2021年2月の訪問教会・支援活動記録 [訪問教会・支援活動記録]

今月は緊急事態宣言が3月7日まて延長され、「条件付き公開ミサ」は継続となりました。大司教様から「各教会でのこれまでの感染対策を見直して徹底すること。」と厳しく求められ、私が所属する成城教会は、1月11日(月)から平日のミサは火曜日と金曜日の2日となり、主日のミサは土曜日の16時からと日曜日は10時と14時になりました…………ということで、主日のミサは土曜日の16時又は日曜日の14時から、平日のミサは火曜日と金曜日とし、合計3回のミサに与ることにしていましす。2月は28日間ある中の12日間( 42.8%)を1つの教会・修道院に12回訪問し、12回ミサに与ってご聖体を拝領させていただきました。また、ホームレス支援活動は2回参加しました。

1日(月)………
2日(火)成城教会:平日のミサ・7時から
3日(水)………
4日(木)支援活動:山谷夜回りの会・19時30分から
5日(金)成城教会②:初金のミサ・7時から
6日(土)………
7日(日)成城教会③:主日のミサ・14時から
8日(月)………
9日(火)成城教会④:平日のミサ・7時から
10日(水)………
11日(木)………
12日(金)成城教会⑤:平日のミサ・7時から
13日(土)成城教会⑥:主日のミサ・16時から
14日(日)………
15日(月)………
16日(火)成城教会⑦:平日のミサ・7分から
17日(水)成城教会⑧:灰の式・7時から
18日(木)支援活動②:山谷夜回りの会・19時30分から
19日(金)成城教会⑨:平日のミサ・7時から
20日(土)成城教会⑩:主日のミサ・16時から
21日(日)………
22日(月)………
23日(火)………
24日(水)………
25日(木)………
26日(金)成城教会⑪:平日のミサ・7時から
27日(土)成城教会⑫:主日のミサ・16時から
28日(日)………
以上です。
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『ロザリオを祈る心を深める祈り』 [祈り]

毎日、朝の通勤電車の中で『ロザリオの祈り』を唱えています。写真は、もう何年も使っている木製の珠に聖ベネディクトのメダイがついたロザリオです。いつもワイシャツの胸ポケットに入れておき、時間のある時にいつでもお祈りできるようにしています。魔除けにもなっていますね( ̄▽ ̄;) カトリック教会の信徒にとっては、『ロザリオの祈り』は重要なお祈りとなります。大切なことは毎日お祈りすることです。今日は、そのロザリオの祈りを深めるためのお祈りをご紹介いたします。
聖ベネディクトのロザリオ.jpg
「父である神よ、
あなたは、おとめマリアを御子(おんこ)の母としてお選びになり、
救いの御業(みわざ)の協力者にしてくださったことを感謝いたします。
ロザリオの祈りをとおして、
聖母マリアと共に主イエス・キリストを迎える私(私達)に、
あなたの恵みを絶えず願い求め、
御子の命にあずかる恵みをもたらすようにお助けください。
教会の母、聖母マリア、ロザリオを唱える私たちを護り、
特に、困難な時、また臨終の時に、私たちのためにお取り次ぎください。
アーメン」

◯「聖母マリアからロザリオを祈る人々への15の約束」のお話し
聖母マリア様が、聖ドミニコと福者アランに、ロザリオを祈る人々へ約束された「15の約束」を掲載いたします。これを読んだらロザリオの祈りをしないわけにはいかないですね。毎日お祈りしたくなること間違いなしです!なお、聖ドミニコのことは、このブログの2020年8月8日に掲載した「聖ドミニニコのお話し」をご覧ください。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2020-08-08

