支援活動日記2022.11.3(山谷夜回りの会活動) [支援活動日記]
今日は、本来であれば「文化の日」の祝日で仕事はお休みとなるところですが、昨日と今日は、私の職場である大学の学園祭ですので出勤となり、仕事が終わってからホームレス支援活動グループ「山谷夜回りの会」の活動に参加しました。毎回毎回このブログに書いていることですが、私は一人の人間としてもキリスト者(クリスチャン)としても、人道のための支援活動を行うことが本望であり、若い時からの念願でもありました。働けなくて経済的に困窮し、路上生活を余儀なくされている人、家族に見放され精神時に不調をきたし、路上生活を余儀なくされている人、ホームレスの皆さんにはいろいろな理由があります。国や自治体など行政では、手が回らないところを私たちが支援するということですね。
私たちキリスト教の信徒は、前述したような生活に困窮している人のことをイエス様だと思って支援しています。これは聖書にあるイエス・キリストの教えです。聖書には次のとおり書かれています。
◯新約聖書の『マタイによる福音書』第25章・第31~第46節に、次の聖句(イエス・キリストの言葉)があります。
「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」
解釈をしますと、冒頭にある「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき」というのは、終末(この世の終わり)に、イエス・キリストがこの世に再臨するということです。その時に天使たちを従えて来て「最後の審判」が行われます。分かりやすく説明すると、この世の終わりに、イエス・キリストが再び現れて、天国に入る者と地獄に落ちる者とを選別するということです。「王」とは、イエス・キリストのことです。「兄弟であるこの最も小さい者」とは、生活に困窮している人、弱い立場にある人、病で苦しんでいる人など、救いを求めている人たちのことです。「永遠の罰を受け」とは地獄に落ちるということで、「永遠の命にあずかる」とは天国に入るということになります。
困っている人たちの為に善い行いをすること。生活に困窮している人、弱い立場にある人、病で苦しんでいる人など、救いを求めている人たちのために支援すること。それがイエス・キリストにすることになるのです。ですから、私たちはこのような人たちのことを、自分が天国に入る入れないに関係なく、聖書の聖句に従い、ただイエス様だと思って接して支援活動をしているのです。
今夜も台東区端の泪橋交差点から少し歩いた所にある、「いろは商店街(以前は実測250mほどのアーケード商店街でした)」に、ビニールシートのテントで寝ている方を含め30人ほどのホームレスの皆さんが私達を待っていました。支援活動に集まった10人で、ホームレスの皆さんにおにぎり、マスク、軍手、石鹸、歯ブラシ、髭剃り、靴下、上下の下着類、Tシャツ、ズボン、寝袋、葛根湯などをお配りしました。最近は、女性の方もいらっしゃいますから生理用品も配ります。おにぎりを配る時は、毎回約200〜350個ほどのおにぎりをカトリック板橋教会や松戸教会の信徒の皆さんの善意で作ってもらっています。数年前までは、私が以前所属していたカトリック町田教会も「山谷の会」があり、おにぎりを作っていました。
支援活動に集まっている皆さんの年齢構成は、70歳代の方、私のような仕事帰りの60歳代の社会人や主婦は少数派ですが、中心になるのは大学生や若い20歳代~30歳代の社会人で、使命感を持って支援活動に取り組んでいます。今日は、高校生の方が2人いました。若い人たちは立派な人ばかりです。今は晩秋の季節です。 11月に入って最高気温が10度代となって随分と寒くなりました( ̄◇ ̄;)ホームレスの皆さんは路上で寝る方も多く、雨が降って衛生的にも極めて悪い環境にあります。健康を維持するためにも体には特に気をつけてもらいたいものですね。今日は、配り手が多かったものですから早く終わりました。活動が終了してから省会を行い、21時過ぎに解散しました。今は、すでに帰りの電車の中です………電車が遅れてた(⌒-⌒; ) 間違いなく帰宅は午前様だな( ̄◇ ̄;)
私たちキリスト教の信徒は、前述したような生活に困窮している人のことをイエス様だと思って支援しています。これは聖書にあるイエス・キリストの教えです。聖書には次のとおり書かれています。
◯新約聖書の『マタイによる福音書』第25章・第31~第46節に、次の聖句(イエス・キリストの言葉)があります。
