「待降節」、「降誕祭」そして「降誕節」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

明日11月27日(日)(実質は今日26日(土)の夕刻)から「待降節」が始まります。
今年も「クリスマス = 降誕祭」の正しい知識を学びましょう!
キリスト教カトリック教会では、イエス・キリストの誕生を祝う日である12月25日を「降誕祭(こうたんさい)」と呼んでいます。一般的には「クリスマス」と呼んでいますね。そして、キリスト教会の新年(1年)は「待降節(たいこうせつ)」から始まります。待降節とは、11月30日の「聖アンデレの日」に最も近い日曜日から、降誕祭の前日である24日(一般的には「クリスマスイブ」と呼んでいます)までの約4週間で、最も早い年で11月27日、遅い年でも12月3日に始まります。つまり降誕祭の4つ前の日曜日から、降誕祭を準備する期間に入ります。その期間のことを待降節と呼んでいるのです。この待降節の始まりが、キリスト教の暦では新年の始まりとなります。今年の場合は、11月26日(土)の夕刻前までが2022年で、27日(日)(実質は今日26日(土)の夕刻)から2023年ということになります。

次に「降誕節(こうたんせつ)」とは、イエス・キリストの降誕(主の降誕:12月25日)の“前晩の祈り”で始まり、イエス・キリストの公現(主の復活)後の主日(1月3日~13日の間の日曜日)の期間のことをいいます。日曜日で必ず終わるので、年によっては日が移動し、長い時は2週間と6日(20日間)、短い時で2週間(14日間)となります。
………ということで、今年の待降節が始まるのは、11月30日に一番近くて12月25日の4つ前の日曜日は11月27日(日)となりますから、クリスマス・ツリー、リースや降誕セット(プレセビオ)などの飾り付けを始める日は11月27日(日)となります。そして「公現(「主の復活」来年の1月8日)」の翌日=「主の洗礼」が1月9日(月)となりますから、飾りなどを片付ける日は1月9日(月)となります。日本では12月25日のクリスマス終了と同時にすぐにお正月の飾り付けとなりますから、信徒ではないご家庭は1月9日まで飾っておくのは難しいですね。
◯まとめ(2022年~2023年)
待降節:11月27日(日)~12月24日(土)
降誕祭:12月25日(日)「主の降誕」
降誕節:12月24日(土)「前晩の祈り」~1月8日(日)

降誕祭は、神のひとり子イエス・キリストの誕生を思い起こす日として古代から祝われてきました。イエス・キリストがいつ生まれたかは聖書には何も記載はありません。12月25日がイエスの誕生の日とする最古の記録は、4世紀のローマの「殉教者帰天日表」です。しかし、昔は地方によって1月6日に祝っていました。ちなみにロシア正教会は、今でも1月はじめにイエス・キリストの降誕を祝います。3月だという説もあります。ではなぜ、クリスマスは、12月25日に祝われるようになったのでしょうか?次の説が、有力であるといわれています。それは、昔むかしローマ帝国内では、太陽崇拝が広く行われていました。ローマ暦では12月25日が冬至で、この日を太陽誕生の祝日として祝っていたそうです。教会はこの祭日を取り入れ、「正義の太陽」であるイエス・キリスト誕生の日として祝うようになったそうです。

さて、日本では、キリスト教を信仰している・していないに関わらず、クリスマス・ツリーとリースくらいの飾り付けはしますが、欧米のカトリック教会やその影響の強い国々では、イエス・キリスト誕生の場面を“人形”で再現します。「ルカによる福音書」では、生まれたばかりのイエス・キリストを布に包んで「飼い葉桶に寝かせた」と書いてあり、これを「飼い葉桶」の意味から、イタリア語で「プレセピオ」、フランス語で「クレッシュ」、ドイツ語で「クリッペ」、英語で「クリブ」、スペイン語で「ベレン」と言います。日本では、一般的に“降誕セット”と呼んでいます。………ということで、11月27日(日)に飾りつけしましょう!

