「レクイエム」のお話し [キリスト教と音楽]

今日は、お正月元旦でした。30日から泊まりに来ていた娘夫婦と家族4人で新年を迎えてお節料理でお祝いし、食べて呑んで騒いで夕刻になり、妻が娘夫婦を車で大森海岸のマンションまで送りました。(ちなみに妻はお酒は呑んでいません!念のため)その留守番の時間に久しぶりにレクイエムを聴きました。お正月早々から〈レクイエム=死者のためのミサ曲〉もどうかな?と思いましたが、私が静かに聴いて癒される曲の一つがフォーレ作曲のレクイエムなのです。そこで、今夜は「レクイエム」についてお話しいたします。このブログの2016年6月26日に掲載した記事を一部修正して再掲いまします。

「レクイエム(ラテン語: Requiem)」は、ラテン語で「安息を」という意味の語で、次の意味において使われています。
1 死者の安息を神に願うキリスト教カトリック教会のミサ。“死者のためのミサ”という意味ですね。
2 上記のミサで用いる聖歌のこと。またそれに想を得て作られた楽曲。「死者のためのミサ曲」などと訳されます。
3 宗教的な意味を離れて、単に「葬送曲」又は「死を悼む」という意味でレクイエムという語が使われています。

上記1番のミサは、仏教でいうお葬式のことですね。そして2番は、そのお葬式の音楽ということです。ところで、たくさんの作曲家がレクイエムを作曲していますが、特に有名なのは“三大レクイエム”といわれるモーツァルト、ヴェルディ、フォーレの3人が作曲したレクイエムです。そこで、お勧めCDをご紹介します。ヴェルディのCDだけは紹介していません。もしもお聴きになるのでしたら、レクイエムの中の「怒りの日」を聴いてください!YouTubeで聴けます。ものすご~く恐ろしい怖い曲で、そのまま地獄に落とされそうになります( ̄◇ ̄;)

写真は、左がフォーレ、真中上がヴェルディ、右がモーツァルトのCDです。フォーレとモーツァルトのCDは下に詳しく説明します。ヴェルディのCDは、カラヤン指揮のウィーン・フィルです。
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私が思うに、ヴェルディのレクイエムは、全般的に”歌劇的”な感じがしてどうしてもレクイエムという感じはしません。一般的にモーツァルトのレクイエムは一番有名ですね。”レクイエムと言えばモーツァルト”みたいなところがあるほどです。私も好きなのですが、私が自分の葬儀を行う教会で流してもらいたいと希望する曲は、フォーレのレクイエムですね。あまり悲しすぎず、それでいて落ち着いたゆっくりとした流れのある素晴らしい曲です。レクイエムらしくないかもしれません。約40分くらいの演奏時間です。

フォーレのレクイエムのCDはたくさん出ていますが、私が推薦するのは安価で入手しやすい次のCDです。録音は古いのですが、現在の録音再生技術によって当時の素晴らしい演奏が蘇っています。現在でも名演・名盤として販売が続いています。
指揮:アンドレ・クリュイタンス
演奏:パリ音学院管弦楽団
合唱:エリザベート・ブラッスール合唱団
独唱:ビクトリア・デ・ロスアンヘレス(ソプラノ)/ フィッシャー・ディースカウ(バリトン)
録音:1962年
レーベル:EMIクラッシックス
定価:1500円(税別)
クリュイタンスは、フランスものを得意とするベルギーの指揮者ですが、たっぷりとした遅めのテンポで大きな波のようにうねる独特の抑揚があり、それでいて案外ダイナミックな一面も覗かせています。独唱は名ソプラノのビクトリア・デ・ロスアンヘレスと王者フィッシャー・ ディースカウです。

モーツァルトのレクイエムのCDは、必ず必ず必ず!絶対に次のものを聴いてください。お約束です!
指揮:リッカルド・ムーティ
演奏:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
合唱:スウェーデン放送合唱団・ストックホルム室内合唱団
独唱:ソプラノ:パトリシア・パーチェ
メゾソプラノ:ヴァルトラウト・マイヤー
テノール:フランク・ロバート
バス:ジェイムス・モリス
レーベル:EMI
定価:1500円(税別)
このCDが世界最高のモーツァルトのレクイエムの演奏です!カラヤンの指揮したCDもありますが、このCDに比べればカラヤンの指揮したCDは小学生の演奏に聴こえます。レクイエムは「死者のためのミサ曲」ですが、そのようなことに関係なく人を癒す力がある曲です。あのしびれるようなファゴットの音色から始まる厳かな響きを心静かにして聴いてください。涙があふれてきます。

