「聖トマス・アクィナス司祭教会博士」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日は、聖トマス・アクィナス司祭教会博士(イタリア:1225年頃~1274年)の記念日です。中世ヨーロッパ、イタリアの神学者、哲学者で、シチリア王国出身のドミニコ修道会士です。大著である『神学大全』で知られるスコラ学の代表的神学者です。カトリック教会と聖公会で聖人とされており、カトリック教会の33人の教会博士の一人となっています。
この《聖トマス・アクィナス》は、画家のカルロ・クリヴェッリによって制作された作品で、制作年は1476?年から1476年です。イギリスのロンドン・ナショナルギャラリーに所蔵されています。
聖トマス・アクイナス.jpg
このブログの2019年1月21日に掲載した「祈りの言葉(聖トマス・アクィナスの祈り)」を再掲載いたします。
「私の神よ、私があなたを忘れても
あなたは私を忘れないでください

私があなたを見捨てても
あなたは私を見捨てないでください

私があなたから離れても
あなたは私から離れないでください

私が逃げだしても呼びもどし
反抗しても引き寄せ
倒れても起きあがらせてください

私の神、主よ、お願いいたします
いかなるむなしい考えによっても
あなたから遠ざかることのない目覚めた心を

いかなるよこしまな意向によっても
ゆがめられることのないまっすぐな心を
 
いかなる逆境にもめげず
勇敢に立ち向かう強い心を

いかなる卑しい情欲によっても
打ち負かされることのない自由な心を
主よ、私にお授けください

主よ、お願いいたします
あなたを求める意志を
あなたを見いだす希望を
信仰をもってあなたを待ち望む堅忍を
そして、ついにあなたを所有できる確信を
主よ、この私にお与えください。」

このお祈りの言葉を読むと、なんとわがままで自分勝手なご都合主義的な言葉なのでしょうか!………と、一般の方は思われるでしょうね。しかし、キリスト教の信徒であれば、この祈りの言葉は、なんと素直な神を信頼したお祈りの言葉なのでしょうか!となります。そうなのです。私達クリスチャンの祈りは、神を信頼した神に願う祈りなのです。聖トマス・アクィナスのように、自分をさらけ出して、すべてを神に委ねる姿勢が大切なのです。私達も幼子のように素直になって祈らなければなりませんね。
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教会日記2020.1.28(カトリック麹町・聖イグナチオ教会「平日のミサ」火曜日) [教会日記]

今日も仕事が終わってから膝の痛みを柔らげるために整体院へ行く前に、四ッ谷まで足をのばしてカトリック麹町・聖イグナチオ教会の18時からの平日のミサに与りました。聖イグナチオ教会は、今月4回目の訪問となりました。
18時のアンジェラスの鐘が響き渡るなか「お告げの祈り」をお祈りし、ミサでは「聖トマス・アクイナス司教教会博士」の記念日を祝ってお祈りしました。そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学一年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚ご本人の大怪我とお嬢さんの病気が完治しますようにと、心を込めてお祈りいたしました。
さぁ、今日も整体院に行くぞ!
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新約聖書:コリントの人々への第二の手紙・第13章・第13節 [聖書]

「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、みなさん一同と共にありますように。」

この聖書の聖句は、ミサの冒頭(一番最初のところ)の「開祭の儀」の「入祭のあいさつ」のところで、司祭が十字を切りながら「父と子と聖霊のみ名において」と唱えます。私達信徒も司祭と一緒に十字を切ってから「アーメン」と唱えます。その後で、司祭が「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんと共に。」と唱え、私達信徒も「また司祭と共に」と応えます。そして次の「回心の祈り」に入っていきます。入門講座を受けているころ、聖書を読んでいる時に「どこかで聴いたことあるな~。」と気づきましたと!いうか発見しました。

この司祭の唱える「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんと共に。」は、コリントの人々への第二の手紙の一番最後にある第13章の第13節からの引用ですね。この聖句は、キリスト教の根本である「三位一体の神」を見事に表現しています。私も私的な手紙やメールの最後のところで「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが◯◯さんと共にありますように。」と結びます。ただ、クリスチャンでない方への手紙には意味が通じないですから使えないかも………でも私は無理に使っています(⌒-⌒; )
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