「万巻の書を読むよりは、聖書と祈りに専念すべし」のお話し [キリスト教と読書]

写真は、私の自室(書斎兼寝室)の書棚です。
このブログの2017年6月23日の記事に書きましたが、現在、キリスト教関係書籍が約500冊(前回の記事では約300冊)ほどあります。洗礼を受ける前年(2011年)に教会で入門講座を受講しているころから、キリスト教関係書籍を読み続けています。しかし、約300冊ほど読んだところで分かりかけてきたことは、「たくさんの本書を読むことよりも、聖書と祈りに専心したほうが良いのではないか。」ということでした。当時は、クリスチャン初心者でしたから、関係書籍を読むことでキリスト教とカトリック教会のことを理解しようとしていました。
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やはりイエス・キリストの聖句(教え)が載っている聖書を読むことは基本中の基本ですよね。聖書の理解なしには信仰はありえませんし、祈りに専心しなくてはこれもまた信仰しているとはいえないのではないかと思います。決して読書による知識理解を否定するものではありませんが、それよりも大切なことは、聖書を読むことと祈ることだと思います。私は毎日の日課として、①起床しての「朝の祈り」、②通勤時の「ロザリオの祈り」、③職場に着いて「始業の祈り」、④退勤する時に「終業の祈り」、⑤就寝する前の「感謝の祈り」、そして、⑥聖書を必ず1章読んで寝ます。帰宅するのがどんなに遅くなり、午前様になって睡眠時間が短くなっても、必ずお祈りしてから聖書を1章読みます。

ただ、聖書を読んで、お祈りすればよいということではありません。義務的な形骸化したお祈りでは、聖書に出てくる律法学者やファリサイ派の人たちとなんら変わりがないですよね。やはり心を謙虚にして、回心の気持ち、感謝の気持ちをもってお祈りすべきですし、聖書も気持ちを込めて読まないと理解できないですね。でも、まず大切なことは実践することです。
「万巻の書を読むよりも、聖書と祈りに専心すべし。」私の名言です!
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