『聖母マリアからロザリオを祈る人々への15の約束』
1.ロザリオを熱心に唱えた全ての人に、私は特別な保護と豊かな恵みを約束します。
2.ロザリオを忍耐強く、繰り返し唱える人は顕著な恵みを受けるでしょう。
3.ロザリオは地獄に対する力強い武器になるでしょう。ロザリオは悪をくだき、罪から救い異端を追い払うでしょう。
4.ロザリオは徳と善業を行わせ、最も豊かな神の慈しみを注ぎ、世を愛するよりも神を愛させ、天国の永遠の富を望むよう魂を高めるでしょう。ああ、それらの魂がロザリオによって、自分を聖化しますように!
5.ロザリオを通して、私に自分をゆだねる人は滅びないでしょう。
6.それぞれの玄義を黙想しながら、ロザリオを信心深く唱える人は、不幸に打ち負かされる事も、不幸な死を迎える事もないでしょう。罪人は回心し、正しい人は恵みのうちに成長し、永遠の生命にふさわしい者となるでしょう。
7.ロザリオの信心に熱心な人は、教会による慰めや恵みなしに死ぬ事はないでしょう
8.ロザリオを唱える人は生きている間も、死に臨んでも、神の光、神の恵みに満たされ、祝福された者の功徳にあやかる者となるでしょう。
9.私はロザリオの信心に熱心な霊魂を煉獄から速やかに救うでしょう。
10.私のロザリオによって、本当の子供となった人は、天国ですばらしい栄光を受けるでしょう。
11.ロザリオを通して、あなたが願う事をあなたはきっと得るでしょう。
12.ロザリオを広める人々は、自分が必要とするあらゆる時に、私を通して助けを得るでしょう。
13.ロザリオによって結ばれた仲間が、生きている時も死んだ時も、天国の聖人と親しい交わりを持つ事が出来る様に、私は我が子イエズスを通して恵みをいただきました。
14.ロザリオを信心深く唱える人は、すべて私の愛しい子供たちで、イエズス・キリストの兄弟、姉妹なのです。
15.ロザリオの信心は、天の国に入る約束の特別なしるしなのです。
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教会日記2021.2.27(カトリック成城・聖タデオ教会「主日のミサ」土曜日) [教会日記]

今日は、土曜日の勤務免除で仕事はお休みでしたが、13時30分から職場関係の重要な会議があり、終わってからカトリック成城・聖タデオ教会の16時からの「主日のミサ」に与りました。間に合うか心配でしたが時間的に余裕で間に合いました。先々週から「主日のミサ」は毎週土曜日に与ることにしました。緊急事態宣言が再発出されてから、ミサ中に聖歌は歌わないことになり、日曜日の「主日のミサ」での聖歌隊の奉仕活動がなくなったため、土曜日の「主日のミサ」に与ることにしました。

ミサは、いつものように3蜜を避けるため、ソーシャルディスタンスで入堂制限があります。普段は200人以上入れる聖堂ですが、今は47人しか入れません。ですから、聖堂に入れない人のために、信徒館でスクリーンで映してオンラインミサに与る(42人)対策をしています。 また、マスクの着用はもちろんのこと、聖堂(信徒館)入口の受付でカードに氏名と電話番号の記入と手の消毒があります。
そして、緊急事態宣言の再発出を受けて、東京大司教様から「各教会での感染対策を見直し、徹底するように」と求められ、1月16日(土)から3月28日(日)まで、主日のミサは、土曜日16時・日曜日9時30分・日曜日14時となり、平日のミサは、火曜日と金曜日の7時からになりました。なお、ご高齢の皆様のために、毎週金曜日10時に行なってきた「言葉の祭儀と聖体拝領」は引き続き行われています。

ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
とお祈りしました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、仕事の同僚と同じ病の私の親しいご婦人の二人の病気が癒されますようにお祈りしました。
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新約聖書:マタイによる福音書・第19章・第16〜第26節 [聖書]

「さて、一人の人がイエスに近寄って、「先生、永遠の命を得るためには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」と言った。イエスは仰せになった。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はただおひとりである。もし命に入りたいなら、掟を守りなさい」。彼が「どの掟ですか」と聞くと、イエスはお答えになった。
「殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
偽証してはならない。
父母を敬いなさい。
また、隣人を自分のように愛しなさい。」
この青年はイエスに答えた、「わたしはそれらをみな守っています。まだ何か欠けていることがありますか。」イエスは仰せになった、「もし完全になりたいのなら、帰って、あなたの持ち物を売り、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を蓄えることになる。それから、わたしに従いなさい。」この言葉を聞いて、青年は深く悲しみながら立ち去った。多くのの財産を持っていたからである。
そこでイエスは弟子たちに仰せになった、「あなた方によく言っておく。金持ちが天の国に入るのは、難しいことである。重ねて、あなた方に言っておく。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通る方が易しい。」これを聞いた弟子たちは、非常に驚いて言った。「それでは、いったい誰が救われるのだろう」。イエスは弟子たちをじっと見つめて、仰せになった、「これは人にはできない。しかし、神にはすべてのことがおできになる」。
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