「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」
解釈をしますと、冒頭にある「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき」というのは、終末(この世の終わり)に、イエス・キリストがこの世に再臨するということです。その時に天使たちを従えて来て「最後の審判」が行われます。分かりやすく説明すると、この世の終わりに、イエス・キリストが再び現れて、天国に入る者と地獄に落ちる者とを選別するということです。「王」とは、イエス・キリストのことです。「兄弟であるこの最も小さい者」とは、生活に困窮している人、弱い立場にある人、病で苦しんでいる人など、救いを求めている人たちのことです。「永遠の罰を受け」とは地獄に落ちるということで、「永遠の命にあずかる」とは天国に入るということになります。
困っている人たちの為に善い行いをすること。生活に困窮している人、弱い立場にある人、病で苦しんでいる人など、救いを求めている人たちのために支援すること。それがイエス・キリストにすることになるのです。ですから、私たちはこのような人たちのことを、自分が天国に入る入れないに関係なく、聖書の聖句に従い、ただイエス様だと思って接して支援活動をしているのです。
今夜も台東区端の泪橋交差点から少し歩いた所にある、「いろは商店街(以前は実測250mほどのアーケード商店街でした)」に、ビニールシートのテントで寝ている方を含め30人ほどのホームレスの皆さんが私達を待っていました。支援活動に集まった10人で、ホームレスの皆さんにおにぎり、マスク、軍手、石鹸、歯ブラシ、髭剃り、靴下、上下の下着類、Tシャツ、ズボン、寝袋、葛根湯などをお配りしました。最近は、女性の方もいらっしゃいますから生理用品も配ります。おにぎりを配る時は、毎回約200〜350個ほどのおにぎりをカトリック板橋教会や松戸教会の信徒の皆さんの善意で作ってもらっています。数年前までは、私が以前所属していたカトリック町田教会も「山谷の会」があり、おにぎりを作っていました。
支援活動に集まっている皆さんの年齢構成は、70歳代の方、私のような仕事帰りの60歳代の社会人や主婦は少数派ですが、中心になるのは大学生や若い20歳代~30歳代の社会人で、使命感を持って支援活動に取り組んでいます。今日は、高校生の方が2人いました。若い人たちは立派な人ばかりです。今は晩秋の季節です。 11月に入って最高気温が10度代となって随分と寒くなりました( ̄◇ ̄;)ホームレスの皆さんは路上で寝る方も多く、雨が降って衛生的にも極めて悪い環境にあります。健康を維持するためにも体には特に気をつけてもらいたいものですね。今日は、配り手が多かったものですから早く終わりました。活動が終了してから省会を行い、21時過ぎに解散しました。今は、すでに帰りの電車の中です………電車が遅れてた(⌒-⌒; ) 間違いなく帰宅は午前様だな( ̄◇ ̄;)
今日の日記その二2022.11.3(ホームカミングデイ!) [日記]
教会日記2022.11.3(カトリック成城・聖タデオ教会「平日のミサ」木曜日) [教会日記]
今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での7時からの「平日のミサ」に与りました。今日は、本来なら「文化の日」の祝日で仕事はお休みとなるところですが、昨日と今日は、私の職場である大学の学園祭ですので出勤となっています。今朝も寒いですが、清々しい朝を迎えています。
朝6時30分ごろの成城教会です。なんか寒そうな晩秋の景色ですね(⌒-⌒; )
祭壇左側にある聖母マリア様のご像です。シクラメンの花がキレイですね。
ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と主を讃え、
続いて
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
とお祈りしました。
続いて、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」と祈り、
そして、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人のお二人が癒されるようお祈りしました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』をお祈りしました。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
