現(「主の復活」来年の1月8日)」の翌日=「主の洗礼」が1月9日(月)となりますから、飾りなどを片付ける日は1月9日(月)となります。日本では12月25日のクリスマス終了と同時にすぐにお正月の飾り付けとなりますから、信徒ではないご家庭は1月9日まで飾っておくのは難しいですね。
◯まとめ(2022年~2023年)
待降節:11月27日(日)~12月24日(土)
降誕祭:12月25日(日)「主の降誕」
降誕節:12月24日(土)「前晩の祈り」~1月8日(日)

降誕祭は、神のひとり子イエス・キリストの誕生を思い起こす日として古代から祝われてきました。イエス・キリストがいつ生まれたかは聖書には何も記載はありません。12月25日がイエスの誕生の日とする最古の記録は、4世紀のローマの「殉教者帰天日表」です。しかし、昔は地方によって1月6日に祝っていました。ちなみにロシア正教会は、今でも1月はじめにイエス・キリストの降誕を祝います。3月だという説もあります。ではなぜ、クリスマスは、12月25日に祝われるようになったのでしょうか?次の説が、有力であるといわれています。それは、昔むかしローマ帝国内では、太陽崇拝が広く行われていました。ローマ暦では12月25日が冬至で、この日を太陽誕生の祝日として祝っていたそうです。教会はこの祭日を取り入れ、「正義の太陽」であるイエス・キリスト誕生の日として祝うようになったそうです。

さて、日本では、キリスト教を信仰している・していないに関わらず、クリスマス・ツリーとリースくらいの飾り付けはしますが、欧米のカトリック教会やその影響の強い国々では、イエス・キリスト誕生の場面を“人形”で再現します。「ルカによる福音書」では、生まれたばかりのイエス・キリストを布に包んで「飼い葉桶に寝かせた」と書いてあり、これを「飼い葉桶」の意味から、イタリア語で「プレセピオ」、フランス語で「クレッシュ」、ドイツ語で「クリッペ」、英語で「クリブ」、スペイン語で「ベレン」と言います。日本では、一般的に“降誕セット”と呼んでいます。………ということで、11月27日(日)に飾りつけしましょう!

昨年、職場のカウンターに飾ったプレセピオです!手前にプレセピオの説明書きを貼りました。
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一昨年、自宅の自室にあるテーブルの上に飾ったプレセビオです。
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自宅用の多くはミニチュア(写真)で、教会によっては実物大の人形と小屋が仮設されることもあります。写真左の我が家の“降誕セット(プリセピオ)”を説明しますと、左から天使のお告げを聞いてやって来た子羊を抱いた羊飼い、足下には牛と羊、その右側には父親のヨセフ、その右側に天使、天使の前には飼い葉桶、その右側に母親である聖母マリア、その右側に東方の3人の博士(占星術の学者)と載ってきたラクダ(本当は3頭)があります。3人の博士は、黒人、白人、黄色人となっています。
ところで、生まれたばかりの赤ちゃんのイエス・キリストは飼い葉桶にはいません!
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なぜか?そうです!それはまだお生まれになっていないからです!お生まれになる12月24日から25日になってすぐの夜中に飼い葉桶に寝かせます。この習慣は世界共通です。ちなみに、居間に飾るクスマス・ツリーと玄関の扉に飾り付けるリースは、お約束の11月27日(日)に飾ります!
下の写真ですが、お生まれになるまでは、聖母マリア様の御像の前でおやすみです!
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イエス様がお生まれになった場所は、馬小屋が通説となっていますが、このプレセビオには馬はいません。牛とロバはいます。新約聖書の福音書には根拠となる記載はありません。旧約聖書の「イザヤ書」の第1章・第3節に、「牛は飼い主を知り、ロバは主人の飼い葉桶を知っている。しかし、イスラエルは知らず、わたしの民は見分けない。」とあり、ここから採られているのですね。また、欧米の教会では、小屋(日本語では「厩」もしくは「馬小屋」と書きますが、家畜小屋と考えたほうがいいでしょう)としての伝承が通例ですが、キリスト教正教会では洞窟と伝承され、イコンにもそのように描かれています。新約聖書の外典である「ヤコブ原福音書」には洞窟で産まれたと書いてあります。絵画がありますね。

