教会日記2021.1.26(カトリック成城・聖タデオ教会「平日のミサ」火曜日) [教会日記]

今日は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会の7時からの平日のミサに与りました。緊急事態宣言が再発出され、カトリック教会の東京大司教様から「各教会でのこれまでの感染対策を見直して徹底すること。」と厳しく求められ、成城教会でもミサの回数は半減以下となりました。「平日のミサ(早朝7時のミサ)」は火曜日、金曜日の2日間となり、「主日のミサ」は土曜日の16時からと日曜日の10時及び14時となりました。コロナ渦の厳しい状況にありますからやむを得ない処置ですね。毎日厳しい寒さが続いていますが、コロナやインフルエンザに負けないように、きちんと体調管理に注意しなければなりません。

ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんが健康な身体になり、元気に学校に通えるようお祈りしました。
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「聖テモテ司教・聖テトス司教」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日1月26日は、聖テモテ司教・聖テトス司教の記念日です。
聖テモテは、新約聖書の『使徒言行録』に登場するリュストラ(現代のトルコ南部)出身の古代(初期)キリスト教会時代の信徒で、使徒聖パウロの協力者で弟子です。ギリシア語ではティモテオス。『使徒行伝』によれば、テモテの父はギリシア人で母はユダヤ人でした。使徒聖パウロはテモテを気に入り、自らの宣教旅行に連れて行きたかったので、ユダヤ人の手前、彼に割礼を受けさせました。これは西暦50年前後のことであると推察されます。テモテはパウロの第2回宣教旅行、第3回宣教旅行に同行し、マケドニアなど、パウロがすでに宣教活動を行った場所に派遣されて司牧に当たっています。

この宣教旅行の間に書かれたと想定される『コリントの人々への第二の手紙』からも、テモテが使徒聖パウロのよき協力者であったことがわかります。ここでは使徒聖パウロは、テモテをコリントスの教会に派遣し、その司牧に当たらせようとしており、また『フィリピ人への手紙』などでは、テモテは使徒聖パウロと並んで書簡の差出人とされています。伝承によれば、65年に使徒聖パウロはテモテを按手し、エフェソスの司教としています。ローマ帝国の皇帝ドミティアヌスのキリスト教迫害下において殉教したと伝えられています。新約聖書にある『テモテへの第一の手紙』および『テモテへの第二の手紙』は使徒聖パウロがこのテモテにあてる形で書かれている書簡といわれています。
聖テモテ・聖テトス.jpg
聖テトスは、新約聖書の『ガラテヤの人々への手紙』に登場する使徒聖パウロの協力者で弟子です。ギリシャ語ではティトス。『使徒言行録』にはその名前は出ていませんが、『ガラテヤの信徒への手紙』では、使徒聖パウロやバルナバと共にエルサレムでの使徒会議に参加したという記述があります。使徒聖パウロは、ギリシア人であるテトスが割礼を受けずにキリスト教徒として受け入れられたことを強調しており、テトスの両親はともに異邦人(非ユダヤ人)であった可能性が高いと思われます。

使徒聖パウロはテトスを高く評価しており、「仲間」「協力者」と呼び、その熱心さを賞賛しています。『コリントの人々への第二の手紙』では、テトスはエルサレム教会のための募金をコリントで行い、また使徒聖パウロの手紙をコリントへ届けるために派遣されています。『テモテへの第二の手紙』では、テトスはダルマティアに滞在しています。新約聖書には彼の死についての記事はあっりませんが、伝承によればテトスは使徒聖パウロによってクレタ島の主教(司教)に任じられ、1世紀始めにクレタ島で生涯を終えたということです。彼の名を冠した『テトスへの手紙』は、使徒聖パウロがクレタ島のテトスにあてた手紙です。
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