この聖書の聖句(イエス・キリストの言葉・聖書の言葉)は、ある青年がイエス・キリストに「永遠の命を得る方法(=天国に入る方法)」を聴いています。イエス・キリストの回答は「財産を売り払い、そのお金で貧しい人々を施しなさい。」というものです。しかも、「金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」と弟子たちに厳しく諭しています。

上記の聖句の前に、同じマタイによる福音書の第6章・第19~第21節に「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」とやはり冨について語っています。

イエス・キリストは、お金儲けをして富を築くことを戒めているのです。金欲は、そのほとんどが我欲です。我欲のためのお金儲けはいけないということです。お金の我欲=誘惑は、そのほとんどが罪に陥りやすいのです。ですから、余剰のお金のある人は、日々の生活に困っている人たちに施すこと。善い行いをして「善」を積みなさいということですね。ただし、まったくお金儲けをしてはいけないということではありません。

労働に対価する賃金をもらうこと(稼ぐこと)は当然のことですね。日々の生活に必要な家族を養うなどの資金を稼ぐこと、災害で困っている人たちを助けるためのボランティア活動資金を稼ぐなど、そのような必要なお金を稼ぐことであればいいのです。ただ、我欲のみの贅沢な生活をするためだけのお金儲けはいけないと説いておられるのです。やはり、余剰のお金(財産)があるのなら、貧困にあえいでいる人々に施さなければなりません。善い行いをして「善を積みなさい」ということをイエス・キリストは教えておられるのですね。
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職場のデスク:その134(ハンドクリーム!) [職場のデスク&カウンター]

職場で使っているアルガン油から作られたハンドクリームです。昨年、ポーランドに旅行されたとってもお美しいご婦人から、お土産としていただきました。この季節は重宝します。香りの良いハンドクリームです。
IMG_1524.jpg
【Argan・oil(アルガン油)】
「アルガン油は、広葉常緑樹のアカテツ科のアルガンノキ属に属する唯一の種であるアルガンノキ(Argania spinosa)から採取される。伝統的には、アルガンノキの付ける硬い種子を石で割り、ペースト状にすり潰してから搾油するという、非常に手間が掛かる工程を経て製造される。かつては家内制手工業で限定的に生産されてきたが、消費量が拡大するにつれ、アルガンの自生地であるモロッコ南西部のアガディールを拠点とした生産組合が増加している。」(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から)
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今日の2021.2.26(しだれ梅!) [日記]

今年も<しだれ梅>がキレイに咲きました!これは、世田谷キャンパス構内にある国士舘創立100周年を記念して3年前に植樹された梅木です。町田キャンパスには白梅、多摩キャンパスには紅梅の木があります。いずれも福岡県太宰府市にある太宰府天満宮から、天満宮が育成した梅木を寄贈されました。太宰府は、国士舘創立者である柴田徳次郎(正四位・勲二等瑞宝章・経済学博士)の生まれ故郷でもあります。
右側の写真は、記念のプレートです(説明書き)
紅梅1.jpg紅梅2.jpg
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教会日記2021.2.26(カトリック成城・聖タデオ教会「平日のミサ」金曜日) [教会日記]

今日は、指定休で仕事はお休みです(17時30分から会議があるため16時には出勤します)。今朝は、カトリック成城・聖タデオ教会の7時からの平日のミサに与りました。少し暖かくなってきたかなと思っていたら、一昨日からまた寒さが厳しくなりましたね。「四旬節」に入り、いつもに増して祈りに専心し、積極的に愛徳の業を行い、毎日の生活で節制するようにしなければなりません。日々の信仰生活を充実したものにしましょう。

