「神の母 聖マリアの祝日」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日1月1日は「神の母聖マリア」の祝日です。
ドメニコ・コルヴィ作(18世紀後半)の「聖母子像」です。イエス様のぷくぷくの腕と手がかわゆいですね〜!
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新しい年を迎えた今日、イエス様の降誕8日目に当たる1月1日に、カトリック教会はローマの古い伝統に従い、“神の母聖マリア”の祭日を祝います。聖母マリア様を「神の母」と宣言したのは、431年のエフェソ公会議でした。年の初めを聖母マリア様の記念日として祝い・祈るのは、古いローマ教会の伝統によっています。また、この日が特に大事にされるようになったのは、12月25日から数えてちょうど8日目に当たるからです。8日目に当たる今日、誕生した神の子は「イエス」と命名されることにより、正式に神の民の歴史・人類の歴史の一員となりました。そして、聖母マリア様には、救い主としてのイエス様の使命に、自分も深く一致するという母の姿があります。聖母マリア様は、羊飼いたちにイエス様を示し、彼らを喜びで満たしましたが、今日も私たちに恵みそのものであるイエス様を示して与え続けられます。
また、今日は「世界平和の日」でもあります。フランシスコ教皇は、「世界平和の日」のためのメッセージを発表しました。その中で、「よい政治は平和に寄与する。」と題して、よい政治への挑戦、人権と平和に寄与する政治にとっての愛のわざと人間的徳、政治の悪徳、よい政治は若者の参加と他者への信頼を促す、戦争と恐怖戦術の拒否、平和に向けた偉大な計画について述べられています。今日、世界の人々と心を一つにして、「この家(世界)に平和があるように」と願い、賜である平和を祈り求めましょう。今年も主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんと共にありますように。主に救いを求める人々に、主の平安と主の豊かな恵みがありますように。お祈りいたします。
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新約聖書:コリントの人々への第一の手紙・第13章・第1〜第13節 [聖書]

今年も、新年の初めにこの聖書の聖句を皆様に捧げます。
新約聖書:コリントの人々への第一の手紙・第13章・第1節~第13節(フランシスコ会聖書研究所 原文校訂による口語訳聖書から)

「たとえ、わたしが人間の異言(いげん)、み使いの異言を話しても、愛がなければ、わたしは鳴る銅鑼(どら)、響くシンバル。
たとえ、預言の賜物があり、あらゆる神秘、あらゆる知識に通じていても、たとえ、山を移すほどの完全な信仰があっても、愛がなければ、わたしは何ものでもない。
たとえ、全財産を貧しい人に分け与えて、たとえ、賞賛を受けるために、自分の身を引き渡しても、愛がなければ、わたしには何の益にもならない。

愛は寛容なもの、
慈悲深いものは愛。
愛は、妬まず、高ぶらず、誇らない。
見苦しい振る舞いをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人の悪事を数え立てない。不正を喜ばないが、人とともに真理を喜ぶ。
すべてをこらえ、すべてを信じ、
すべてを望み、すべてを堪え忍ぶ。
愛は決して滅び去ることはない。

預言の賜物なら廃れもしよう。
異言なら、やみもしよう。
知識なら、無用となりもしょう。
わたしたちが知るのは一部分、
また、預言するのも一部分であるが故に。
完全なものが到来するときは、
部分的なものは廃れ去る。

わたしは、幼い子供であったとき、
幼い子供のように語り、
幼い子供のように考え、
幼い子供のように思い巡らした。
だが、一人前の者となったとき、
幼い子供のことはやめにした。

わたしたちが今、見ているのは、
ほんやりと鏡に映ったもの。
『その時』に見るのは、顔と顔を合わせたもの。
わたしが今、知っているのは一部分。
『その時』には、
自分が完全に知られるようになる。
だから、引き続き残るのは、
信仰、希望、愛、この三つ。
このうち最も優れているのは、愛」

終わりの方で神学的な内容を含むため、初めての方には少々理解しにくいところがあると思いますが、最後の3行が重要なところです。すなわち、「信仰、希望、愛」の3つが重要であり、その中でも最も重要なのは「愛」と言うことを説いています。イエス・キリストの教えは、この「愛」と「赦し(ゆるし)」です。今年も、私の自戒としてこの教えを実践していきます。
主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、今年も皆さんと共にありますように!
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