教会日記2020.1.4(カトリック相模原教会「降誕節土曜日(主の公現前)」土曜日) [教会日記]

今朝は、妻が仕事で早く出かけることもあり、仕事が休みの私も早起きして自宅から一番近いカトリック相模原教会で7時からの平日のミサに与りました。相模原教会は10月22日以来となります。今朝もいつものように清々しい朝を迎えています。
教会の聖堂内にあるプレゼピオです。雰囲気が出てますね〜!明日(今夜から)の「主の公現」で降誕節が終わり、降誕祭飾り(クリスマス飾り)を片付けることになります。
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7時からのミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学一年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
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渡辺和子シスターのことば(第9日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「仏頂面をして、他人の暮らしまで暗くする権利はない。不機嫌は、立派な環境破壊。」

渡辺和子シスターのことは、「渡辺和子シスターのことば(第1日目)2019.12.26」をご覧下さい。
この言葉は私の“日課(毎日気をつけること)”としている言葉です。なんで不機嫌な顔をするのでしょうか。元々その人が仏頂面であれば、何とも思わないのかもしれませんが、笑うときがあるのなら、わざと不機嫌な表情をするのは止めるべきです。回りが迷惑ですね。
それを“人心掌握術”のように捉えている人がいますし、それを教えている人もいます。確かに他の人を威圧して、従わせることができるのでしょう。しかし、これは“恫喝(どうかつ)”と同じです。恫喝は野蛮な行為であるということですね。本人は、たぶん死ぬまで(死んでも)気がつかないでしょう。悔い改めることなく死を迎えるのですね。

これよりも悪いとうか、最悪なのが“無視”です。これも私は経験しています。ついに最近は慣れてしまいましたが。本人がわざとしているのがよく分かるのです。まず私とは目を合わせない、他の人の方を向いて話して私の方には向かない。渡辺氏は「環境破壊」と説かれていますが、最適な言葉ですね。
いつもそうですが、私はこのような人には心の底から憐れみを感じます。常々かわいそうな人だと思うのです。才能があってもこれでは人間(大人)としての基本的な資質に欠けていますね。このような人こそ神様の憐れみと慈しみが必要であると思います。不機嫌も無視も“悪意”です。悪意だけは絶対にいけません。神様からみれは立派な犯罪です。
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