成城教会にある「河津桜(かわづさくら)」です。もう満開ですね。花期が早い桜として知られています。
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ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人の二人が癒されるようお祈りしました。
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旧約聖書:詩編・第38編 [聖書]

「主よ、怒って私を責めず
憤って私を懲らしめないでください。
あなたの矢が私を射抜き
あなたの手が私の上にの降りて来ました。
あなたの憤りのために
私の肉体に健やかなところはなく
私の罪のために、骨に安らぎはありません。
私の過ちは頭を越えるほどにもなり
重い荷物のように重くのしかかります。

私の傷は、愚かな行いのために
膿んで悪臭を放ちました。
私は身をかがめ、深くうなだれ
日夜、打ちしおれて歩き回りました。
私の腰はただれにただれ
体に健やかなところはなくなりました。
私は力を失い、いたく打ち砕かれ
心は呻き、うなり声をあげるだけでした。

わが主よ
私の望みはすべてあなたの前にあります。
嘆きもあなたから隠されてはいません。
心は動転し、私の力も私を見捨て
目の光も私から離れ去りました。
愛する者も友も病の私から離れて立ち
親戚の者も遠くに立ちました。
私の命を狙う者は罠を仕掛け
私の災いを求める者は破滅を語り
日夜、欺きを口にします。
私は聞こえる者のように聞かず
黙する者のように口を聞きません。
聞くこともせず
抗議も口にしない人のようになりました。
主よ、私はあなたを待ち望んでいました。
わが主、わが神よ、あなたは答えてくださいます。
私は言いました。
「私のことで彼らが喜ばないように」と。
私の足が揺らぐと
彼らは私に尊大に振る舞いました。

私は今にも倒れそうです。
常に痛みが私の前にあります。
私は自分の過ちを告げ
罪のためにおびえます。
私の敵は意気盛んで、数を増し
私を憎む偽り者が増えています。
善に悪をもって報いる者が
善を求める私を訴えます。
主よ、私を見捨てないでください。
わが神よ、私から遠ざからないでください。
急いで私を助けに来てください。
わが主、わが救いよ。」
「聖書協会共同訳 聖書」から

この詩編の第38編は、病気に苦しむ人の嘆きの詩編です。昔は不治の病といわれていた病気が、今では医療技術の発達・発展により、ある程度の病気は完治するようになってきました。しかし、いくら進歩しても、直らない病気はまだまだあります。これは、誰の人生にとっても避けられない深刻な問題です。ここに書かれていることは、病人が唱えた極めて敬虔な信仰を持った信徒の祈りです。病気を表現しながら罪を表現し、罪を表現しながら病を表現し、病の重さと共に罪の重さが表現されています。
それだけにこの詩編は、今日の私達にも病気とは何なのかということを考えさせられます。旧約聖書の詩編は、イエス・キリストもお祈りになったのです。でも、イエス・キリストは病気になったりしませんので、第38編ではお祈りしていないですね………(⌒-⌒; ) 皆さんも病気になった時は、是非ともこの詩編の第38編で祈ることをお勧めいたします。
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新約聖書:ルカによる福音書・第18章・第9〜第14節 [聖書]

「自分を正しい人間と思い込み、ほかの人をさげすむ人々に、イエスは喩え(たとえ)を語られた。
二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人であった。ファリサイ派の人は胸を張って立ち、心の中でこう祈った、『神よ、わたしがほかの人たちのように、略奪する者でも不正な者でも、姦淫を犯す者でもなく、またこの徴税人のような者でもないことを、あなたに感謝いたします。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を収めています』。ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った、『神よ、罪人であるわたしを憐れんでください』。
あなたがたに言っておく。義とされて家に帰ったのは徴税人であって、ファリサイ派の人ではない。誰でも自ら高ぶる者は下げられ、自らへりくだる者は上げられる。」

