今日の日記その二2022.11.11(ポッキーの日!) [日記]

いま病院の待合室で時間を持て余しています(⌒-⌒; ) そう言えば、今日11月11日は、約50ほどの「記念日」があるのです。昨年の11月11日に、このブログに掲載した記事を一部修正して掲載いたします。
記念日となっているのは、ビールの「キリン一番搾りの日」、お菓子の「うまい棒の日」、大阪串カツ屋の「串カツ田中の日」、グリコの「ポーッキー&プリッツの日」、それに「サッカーの日(1チーム11人)」や「まつげ美人の日」などなど、「1」がぞろ目になっているだけに、棒状や線状になっているものの記念日が多いですね。
昨年11月11日に撮った写真です。コンビニでグリコのポッキーを買い、写真を撮った後、職場の同僚に配りました(*^▽^*)
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今日の日記2202.11.11(モーニング!) [日記]

先ほど、カトリック成城・聖タデオ教会での7時からの平日のミサに与り、今は小田急成城学園前駅近くにある上島珈琲店でモーニングです!食べ終わったら、病院三昧を開始します!詳しくは、先ほどこのブログに掲載した「教会日記」をお読みください。
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教会日記2022.11.11(カトリック成城・聖タデオ教会「平日のミサ」金曜日) [教会日記]

今朝は、仕事はお休みをいただき、カトリック成城・聖タデオ教会での7時からの「平日のミサ」に与りました。今日は、週初めではお休みは予定していなかったのですが、昨日中に2つの病院から空きができたとの連絡があったことから《病院三昧の日》となりました。まず、ミサが終わって8時45分から足部のアトピー性皮膚炎の診察で皮膚科、10時30分から整形外科で膝痛のリハビリ、13時から痔の診察で肛門科、15時30分から腰痛の治療で整体院、終わってから一時帰宅し、都心に出て四ツ谷で19時からボランティア学生とのミーティング、終わってから新宿で食事会………決して呑み会ではありません!よね?帰宅は23時までを予定するというハードスケジュールとなっています!(⌒-⌒; ) 昨日急に決まったにもかかわらず、移動時間を含めてここまできちんとしたスケジューリングは久しぶりですね~!
花粉症を除いて元々は病気知らずの健康な身体だったのですが………( ̄▽ ̄;) 毎年受診している健康診断に問題はなく、昨年末に内視鏡を入れての胃検診&大腸検査は大丈夫でした。現在64歳、定年退職まであと1年半を切りました。なんとか身体のメンテナンスをしながら頑張ります!今日も清々しい朝を迎えています。

ミサでは、毎週金曜日担当となっている先唱奉仕を担当し、「聖マルティヌス司教」の記念日をお祝いしてお祈りしました。
そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と主を讃え、
続いて
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
とお祈りしました。
続いて、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」と祈り、
そして、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人のお二人が癒されるようお祈りしました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』をお祈りしました。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
とお祈りしました。
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「聖マルティヌス司教」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日11月11日は、「聖マルティヌス司教」の記念日です。
トゥール(フランス中部)のマルティヌス(マルタン又はマルチノともいいます)は、キリスト教カトリックの聖人に列せられています。316年ごろ、ローマ帝国領パンノニア州(現在のハンガリー)サバリアに生まれ、397年トゥーレーヌのカンドで亡くなりました。ローマ帝国軍の将校であった父親の転任で、幼少期にパヴィーアへ移住し、のちにローマ軍に入隊しました。所属する連隊が、しばらくしてガリア(現在のフランス地域のこと)のアミアン(フランス北部)に派遣された時、有名な『マントの伝説』が起こりました。

ある非常に寒い日のこと、マルティヌスがアミアンの城門を出たところで、半裸で震えている物乞いを見つけました。この寒さの中で可哀想だと思い、着けていたマントを剣で2つに引き裂いて半分を物乞いに与えました。その夜見た夢に、物乞いに与えたマントの半分を身にまとったイエス・キリストが現れ、引き連れていた天使達に向かって、「ここにいるのは、まだ洗礼を受けていないローマの兵マルティヌス、私に衣を与えた者である。」とおっしゃられました。なんと!あの物乞いはイエス様だったのです。これがキリスト教の受洗(洗礼を受けること)のきっかけとなり、その後に軍隊を除隊しました。マルティヌスが持っていた方の半分は、「聖マルティヌスのマント」として、フランク王国(フランス)の歴代国王の礼拝堂に保管されたそうです。