では、次にレイクエムの曲の説明をします。ミサの司式にしたがって曲が進んで行きます。
◯入祭唱 (Introitus)
その日のミサの内容を歌うものです。固有文。死者のためのミサでは歌い出しが"Requiem æternam"(永遠の安息を)であるため、ミサ曲全体が「レクイエム」と呼ばれます。
※固有文:ミサを構成する種々の祈りの祈祷文のうち,そのミサが行われる日(曜日や季節)や目的(祝祭の種類)などに応じてそのミサだけに固有な内容をもつ祈りの祈祷文。したがって毎日変化しない「通常文」に対して変化する祈祷分のこと。

Requiem æternam dona eis, Domine,
et lux perpetua luceat eis.
Te decet hymnus, Deus, in Sion,
et tibi reddetur votum in Jerusalem.
Exaudi orationem meam,
ad te omnis caro veniet.
Requiem æternam dona eis, Domine,
et lux perpetua luceat eis.

主よ、永遠の安息を彼らに与え、
絶えざる光でお照らしください。
神よ、シオンではあなたに賛歌が捧げられ、
エルサレムでは誓いが果たされます。
私の祈りをお聞き届けください
すべての肉体はあなたの元に返ることでしょう。(詩編65:2-3)
主よ、永遠の安息を彼らに与え、
絶えざる光でお照らしください。

◯キリエ (Kyrie)
日本では「憐れみの賛歌」と言います。憐れみ深い神への賛歌、あるいは罪びとが憐れみを乞う歌のことです。唯一、ギリシア語による通常文です。

Kyrie eleison.
Christe eleison.
Kyrie eleison.

主よ、あわれみたまえ。
キリスト、あわれみたまえ。
主よ、あわれみたまえ。

◯続唱 (Sequentia)
固有文。最後の審判を歌ったもの。「トリエント公会議」で公認された4つの続唱のうちの1つ。「第2バチカン公会議」における典礼の刷新で、「死後の恐怖を不必要に強調することはキリスト教本来の思想から外れている」ことと、「葬儀は、キリスト信者の死の復活的性格をより明らかに表現する(『典礼憲章』第81条)」という理由でこの続唱は除かれ、三部に分けられて教会の祈り(聖務日課)の賛歌となっています。なお「怒りの日」は Dies Iræ ... Amen. までで1つの典礼文ですが、作曲の便宜上、以下のように細分されることがあります。フォーレのレクイエムには「怒りの日」がなく、初演当時はレクイエムの伝統にふさわしくないということで、教会の司祭から厳しく批判されたそうです。

Absolve Domine, animas omnium fidelium defunctorum
ab omni vinculo delictorum. 
Et gratia tua illis succurrente,
mereantur evadere judicium ultionis.
Et lucis aeternae beatitudine perfrui.

主よ、全ての死せる信者の霊魂を
ことごとく罪のほだしより解いてください。
彼らが主の聖寵の助けによって
刑罰の宣告をまぬがれ、
永遠の光明の幸福を楽しむにいたらんことを

・怒りの日 (Dies iræ)
Dies iræ, dies illa
solvet sæclum in favilla:
teste David cum Sibylla
Quantus tremor est futurus,
quando judex est venturus,
cuncta stricte discussurus.

怒りの日、その日は
ダビデとシビラの預言のとおり
世界が灰燼に帰す日です。
審判者があらわれて
すべてが厳しく裁かれるとき
その恐ろしさはどれほどでしょうか。

次の5つは省略します。
・奇しきラッパの響き (Tuba mirum)
・恐るべき御稜威の王 (Rex tremendæ)
・思い出したまえ (Recordare)
・呪われたもの (Confutatis)
・涙の日 (Lacrimosa)

◯奉献唱 (Offertorium)
司祭がパンとぶどう酒を捧げる時に歌われます。固有文。
・主イエス・キリスト (Domine Jesu)
Domine Jesu Christe, Rex gloriæ,
libera animas omnium fidelium defunctorum
de pœnis inferni,
et de profundo lacu;
libera eas de ore leonis,
ne absorbeat eas Tartarus,
ne cadant in obscurum.
Sed signifer Sanctus Michæl
repræsentet eas in lucem sanctam,
quam olim Abrahæ promisisti
et semini ejus.

