教会日記2021.1.15(カトリック成城・聖タデオ教会「平日のミサ」金曜日) [教会日記]

今日は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会の7時からの平日のミサに与りました。緊急事態宣言が再発出され、カトリック教会の東京大司教様から「各教会でのこれまでの感染対策を見直して徹底すること。」と厳しく求められ、私が所属するカトリック成城教会も、主任司祭から「ミサの出席回数を半減しなさい。」と指示がありました。そこで「平日のミサ」は火曜日、金曜日の2日間、「主日のミサ」は日曜日だけとし、合計3日間にすることにしました。

ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんが健康な身体になり、元気に学校に通えるようお祈りしました。
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「アーメン」のお話し [祈り]

久しぶりに「“アーメン”ってどういう意味なの?」と聴かれました。このブログに以前に何回か掲載しましたが、クリスチャンは、お祈りの最後に「アーメン」と唱えます。この「アーメン」は、「まことに、そのとおりです。」又は「そうなりますように。」という意味です。いろいろな祈祷文(きとうぶん:お祈りの言葉)の最後につけられます。

例えば、「主イエス・キリストの平安と豊かな恵みが皆さんにありますように。アーメン」とお祈りしたとします。この場合、意味は「…………恵みが皆さんにありますように。そうなりますように。」ということになります。「そうなりますように。」の部分が「アーメン」です。念押しをしているような感じもありますが、ちゃんと意味があるのです。

「アーメン」は、へブライ語(パレスチナ、イスラエル辺りの言葉)の「アーマン」という言葉から派生した言葉で、キリスト教の信徒は昔から「アーメン」と唱えていました。それは、ミサなどで司祭や信徒の代表者の祈りに、自分達も心を合わせて祈りの主旨に賛同していることを表明するために、「そうです。そのとおりです。」という意味で「アーメン」と唱えていたそうです。旧約聖書には、「アーメンである神」という言い方が神に対してなされています。これは、「私達の神は、決して約束を違えることはない方」ということを表現しているとのことです。

新約聖書を読んでいると、イエス・キリストが大切なことを使徒(弟子)達に伝えようとする時、「これから話すことは重要なことなのですよ。」ということを分からせるため、「はっきり言っておく。」とか「あなた方によく言っておく。」と訳されている言葉が出てきます。これが「アーメン」という意味です。例えば、「はっきり言っておく。隣人には愛をもつように。」は、「アーメン。隣人には愛をもつように。」となります。信徒として、この「アーメン」の言葉を唱えることは、大変重要な深い意味をもっており、祈りの中でも一番短い“信仰告白”だと言えます。
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