【徴税人】
当時のユダヤ地方(現在のシリア、ヨルダン、イスラエル辺り)を属州として支配していたローマ帝国(ローマ人)のために、税金の取り立てを請け負ったユダヤ人のことです。自分たちを支配するローマ人(異邦人)のために、同胞のユダヤ人から税を取り立て、定められた額より多く搾取するなど、同胞のユダヤ人から憎まれて「罪人」として嫌われていました。
【ファリサイ派】
ユダヤ教の指導者の一派で、律法を厳格に守り、細部に至るまで忠実に実行することによって神の正義の実現を追求しているつもりですが、その実は形式主義に陥り、人間が作った掟を大切にして神の教えをないがしろにしている人達のことです。偽善者ですね。また、自分達イスラエル人は、神に選ばれた唯一の民族で、神様との特別な契約を結んだ“神の民”であり、救いは“神の民”だけのものだと信じている人たちでした。ですから、イスラエル人でない異邦人は、神様の救いから除外されていると見下していました。新約聖書に登場する律法学者や祭司長なども同類の人たちです。

この聖句には、祈るために神殿に上がった2人の人が登場しています。1人はファリサイ派の人で、もう1人は徴税人です。ファリサイ派の人は市民から社会的に認められている地位のある人ですが、徴税人は、異邦人で支配者であるローマ帝国(ローマ人)に協力し、税金を多く搾取することで市民から嫌われ憎まれていました。ところが、『神よ、罪人であるわたしを憐れんでください』と言葉少なく、正直に謙虚にお祈りした徴税人の方が、神様から赦されて祝福を受けて家へ帰ったのです。偽善者のファリサイ派の人も、まったく誉められた人間ではありませんが、なにか不公平な感じがしないわけではないですね。

しかし、イエス・キリストが私たちに教えてくださることは、「神にその赦しと祝福を受けて愛されることの妨げになるのは、私たちの『罪そのものよりも傲慢な心』である。」と、はっきりと教えてくださっています。つまり、人々に認められ地位のあるファリサイ派の人たちでも、自惚れた傲慢な心(偽善者の態度)で祈っていては救われないのです。たとえ人々から罪びとと罵られていても、徴税人のように神様に対して素直で謙虚になって祈れば救われるのです。私たちも日々犯した罪の赦しを願うのであれば、その前に私たちの心にある<傲慢な心>を取り除かなければなりません。謙虚になって祈りましょう。
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新約聖書:ヨハネの手紙一・二・「反キリスト」のお話し [聖書]

キリスト教の信徒であれば、一度は「反キリスト(アンチキリスト:Antichrist)」という言葉を聞いたことがあると思います。これは、イエス・キリストに偽装して、イエスの教えに背く者、人を惑わす者のことです。新約聖書の『ヨハネの手紙一』と『ヨハネの手紙二』に書かれています。
◯ヨハネの手紙一・第2章・第18節
「今は終わりの時です。反キリストが来ると、あなたがたはかねて聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。このことから、今が終わりの時であることがわかります。」
同・第2章・第22節
「偽り者とは、イエスがキリストあることを否定する者でなくて、誰のことでしょうか。御父と御子を否定する者、これこそ反キリストです。」
◯ヨハネの手紙二・第1章・第7節
「人を惑わす者が大勢世に出ていったからです。彼らは、イエス・キリストが肉体をとって来られたことを告白しません。こういう者は人を惑わす者であり、反キリストです。」

イエスがキリストであることを否定する者を反キリストであるとしています。キリスト教の終末論においては、真実に対極し、神から出ているものではない悪魔(サタン)の具現化であると解釈され、〈最後の審判〉の際に苦しみが与えられるとされ、救いは決して得られないとされています。
毎日の日課である祈りに励み、『使徒信条』のとおり父である神、子てあるイエス・キリスト、父と子から出る聖霊が、唯一の神であると信じ言い表すことが、信徒として信仰の証となります。ここが重要なところです。悪魔(=悪い行いをしようとする意思)は、明確に信仰を告白せず、祈りに不熱心な信徒の心の隙に入りやすいのです。毎日のお祈りで、しっかりと『使徒信条』を唱えて信仰告白し、熱心に祈ることで悪につけ入る隙をあたえず、悪への誘惑に打ち勝つことができるのです。
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