とお祈りしました。
【シクラメン(学名:Cyclamen persicum)】
サクラソウ科シクラメン属に属する地中海地方が原産の多年草の球根植物の総称です。カガリビバナ(篝火花)、ブタノマンジュウ(豚の饅頭)とも表記されます。日本には明治時代に伝わり、戦後急速に普及して品種改良も進められ、花色も黄色や二色、フリンジ咲き、八重咲きなどが生まれました。日本における鉢植え植物としての栽培量はトップクラスで、冬の鉢植えの代表格として定着していますね。カガリビバナという和名は、この花を見たある日本の貴婦人(九条武子だといわれている)が、「これはかがり火の様な花ですね」と言ったのを聞いた植物学者・牧野富太郎が名付けたそうです。「ブタノマンジュウ(豚の饅頭)」は、植物学者・大久保三郎が英名を日本語にそのまま移し替えた名前でだそうです。シクラメンの「シ・ク」は、「死」と「苦」の語呂合わせや、赤色は血をイメージさせることから、この花を病人への見舞いに供することは縁起が悪いとされているます。要注意ですね。
朝6時30分ごろの成城教会です。なんか寒そうな晩秋の景色ですね(⌒-⌒; )
祭壇左側にある聖母マリア様のご像です。シクラメンの花がキレイですね。
ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と主を讃え、
続いて
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
とお祈りしました。
続いて、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」と祈り、
そして、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人のお二人が癒されるようお祈りしました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』をお祈りしました。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
とお祈りしました。
【シクラメン(学名:Cyclamen persicum)】
サクラソウ科シクラメン属に属する地中海地方が原産の多年草の球根植物の総称です。カガリビバナ(篝火花)、ブタノマンジュウ(豚の饅頭)とも表記されます。日本には明治時代に伝わり、戦後急速に普及して品種改良も進められ、花色も黄色や二色、フリンジ咲き、八重咲きなどが生まれました。日本における鉢植え植物としての栽培量はトップクラスで、冬の鉢植えの代表格として定着していますね。カガリビバナという和名は、この花を見たある日本の貴婦人(九条武子だといわれている)が、「これはかがり火の様な花ですね」と言ったのを聞いた植物学者・牧野富太郎が名付けたそうです。「ブタノマンジュウ(豚の饅頭)」は、植物学者・大久保三郎が英名を日本語にそのまま移し替えた名前でだそうです。シクラメンの「シ・ク」は、「死」と「苦」の語呂合わせや、赤色は血をイメージさせることから、この花を病人への見舞いに供することは縁起が悪いとされているます。要注意ですね。
旧約聖書:箴言・第11章・第2節 [聖書]
「傲慢な者の来る所には屈辱も来るが
謙遜には知恵が伴う。」
『聖書協会共同訳聖書』から
傲慢や高慢はいけないですね~。なぜって「思い上がって人を見下すようになる」からですね。つまりは人間関係や社会秩序を乱して悪くしてしまします。意識して傲慢になっている人よりも、意識せずして傲慢になっている人のほうが多いかもしれません。私もそうなっていないかと………常に気を付けたいことです。謙遜はいいですね。謙遜は和を保ち人間関係を構築しますし、社会秩序を維持します。そのような人には大きな平安があって、いつも側にいて癒されますね。私も謙遜な人間でありたいと思う日々です。
謙遜には知恵が伴う。」
『聖書協会共同訳聖書』から
傲慢や高慢はいけないですね~。なぜって「思い上がって人を見下すようになる」からですね。つまりは人間関係や社会秩序を乱して悪くしてしまします。意識して傲慢になっている人よりも、意識せずして傲慢になっている人のほうが多いかもしれません。私もそうなっていないかと………常に気を付けたいことです。謙遜はいいですね。謙遜は和を保ち人間関係を構築しますし、社会秩序を維持します。そのような人には大きな平安があって、いつも側にいて癒されますね。私も謙遜な人間でありたいと思う日々です。