教会日記2021.1.5(カトリック成城・聖タデオ教会「平日のミサ」火曜日) [教会日記]

今朝は、カトリック成城・聖タデオ教会の7時からの平日のミサに与りました。ついに緊急事態宣言が7日にも再発令されますね。約1ヶ月とのことですが、私の職場である大学(中学・高校を含め)は閉鎖にはならないということで安堵しております。いずれにしても不要不急の行動は自粛しなければなりません。そして、私たちの信仰生活も心配です。条件付き公開ミサは継続してもらいたいのですが、東京大司教様はどのようにご判断されるか注目ですね。

ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんが健康な身体になり元気になるようお祈りしました。
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チェーホフのことば(第4日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「老人の厭世主義は外部からひょっこりやってくるのではなく、自分自身の頭脳の奥深いところからくるのだ。散々苦しみ、数え切れないほどの過ちをしでかした後、下から上までの全階段を上り終わった時に、初めてやってくるのだ。」

チェーホフのことは、は、「チェーホフのことば(第1日目)2021.1.3」をご覧ください。
「厭世主義(えんせいしゅぎ)」とは、物事を悲観的に考える傾向のこと。悲観主義ともいいます。哲学的には、世界(人生・歴史)は不合理・無意味であり、それを変えることはできないとみなす態度のことです。老齢とか高齢の域に達すると、豊富な知識と一般的に成功体験よりも多い失敗体験が蓄積し、それが自身の判断基準なり行動規範となるため、残りの寿命のことを考えると一種の「あきらめ」モードになるのですね(⌒-⌒; ) それでも人生はまだまだこれからですぞ!明るい未来は若者だけでなく、老齢の身にもあるのです!
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