新約聖書の福音書での根拠となる記載は次のとおりです。
◯新約聖書:「マタイによる福音書」第2章・第1~第11節
「さて、イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、東方の博士たちがエルサレムに来て、尋ねた。「お生まれになたユダヤ人の王は、どこにおられますか。わたしたちはその方の星が昇るのを見たので、拝みに来ました」。これを聞いたヘロデ王はうろたえた。エルサレムの人々もみな同様であった。 王は祭司長や民の律法学者たちをすべて集めて、メシアはどこに生まれるのかと問いただした。彼らは答えた、「ユダヤのベツレヘムです。預言者が次のように書き記しています。
『ユダの地ベツレヘムよ、
お前はユダの氏族の中で、
決して最も小さいものではない。
お前から一人の統治者が出て、
わたしの民イスラエルを牧するからである。』」
そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼び寄せて、星が現れた時期を確かめた。そして、彼らをベツレヘムに送り出すにあたって言った。「行って、その幼子を丹念に探し、見つけたら、わたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行きたいから」。王の言葉を聞いて、彼らは出かけた。すると、彼らがかつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、幼子のいる場所まで来て止まった。彼らはその星を見て、非常に喜んだ。家の中に入ってみると、幼子が母マリアとともにおられた。彼らはひれ伏して幼子を礼拝した。そして宝箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

◯新約聖書:「ルカによる福音書」第2章・第1~第20節
「そのころ、皇帝アウグストゥスによって、全世界の住民に登録をせよとの勅令が発布された。この登録は、キリニウスがシリアの総督であった時に行われた、最初のものであった。人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰ったいった。ダビデ家とその血筋に属していたヨセフも、すでに身籠っていたいいなずけのマリアを伴って、登録のために、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。ところが、二人がそこにいつ間に、出産の日が満ちて、マリアは男の初子を産んだ。そして、その子を産着にくるみ、飼い葉桶に寝かせた。宿屋には、彼らのために場所がなかったからである。
さて、その地方では、羊飼いたちが野宿をして、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が羊飼いたちのそばに立ち、主の栄光が彼らの周りを照ら出したので、彼らはひどく恐れた。天使は言った。「恐れることはない。わたしは、民全体に及ぶ、大きな喜びの訪れを、あなた方に告げる。今日、ダビデの町に、あなた方のために、救い主がお生まれになった。この方こそ、主メシアである。あなた方は、産着にくるまれて、飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見出すであろう。これが徴である」。 すると突然、み使いに天の大軍が加わり、神を賛美した。
「いと高き天には、神に栄光、
地には、み心にかなう人々に平和」。
み使いが離れて天に去ると、羊飼いたちは語り合った、「さあ、ベツレヘムへ行って、主が知らせてくださった、その出来事を見て来よう」。そして、彼らは急いで行き、マリアとヨセフ、そして飼い葉桶に寝ている乳飲み子を捜しあてた。それを見た羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを、人々に知らせた。羊飼いたちが語ったことを聞いた人々はみな不思議に思った。 しかし、マリアはこれらのことをことごとく心に留め、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことが、ことごとく告げられたとおりだったので、神をほめたたえ、賛美しながら帰っていった。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
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教会日記2022.11.25(カトリック成城・聖タデオ教会「平日のミサ」金曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での7時からの「平日のミサ」に与りました。成城教会では、今週の月曜日から、今月26日夕刻の「待降節第一主日」から正式に変更されるミサ典礼の新式次第を先行して試行しています。変更点は、司式する司祭(神父)の言葉や会衆(信徒)の応唱などの言葉の変更です。より原文のラテン語にしたがった言葉に変更されているそうです。また、文語調の言葉は、口語調に修正されています。新式次第の冊子を見ながらのミサとなっています。

ミサでは、先唱奉仕を担当し、「聖カタリナおとめ殉教者」の祝日をお祈りしました。
そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と主を讃え、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
とお祈りし、続いて、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈り、
そして、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人のお二人が癒されるようお祈りしました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』をお祈りしました。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
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「聖カタリナおとめ殉教者」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日11月25日は、「聖カタリナおとめ殉教者」の祝日です。
カタリナ(287年~305年)は、エジプトのアレキサンドリアの貴族の家に生まれたことから「アレキサンドリアのカタリナ」とも呼ばれています。キリスト教の聖人で殉教者です。カトリック教会では伝統的に「十四救難聖人の一人とされており、ジャンヌ・ダルクと話したとされる聖人の一人です。