アミアンの城門を出たところで、自分のマントを剣で切り裂いて寒さに震えている物乞いに、マントの半分を与えるローマ兵のマルティヌスです。
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真夜中、マルティヌスが寝ているところに、天使たちを率いて現れたイエス・キリストです。その御身(おんみ)には、マルティヌスからもらったマントの半分をまとっています。
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軍隊を除隊すると、マルティヌスは、361年にポワティエから少し離れた地域(フランス北部のリグージェ)をキリスト教に教化する許可を得て活動し、多くの修道士が彼の周りに集まったそうです。これが、西方キリスト教会初の修道院、リグージェ修道院です。その後、トゥールの司教となり積極的に活動しました。81歳で亡くなったマルティヌスは、その謙遜と禁欲を重視した生き方で人々の崇拝の対象となり、偉大な聖人と称えられました。また、生前あるいは死後に起きたマルティヌスによる奇跡についての記録も多く残っています。キリスト教カトリック教会の聖名祝日は11月11日です。この日は命日とも、埋葬された日とも、また誕生日であるともいわれています。

聖マルティヌスの行為は、人の為に善い行いをすること。特に虐げられている人達、貧困に喘いでいる人達、病に苦しんでいる人達のために善い行いをすることです。聖書には次のとおり書かれています。
◯新約聖書:マタイによる福音書・第25章・第31~第46節
「人の子が栄光に包まれ、すべてのみ使いを従えて来るとき、人の子は栄光の座に着く。そして、すべての民衆がその前に集められ、羊飼いが羊と山羊を分けるように、人の子は彼らを二つに分、羊を右に、山羊を左に置く。その時、王は自分の右側の者に言う、『わたしの父に祝福された者たち、さあ、世の初めからあなた方のために用意されている国を受け継ぎなさい。あなた方は、わたしが飢えていた時に食べさせ、渇いていた時に飲ませ、旅をしていた時に宿を貸し、裸の時に服を着せ、病気の時に見舞い、牢獄に牢にいた時に訪ねてくれたからである。』すると、正しい人たちは答える。『主よ、いつわたしたちはあなたが飢えておられるのを見て食べさせ、渇いておられるのを見て飲ませましたか。いつ あなたが旅をしておられるのを見て宿を貸し、裸でおられるのを見て服をお着せしましたか。また、いつあなたが病気であったり、牢獄におられるのを見て、あなたをお訪ねしましたか。』すると王は答えて言う。『あなたがたによく言っておく。これらのわたしの兄弟、しかも最も小さい者の一人にしたことは、わたしにしたのである。』
それから、王はまた左側の者にも言う、『呪われた者たち、わたしから離れ去り、悪魔とその使いのために用意されている永遠の火に入れ。 お前たちは、わたしが飢えていた時に食べさせず、渇いた時に飲ませず、旅をしていた時に宿を貸さず、裸の時に服を着せず、病気の時、牢獄にいた時に、訪ねてくれなかったからである。』その時、彼らもまた答えて言う。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしていたり、裸であったり病気であったり、牢獄におられたりしたのを見ても、お世話をしませんでしたか。』 すると、王は答えて言う。『お前たちによく言っておく。これらの最も小さい者の一人にしなかったことは、わたしにしなかったのである。』こうして、これらの者たちは永遠の刑罰に、正しい人たちは永遠の命に入る。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
注)①「人の子」とは、イエス・キリストのこと。②「永遠の刑罰」とは、地獄で苛まれること。③「永遠の命」とは、天国で安息を得ること。

解釈をしますと、冒頭にある「人の子が栄光に包まれ、すべてのみ使いを従えて来るとき」というのは、終末(この世の終わり)に、イエス・キリストが再臨するということです。その時に天使たちを従えて来て“最後の審判”をするのです。分かりやすく説明すると、この世の終わりに、イエス・キリストが再び現れて、最終的に天国に入る者と地獄に落ちる者とを選別するということです。「王」とは、イエス・キリストのことです。「わたしの兄弟、しかも最も小さい者」とは、虐げられている人達、貧困に喘いでいる人達、病に苦しんでいる人達など、神様に救いを求めている人達のことです。「永遠の刑罰」というのは地獄に落ちるということで、「永遠の命に入る」というのは天国に入るということです。
この聖句の中に、「裸の時に服を着せ」とあります。聖マルティヌスが物乞いにマントの半分を与えたことですね。自分のためではなく、人の為に善い行いをすること。特に虐げられている人達、貧困に喘いでいる人達、病に苦しんでいる人達のために善い行いをすることです。それがイエス様にすることになるのですね。信じることだけでは信仰とはいえません。善い行いが伴って初めて信仰と言えるのです。
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