主イエス・キリストよ、栄光の王よ、
全ての死せる信者の魂を
地獄の罰と深淵からお救いください
彼らの魂を獅子の口からお救いください
彼らが冥府に飲み込まれぬように
彼らが暗黒に落ちぬように。
旗手たる聖ミカエルが
彼らの魂を聖なる光へと導きますように。
かつてあなたがアブラハムとその子孫に
約束したように。

・賛美の生け贄と祈り (Hostias)
Hostias et preces Tibi,
Domine, laudis offerimus.
Tu suscipe pro animabus illis,
quarum hodie memoriam facimus.
Fac eas, Domine, de morte transire ad vitam,  
quam olim Abrahæ promisisti
et semini ejus.

賛美の生け贄と祈りを
主よ、あなたに私たちは捧げます。
彼らの魂のためにお受け取りください。
今日、私たちが追悼するその魂のために。
主よ、彼らの魂を死から生へとお移しください。
かつてあなたがアブラハムとその子孫に
約束したように。

◯サンクトゥス (Sanctus)
日本では「感謝の賛歌」といいます。神を賛美し感謝する聖歌です。通常文。

・聖なるかな (Sanctus)
Sanctus, Sanctus, Sanctus
Dominus, Deus Sabaoth
Pleni sunt cæli et terra gloria tua
Hosanna, in excelsis.

聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、
万軍の神なる主
主の栄光は天地に満つ
天のいと高きところホザンナ(ホザンナは「救い給え」の意)

・祝福されますように (Benedictus)
Benedictus qui venit in nomine Domini
Hosanna, in excelsis

ほむべきかな 主の名によりて来る者
天のいと高きところにホザンナ

◯神羊誦 (Agnus Dei)(※しんようしょう)
日本では「平和の賛歌」といいます。聖別(聖体変化)したパンを切り分ける際に歌い、神の小羊であるキリストに世の平安を祈る聖歌です。通常文。

Agnus Dei, qui tollis peccata mundi:
dona eis requiem.
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi:
dona eis requiem.
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi:
dona eis requiem sempiternam.

神の子ひつじ 世の罪を除きたもう主よ
我らをあわれみたまえ
神の子ひつじ 世の罪を除きたもう主よ
我らをあわれみたまえ
神の子ひつじ 世の罪を除きたもう主よ
我らに平安を与えたまえ

◯聖体拝領唱 (Communio)
聖体となったパンとぶどう酒を拝領する際に歌われます。死者が永遠の光に照らされることを神に祈る聖歌です。固有文。死者ミサの聖体拝領唱は冒頭を取り Lux æterna とも呼ばれます。

Lux æterna luceat eis, Domine:
Cum Sanctis tuis in æternum,
quia pius es.
Requiem æternam dona eis Domine:
et lux perpetua luceat eis.
Cum Sanctis tuis in æternum,
quia pius es.

主よ、彼らを永遠の光でお照らしください。
聖者たちとともに永遠に
あなたは慈悲深くあられるのですから。
主よ、永遠の安息を彼らに与え、
絶えざる光でお照らしください。
聖者たちとともに永遠に
あなたは慈悲深くあられるのですから。

◯赦祷文 (Responsorium)
ミサの終了後の赦祷式(Absolutio ad Tumbam)で歌われます。ミサには含まれませんが、葬儀に関連するため、曲がつけられることがあります。フォーレ、ヴェルディ等。通常のミサで使われる嘆願(Libera nos)と区別するため Libera meと呼ぶことが多いです。

Libera me, Domine, de morte æterna,
in die illa tremenda.
Quando cœli movendi sunt et terra,
Dum veneris judicare sæculum per ignem.
Tremens factus sum ego et timeo,
dum discussio venerit atque ventura ira.
Quando cœli movendi sunt et terra.
Dies illa, dies iræ
calamitatis et miseriæ,
dies magna et amara valde.
Requiem æternam dona eis, Domine
et lux perpetua luceat eis.

主よ、永遠の死から私をお救いください
恐るべきその日に。
天と地が揺れ動き、
主が炎を持ってこの世を裁く日、
来るべき裁きと怒りの時に
私は恐れおののく。
天と地が揺れ動く。
その日は怒りの日、
災いと不幸の日
大いなる嘆きの日。
主よ、永遠の安息を彼らに与え、
絶えざる光でお照らしください。

◯楽園へ (In Paradisum)
出棺、埋葬時に歌われる。ミサには含まれませんが、葬儀に関連するため、曲がつけられることがあります。フォーレなど。(この歌での「あなた」は死者を指す。)

In Paradisum deducant te Angeli;
in tuo adventu suscipiant te martyres
et perducant te in civitatem sanctam Jerusalem.
Chorus Angelorum te suscipiat,
et cum Lazaro quondam paupere,
æternam habeas requiem.