カタリナは、ある時、一人の隠修士からキリストの教えを聞き、直ちに洗礼を受けたといわれています。カタリナが18歳の時、ローマ皇帝マキシミヌスは、市民たちに偶像崇拝を命じ、従わない者は処罰することを公布しましたが、カタリナは、公に信仰を表わしたので、皇帝は50人の学者を集め、彼女を屈服させようとしました。
ところが、学者たちは彼女に感化されて、キリスト教こそ真の宗教であると公言して改宗してしまいました。憤慨した皇帝は学者全員を処刑しましたが、カタリナに対しては、その学識の豊かさと美しさに心をひかれていたので、彼女が信仰を捨てれば皇后にするとまで言いました。しかし、彼女が拒否したので皇帝は怒り、彼女を車輪に縛りつけて身を引き裂くという刑を執行するよう命じました。
その時、カタリナが目を天に向けて祈ると、「わたしの許に来なさい、愛しい妻よ。見なさい。天国の門はあなたに対して開かれている。あなたの殉教をほめたたえる者に、わたしは天国の慰めを約束しよう。」という声が天から聞こえてきたそうです。それでも彼女が命を落とさなかったため、最後は、斬首されました。彼女の遺体は、天使によってシナイ山に運ばれたと伝えられています。

画名は《アレクサンドリアの聖カタリナ》です。画家のミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオによって描かれた作品です。制作年は1598年ごろ。聖カタリナを描く際のアトリビュートとして、処刑された時に使われれた車輪や剣、下の方に殉教者に共通するシュロの葉が画かれています。
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カタリナを敬う習慣は、8世紀ごろに東方教会から西方教会に伝わり、10世紀にはイタリアを中心に広まりました。釘を打った車輪と、イエス・キリストとの婚約指輪、剣などを持った姿で描かれている絵画が多いですね。若い女性、学者、弁護士などの守護の聖人とされています。
東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世(483~565)は、カタリナの遺体が天使によって運ばれたとされるシナイ山に聖カタリナ修道院を設立しました。シナイ山の聖カタリナ修道院は現在も機能している世界最古の修道院で、写本やイコンなどキリスト教美術の宝庫として知られています。

【アトリビュート】
西洋絵画、特に宗教画(キリスト教絵画)には、「アトリビュート(=持物:じぶつ)」というものがあります。これは、絵を描く時の“約束事”として、特定の人物(聖人など)に密接に結びつけられたもの、例えば花、動物、小物、道具や背景などが画かれるのです。
例えば、聖母マリア様ですと、必ず画かれているのが純潔の象徴である「百合の花」ですね。「受胎告知」の絵で、大天使ガブリエルが百合の花を持っています。そして、天の真実を意味する「青色(濃紺色)のマント」です。「祈りの聖母」と「悲しみの聖母」の絵もそうですね。他にも、「12の星の冠」や足の下に「三日月」と「蛇」が画かれています。聖母マリア様の絵を見るときはよく観察しましょうね。
他にも、聖母マリアの夫である聖ヨセフは、大工であったことから大工道具がアトリビュートになっていますし、聖アガタは、乳房を切り取られたことから、乳房がアトリビュートになっています。旧約聖書の「トビト記」に出てくるトビアスを描いた絵は、必ず魚が画かれています。(「トビト記」を読めばわかります。)マグダラのマリアの絵は、必ず香油の壺とドクロが画かれています。
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教会日記2022.11.24(カトリック成城・聖タデオ教会「平日のミサ」木曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での7時からの「平日のミサ」に与りました。成城教会では、今週の月曜日から、今月26日夕刻の「待降節第一主日」から正式に変更されるミサ典礼の新式次第を先行して試行しています。変更点は、司式する司祭(神父)の言葉や会衆(信徒)の応唱などの言葉の変更です。より原文のラテン語にしたがった言葉に変更されているそうです。また、文語調の言葉は、口語調に修正されています。新式次第の冊子を見ながらのミサとなっています。

ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と主を讃え、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
とお祈りし、続いて、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈り、
そして、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人のお二人が癒されるようお祈りしました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』をお祈りしました。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
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良寛和尚のことば(第4日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

良寛和尚の「戒語」は今日で完結です。
良寛和尚のことは、「良寛和尚のことば(第1日目)2022.11.16」をご欄下さい。今日も自分に当てはまる言葉ばかりです(; ̄O ̄)

一、すべてことばはおしみおしみいうべし ※惜しみ惜しみ
「言葉はよく吟味し、しゃべりすぎてはいけない。」
言うべきことは、相手に伝わるようポイントを整理して話すべきで、無駄な余計なことをベラベラ話してはいけないのです。

二、いうたことはふたたびかえらず
「一度言ったことは取り返しがつかないから、注意して話しなさい。」
思わず言ってはいけないことを口走ってしまうことはあるものですが、しかし、一度話したことは取り消しがきかないこともあります。それまで良好であった人間関係が、一瞬にして悪くなってしまいます。最も注意すべきことですね。

三、人にそうおうせぬことはいわぬがよし
「相手に合わないことは言わないほうがよい。」
相手が興味のない聞きたくもないことや、話しの内容が相手に合わないようなことは話してはいけないのです。会話は、相手のことを考えて話すべきですね。

四、さしてもなきことをろんずる
「大して重要でもないことを、大事のように論じてはいけない。」
些細なことでも話を大きくする人がいますが、重要ではない何でもないことを大袈裟に話しさないことです。内容が相手に正確に伝わりません。

五、おどけのこうじたる
「あまりおどけすぎてはいけない。」
会話におけるユーモアは、必要でなくても大切なことだと思います。しかし、それも度を過ぎれば相手に信用されなくなります。
以上です。完!

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教会日記2022.11.23(カトリック成城・聖タデオ教会「平日のミサ」水曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での7時からの「平日のミサ」に与りました。今日は、祝日でお休みですが、私の勤務する大学では、水曜日の授業日数が文部科学省の定める基準に足らないため、授業日となり出勤となりました。成城教会では、今週の月曜日から、今月26日夕刻の「待降節第一主日」から正式に変更されるミサ典礼の新式次第を先行して試行しています。変更点は、司式する司祭(神父)の言葉や会衆(信徒)の応唱などの言葉の変更です。より原文のラテン語にしたがった言葉に変更されているそうです。また、文語調の言葉は、口語調に修正されています。新式次第の冊子を見ながらのミサとなっています。

ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と主を讃え、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
とお祈りし、続いて、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈り、
そして、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人のお二人が癒されるようお祈りしました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』をお祈りしました。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
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良寛和尚のことば(第3日目) [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

今日も良寛和尚の「戒語(かいご)」です。
良寛和尚のことは、「良寛和尚のことば(第1日目)2022.11.16」をご欄下さい。もう身に浸みる言葉ばかりです!(⌒-⌒; )

一、くちのうちでものをいう
「ぼそぼそと独り言のように文句を言ってはいけない。」
相手に対して言いたいことがあるなら、面と向かってはっきり言ったほうがいいのです。ボソボソ言うのは相手に失礼になります!

二、しらぬ事をしったげにいう
「知らないことを知っているふうに言うのはよくない。」
知らないことは知らないとはっきり言うこと。知ったかぶりは、無知であることを証明するようなものです。後になって必ずやボロが出ます。恥をかきますよ!

三、客の前で人をしかる
「他人がいる前で人を叱ってはいけない。」
たとえ本人に落ち度があっても、恥ずかしい思いをさせられては素直に聞くことができないものです。ですから注意する時は、誰もいないところでしなければなりません。

四、にくきこころをもって人をしかる
「相手に対して憎しみなどの感情をもって人を叱ってはいけない。」
叱るときは、愛情をもってしかること。怒りや憎いという気持があって叱る意味がありません。相手に反省をほどこすのであれば、相手のためになるよう、その人の身になって話すことです。