昨年、職場のカウンターに飾ったプレセピオです!手前にプレセピオの説明書きを貼りました。
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一昨年、自宅の自室にあるテーブルの上に飾ったプレセビオです。
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自宅用の多くはミニチュア(写真)で、教会によっては実物大の人形と小屋が仮設されることもあります。写真左の我が家の“降誕セット(プリセピオ)”を説明しますと、左から天使のお告げを聞いてやって来た子羊を抱いた羊飼い、足下には牛と羊、その右側には父親のヨセフ、その右側に天使、天使の前には飼い葉桶、その右側に母親である聖母マリア、その右側に東方の3人の博士(占星術の学者)と載ってきたラクダ(本当は3頭)があります。3人の博士は、黒人、白人、黄色人となっています。
ところで、生まれたばかりの赤ちゃんのイエス・キリストは飼い葉桶にはいません!
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なぜか?そうです!それはまだお生まれになっていないからです!お生まれになる12月24日から25日になってすぐの夜中に飼い葉桶に寝かせます。この習慣は世界共通です。ちなみに、居間に飾るクスマス・ツリーと玄関の扉に飾り付けるリースは、お約束の11月27日(日)に飾ります!
下の写真ですが、お生まれになるまでは、聖母マリア様の御像の前でおやすみです!
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イエス様がお生まれになった場所は、馬小屋が通説となっていますが、このプレセビオには馬はいません。牛とロバはいます。新約聖書の福音書には根拠となる記載はありません。旧約聖書の「イザヤ書」の第1章・第3節に、「牛は飼い主を知り、ロバは主人の飼い葉桶を知っている。しかし、イスラエルは知らず、わたしの民は見分けない。」とあり、ここから採られているのですね。また、欧米の教会では、小屋(日本語では「厩」もしくは「馬小屋」と書きますが、家畜小屋と考えたほうがいいでしょう)としての伝承が通例ですが、キリスト教正教会では洞窟と伝承され、イコンにもそのように描かれています。新約聖書の外典である「ヤコブ原福音書」には洞窟で産まれたと書いてあります。絵画がありますね。

新約聖書の福音書での根拠となる記載は次のとおりです。
◯新約聖書:「マタイによる福音書」第2章・第1~第11節
「さて、イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、東方の博士たちがエルサレムに来て、尋ねた。「お生まれになたユダヤ人の王は、どこにおられますか。わたしたちはその方の星が昇るのを見たので、拝みに来ました」。これを聞いたヘロデ王はうろたえた。エルサレムの人々もみな同様であった。 王は祭司長や民の律法学者たちをすべて集めて、メシアはどこに生まれるのかと問いただした。彼らは答えた、「ユダヤのベツレヘムです。預言者が次のように書き記しています。
『ユダの地ベツレヘムよ、
お前はユダの氏族の中で、
決して最も小さいものではない。
お前から一人の統治者が出て、
わたしの民イスラエルを牧するからである。』」
そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼び寄せて、星が現れた時期を確かめた。そして、彼らをベツレヘムに送り出すにあたって言った。「行って、その幼子を丹念に探し、見つけたら、わたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行きたいから」。王の言葉を聞いて、彼らは出かけた。すると、彼らがかつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、幼子のいる場所まで来て止まった。彼らはその星を見て、非常に喜んだ。家の中に入ってみると、幼子が母マリアとともにおられた。彼らはひれ伏して幼子を礼拝した。そして宝箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

◯新約聖書:「ルカによる福音書」第2章・第1~第20節
「そのころ、皇帝アウグストゥスによって、全世界の住民に登録をせよとの勅令が発布された。この登録は、キリニウスがシリアの総督であった時に行われた、最初のものであった。人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰ったいった。ダビデ家とその血筋に属していたヨセフも、すでに身籠っていたいいなずけのマリアを伴って、登録のために、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。ところが、二人がそこにいつ間に、出産の日が満ちて、マリアは男の初子を産んだ。そして、その子を産着にくるみ、飼い葉桶に寝かせた。宿屋には、彼らのために場所がなかったからである。
さて、その地方では、羊飼いたちが野宿をして、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が羊飼いたちのそばに立ち、主の栄光が彼らの周りを照ら出したので、彼らはひどく恐れた。天使は言った。「恐れることはない。わたしは、民全体に及ぶ、大きな喜びの訪れを、あなた方に告げる。今日、ダビデの町に、あなた方のために、救い主がお生まれになった。この方こそ、主メシアである。あなた方は、産着にくるまれて、飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見出すであろう。これが徴である」。 すると突然、み使いに天の大軍が加わり、神を賛美した。
「いと高き天には、神に栄光、
地には、み心にかなう人々に平和」。
み使いが離れて天に去ると、羊飼いたちは語り合った、「さあ、ベツレヘムへ行って、主が知らせてくださった、その出来事を見て来よう」。そして、彼らは急いで行き、マリアとヨセフ、そして飼い葉桶に寝ている乳飲み子を捜しあてた。それを見た羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを、人々に知らせた。羊飼いたちが語ったことを聞いた人々はみな不思議に思った。 しかし、マリアはこれらのことをことごとく心に留め、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことが、ことごとく告げられたとおりだったので、神をほめたたえ、賛美しながら帰っていった。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
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