天使があなたを楽園へと導きますように。
楽園についたあなたを、殉教者たちが出迎え、
聖なる都エルサレムへと導きますように。
天使たちの合唱があなたを出迎え、
かつては貧しかったラザロとともに、(ルカ16:19-22)
永遠の安息を得られますように。
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「神の母 聖マリアの祝日」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日1月1日は「神の母聖マリア」の祝日です。このブログの2020年1月1日に掲載した記事を再掲載いたします。絵は、ドメニコ・コルヴィ作(18世紀後半)の「聖母子像」です。イエス様のぷくぷくの腕と手がかわゆいですね〜!
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新しい年を迎えた今日、イエス様の降誕8日目に当たる1月1日に、カトリック教会はローマの古い伝統に従い、“神の母聖マリア”の祭日を祝います。聖母マリア様を「神の母」と宣言したのは、431年のエフェソ公会議でした。年の初めを聖母マリア様の記念日として祝い・祈るのは、古いローマ教会の伝統によっています。また、この日が特に大事にされるようになったのは、12月25日から数えてちょうど8日目に当たるからです。8日目に当たる今日、誕生した神の子は「イエス」と命名されることにより、正式に神の民の歴史・人類の歴史の一員となりました。そして、聖母マリア様には、救い主としてのイエス様の使命に、自分も深く一致するという母の姿があります。聖母マリア様は、羊飼いたちにイエス様を示し、彼らを喜びで満たしましたが、今日も私たちに恵みそのものであるイエス様を示して与え続けられます。
また、今日は「世界平和の日」でもあります。フランシスコ教皇は、「世界平和の日」のためのメッセージを発表しました。その中で、「よい政治は平和に寄与する。」と題して、よい政治への挑戦、人権と平和に寄与する政治にとっての愛のわざと人間的徳、政治の悪徳、よい政治は若者の参加と他者への信頼を促す、戦争と恐怖戦術の拒否、平和に向けた偉大な計画について述べられています。今日、世界の人々と心を一つにして、「この家(世界)に平和があるように」と願い、賜である平和を祈り求めましょう。今年も主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんと共にありますように。主に救いを求める人々に、主の平安と主の豊かな恵みがありますように。お祈りいたします。
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年の初めの聖句・新約聖書:コリントの人々への第一の手紙・第13章・第1〜第13節 [聖書]

今年も、新年の初めにこの聖書の聖句を皆様に捧げます。
新約聖書:コリントの人々への第一の手紙・第13章・第1節~第13節(『フランシスコ会聖書研究所 原文校訂による口語訳聖書』から)

「たとえ、わたしが人間の異言(いげん)、み使いの異言を話しても、愛がなければ、わたしは鳴る銅鑼(どら)、響くシンバル。
たとえ、預言の賜物があり、あらゆる神秘、あらゆる知識に通じていても、たとえ、山を移すほどの完全な信仰があっても、愛がなければ、わたしは何ものでもない。
たとえ、全財産を貧しい人に分け与えて、たとえ、賞賛を受けるために、自分の身を引き渡しても、愛がなければ、わたしには何の益にもならない。

愛は寛容なもの、
慈悲深いものは愛。
愛は、妬まず、高ぶらず、誇らない。
見苦しい振る舞いをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人の悪事を数え立てない。不正を喜ばないが、人とともに真理を喜ぶ。
すべてをこらえ、すべてを信じ、
すべてを望み、すべてを堪え忍ぶ。
愛は決して滅び去ることはない。

預言の賜物なら廃れもしよう。
異言なら、やみもしよう。
知識なら、無用となりもしょう。
わたしたちが知るのは一部分、
また、預言するのも一部分であるが故に。
完全なものが到来するときは、
部分的なものは廃れ去る。

わたしは、幼い子供であったとき、
幼い子供のように語り、
幼い子供のように考え、
幼い子供のように思い巡らした。
だが、一人前の者となったとき、
幼い子供のことはやめにした。

わたしたちが今、見ているのは、
ほんやりと鏡に映ったもの。
『その時』に見るのは、顔と顔を合わせたもの。
わたしが今、知っているのは一部分。
『その時』には、
自分が完全に知られるようになる。
だから、引き続き残るのは、
信仰、希望、愛、この三つ。
このうち最も優れているのは、愛」

終わりの方で神学的な内容を含むため、初めての方には少々理解しにくいところがあると思いますが、最後の3行が重要なところです。すなわち、「信仰、希望、愛」の3つが重要であり、その中でも最も重要なのは「愛」と言うことを説いています。イエス・キリストの教えは、この「愛」と「赦し(ゆるし)」です。今年も、私の自戒としてこの教えを実践していきます。
主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、今年も皆さんと共にありますように!
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