五、おのがあしきことを人にぬりつくる
「自分が悪いのに他人に責任を転嫁して責めてはならない。」
これは論外ですね。他人に責任を擦り付けるなど言語道断です!反対に他人のミスを自分が被る(かぶる)ぐらいの度量の大きさがなくてはいけないですね。
今日は以上です。
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教会日記2022.11.22(カトリック成城・聖タデオ教会「平日のミサ」火曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での7時からの「平日のミサ」に与りました。昨日から、今月27日の「待降節第一主日」から正式に変更されるミサ典礼の新式次第を先行して試行しています。変更点は、司式する司祭(神父)の言葉や会衆(信徒)の応唱などの言葉の変更です。より原文のラテン語にしたがった言葉に変更されているそうです。また、文語調の言葉は、口語調に修正されています。新式次第の冊子を見ながらのミサとなっています。
祭壇下の生花と聖母マリア様のご像です。
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ミサでは、「聖セシリアおとめ殉教者」の記念日をお祈りしました。
そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と主を讃え、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
とお祈りし、続いて、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈り、
そして、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人のお二人が癒されるようお祈りしました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』をお祈りしました。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
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「聖セシリアおとめ殉教者」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日11月22日は、「聖セシリアおとめ殉教者(2世紀頃、生没年不詳)」の記念日です。
聖セシリアは、キリスト教のカトリック教会、聖公会・正教会の聖人に列せられています。特にカトリック教会では有名な聖人であり、音楽家えと盲人の守護聖人となっています。ちなみに、同日で「王であるキリスト」の祭日ですので、ミサではそちらが優先しますから聖セシリアの記念は行われません。ただし、教会の守護聖人が聖セシリアに捧げられているのであれば別ですね。

名前は、英語ではシシーリア、スペイン語ではセシーリア、イタリア語および中世ラテン語ではチェチーリア、ドイツ語ではツェツィーリア、フランス語ではセシルないしはセシール、古典ラテン語ではカエキリアと呼ばれますね。日本のキリスト教では、西方教会では“セシリア”の表記が一般的である他、特にカトリック教会ではラテン語の教会式発音に基づいて“チェチリア”とも呼ばれることもあります。東方教会の教正教会ではキキリヤと呼ばれます。なお、ローマ皇帝ディオクレティアヌスにより、アフリカで刑死した聖セシリア(祝日:2月11日)と別人です。

ローマの裕福な貴族の家に生まれ、父親の意志により、キリスト教の信徒ではない青年バレリアノと結婚しましたが、彼女は、神のために生涯貞潔を守ることを彼に話しました。彼女の熱心な信仰態度に心を打たれたバレリアノは、弟ティブルツィオと共に洗礼を受け、そして、彼らは迫害されて殉教した人びとの遺体を引き取り手厚く葬っていました。これがローマ総督の耳に入り、バレリアノと弟は捕えられ、信仰を捨てるように命じられましたが拒んだため、2人は斬首刑となりました。セシリアは、彼らの遺体を引き取り埋葬しました。その後、自分の家をカタコンブ(地下墓地)にしたり、聖堂(のちに聖セシリア教会と呼ばれる)にしたことが総督に知られ、捕えられて棄教するように強要されました。
彼女がむし風呂の刑にあっても、苦痛もなく、汗ひとつかかなかったので、最後は首を切りつけられて、3日間の苦しみののち殉教したそうです。他に伝説によれば、セシリアは斬首刀の3打を耐え抜いて死刑を中止され、その後3日間生き延びたという話も伝わっています。信者たちはセシリアの遺体をカタコンブに葬りましたが、1599年に墓が開けられた際、聖女の遺体は千数百年を経てなお生々しく保存されていたそうです。

写実的に表現されたマデルノ作の聖セシリアの彫刻(写真)は有名です。聖セシリアは、首を切りつけられ、3日間の苦しみの後に殉教したことから、彫刻にも首に切りつけられた痕があります。
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聖セシリアは、伝説によると神を賛美するのに楽器を奏でながら歌ったと言い伝えられており、多くの絵画には楽器と一緒に画かれています。この絵は、シモン・ヴーエ作「聖セシリア(1626年)」です。
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今日の日記2022.11.21(お昼のお弁当!) [日記]

今日は、職場の大学で入試支援業務があり、お昼にお弁当が支給されました。大学近くのお弁当屋さんが、お昼のお弁当だけを手作りして販売している超美味しいお弁当です!毎回このお弁当屋さんですが、おかずに手間ひまかけて作ってますね〜。とっても美味しいです!
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