「聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士」のお話し [聖人・福者・尊者]

昨日の1月24日(日)は、聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士(フランス:1567年~1622年)の記念日でした。事前に記事を用意してあったのですが掲載することを忘れていました!Σ( ̄ロ ̄lll) 聖フランシスコ・サレジオ司教様、お赦しください!…………ということで、一日遅れになりましたが、「聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士のお話し」を掲載いたします( ̄▽ ̄;)

サレジオは、ジュネーヴ(現スイス)の司教で、カトリック教会と聖公会での聖人となっています。17世紀の宗教改革の困難な時代にあって、カトリック教会の司牧者として大きな働きをしました。著作をよくしたことから作家、ジャーナリストの守護聖人となっています。著作としては「信心生活入門」などが有名ですね。貧者の友としても知られています。1622年12月28日、サヴォイア公の随員として訪れたパリで客死。長く活躍したアヌシーに葬られ、今でもその墓がアヌシーにあります。1661年に列福、1665年に列聖、1877年には教皇ピウス9世によって「教会博士」の称号を与えられました。
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サレジオは、イタリア語で「サール(地名)Salesの」という意味です。彼はサヴォイア地方の貴族の家に生まれ、自由学芸を修めたあとでアヌシーや名門パリ大学で法学を学んでいましたが、周囲の期待を裏切って世俗の栄達を捨ててカトリック教会の司祭になる道を選びました。
宗教改革期、ジュネーヴはカルヴァン派の拠点となっていたため、カトリックのジュネーヴ司教は(現南フランスの)アヌシー滞在を余儀なくされていました。この時代にジュネーヴ司教となったサレジオは、困難な状況にあっても熱心な説教やわかりやすく書かれた著作によって活躍し、優れた精神的指導者として名声を得ました。1610年には霊的指導者をしていたシャンタルの聖フラシスカと共に女子修道会「聖母訪問会」を設立しました。
19世紀、北イタリアのトリノで活躍した司祭ヨハネ・ボスコは自らの修道会の名前を聖フランシスコ・サレジオにちなんでサレジオ会と命名しました。これはフランシスコがサヴォイアゆかりの聖人であるだけでなく、彼の柔和な人柄、著作による宣教活動、貧しい人々への共感などにヨハネ・ボスコが大きな影響を受けていたからでした。
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「使徒聖パウロの回心」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日1月25日は、「使徒聖パウロの回心」の祝日です。パウロの回心のお話しの前に、まずは新約聖書の「使徒言行録」に記載されている事がらを語源とする「目からウロコが落ちる。」のお話しから説明いたしましょう。
”ことわざ”としての意味は、「あることをきっかけとして、急に物事の真相や本質が分かるようになる」ということですね。これは、新約聖書の使徒言行録の第9章・第3~第18節に記載されているお話しが“目からウロコ”の語源となったのです。少々長くなりますが掲載しますね。

◯新約聖書:使徒言行録・第9章・第3〜第18節
「ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いた。『主よ、あなたはどなたですか』と言うと、答えがあった。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。』同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。
ニコラス・バーナード(フランス:1733~1784)「聖パウロの回心」
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サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主が、『アナニア』と呼びかけると、アナニアは、『主よ、ここにおります』と言った。すると、主は言われた。『立って、<直線通り>と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。』しかし、アナニアは答えた。『主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。』

すると、主は言われた。『行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。』そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。『兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。』すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。」

これは、イエス・キリストの使徒(弟子)である聖パウロ(当時はサウロと名乗っていた)に起こった出来事に由来しており。本来は「誤りを悟り、迷いから覚める意味」で使われていました。イエス・キリストの死後、聖パウロは当初、ユダヤ教徒としてキリスト教徒を捕まえて牢獄に送る役をしていた“キリスト教徒を迫害する側の人間”でしたが、このようにして、キリスト教徒を迫害する側から、洗礼を受けてキリスト教を信仰し、福音を述べ伝える側へと正反対に“激変”したのです。そして、この聖パウロがユダヤ人以外のギリシャ人やローマ人などの異邦人と言われる人々に福音宣教したことが、キリスト教が全世界に広まった理由なのです。キリスト教の興隆は、聖パウロの功績が大きいのです。
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