今日の日記2020.1.17(3時のおやつ!) [日記]

写真のクッキーは、職場の<3時のおやつ>で出されたものです。クリスチャンだからでしょうか?十字(十字架)模様のクッキーが気になりますね~!謹んで心して食べました!(⌒-⌒; )
十字架クッキー.jpg
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教会日記その二2020.1.17(カトリック麹町・聖イグナチオ教会「平日のミサ」金曜日) [教会日記]

今日は、仕事が終わってから新宿にある紀伊國屋書店にキリスト教関係の取り置きしてもらった書籍を取りに行くこともあり、四ッ谷まで足をのばしてカトリック麹町・聖イグナチオ教会の18時からの平日のミサに与りました。聖イグナチオ教会は、13日(月)の平日のミサに続いて今週2回目のミサとなりました。

18時のアンジェラスの鐘が響き渡るなか「お告げの祈り」をお祈りし、ミサでは「聖アントニオ修道院長」の記念日をお祝いしてお祈りし、また、阪神淡路大震災から25年が経ち、亡くなられた方々の永遠の安息をお祈りしました。そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学一年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんのケガが完治しますようにと、心を込めてお祈りいたしました。

【聖アントニオ修道院長】
「カトリック情報」のホームページに掲載されていますので、次のアドレスをご覧ください。https://blog.goo.ne.jp/catholic_info/e/303378bab7c3c559ec2046b66ad81e10
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教会日記2020.1.17(カトリック成城教会「平日のミサ」金曜日) [教会日記]

今日も出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会の7時からの平日のミサに与りました。今朝もまた一段と寒いですね。昨年はこのころに風邪をひき、下旬ごろに妻からインフルエンザをうつされて6日ほどお休みしたのでした(⌒-⌒; ) ………今朝も清々しい朝を迎えています!

6時50分から「お告げの祈り」をお祈りし、7時からのミサでは「聖アントニオ修道院長」の記念日を祝いお祈りし、また、阪神淡路大震災から25年が経ち、亡くなられた方々の永遠の安息をお祈りしました。そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学一年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病気が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
さぁ、これから仕事です!

【聖アントニオ修道院長】
「カトリック情報」のホームページに掲載されていますので、次のアドレスをご覧ください。https://blog.goo.ne.jp/catholic_info/e/303378bab7c3c559ec2046b66ad81e10
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三浦綾子のことば(第7日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「がんにかなると死にたくなる。
失恋すると死にたくなる。
夫に女ができると死にたくなる。
愛する者に死なれると死にたくなる。
借金で首がまわらなくなると死にたくなる。
受験に失敗すると死にたくなる。
死にたい理由はいろいろある。
しかし、それは人間の側の理由であって神から見ると、決して死ぬ理由とはならない。」
『北国日記』から

三浦綾子さんのことは、「三浦綾子のことば(第1日目)2020.1.8」をご覧下さい。
まぁ、人生というものを歩んで行くと、誰でもいろいろなことがあるわけです。失敗、事故、いじめ、挫折、障害、困難さなど、このようなことに出会うと、私達人間はすぐに「死にたい」と思う時があります。しかし、それは大なり小なり誰にでも訪れることです。でも、そのたびに「死にたい」では、この世を生きていくことができませんね。

当たり前のことですが、すべての人間に生きる権利があります。しかし、自ら死ぬ権利は誰にもありません。実はないのです。あると思っていた人は多いのではないでしょうか?皆さん勘違いしているのですね。この世にいったん生を授かった人間には、自ら死ぬ権利などないのです。キリスト教では、自殺は自分を殺すという殺人罪なのですから。

生死の与奪の権利は神様だけにあるのです。それを人間は間違ってしまうのですね。また、人間に自ら死ぬ「理由」などないのです。自殺に理由があると思っているでしょ。自殺する理由は絶対にありません。こんなことを書くと、「自殺者の気持ちなんかわからないんだ!」、「遺族の気持ちなんか、お前にわかるわけない!」とおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。それでも自ら死ぬことに権利も理由もないのです。あるのは「生きる責任」だけです。

どんなことがあっても死んではいけないのです。人間には生きる努力をしなけれはならない最大の使命があるのです。生きることを放棄してはならないのです。希望を信じることです。生きていれば必ずや希望が見えてくるのです。それを信じることです。幸せは、どんなに惨めな姿になっても生きる人間に与えられます。それを信じることです。
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