旧約聖書:シラ書(集会の書)・第20章・第24~第26節 [聖書]

「偽りは人間にとって醜い染み。それは、絶えず教養のない人の唇にのぼる。盗人は、絶えず嘘をつく人に勝る。しかし、この両者とも滅びの道を歩む者。嘘をつく習慣は不名誉をもたらし、その恥はいつまでも、彼に付きまとう。」

この聖句は、私の愛読している「原文校訂による口語訳 フランシスコ会聖書研究所訳注聖書」から掲載しました。副題として「偽り」となっています。「嘘も方便」といいますが、嘘はいけませんね。嘘をつくことに慣れると際限なく嘘をつくことになり、周りの人からしだいに信用をなくしていきます。自戒すべきことです。
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三浦綾子のことば(第1日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「9つまで満ち足りていて、10のうち1つだけしか不満がない時でさえ、人間はまずその不満を真っ先に口から出し、文句を言い続けるものなのだ。自分を顧みてつくづくそう思う。なぜ私たちは不満を後回しにし、感謝すべきことを先に言わないのだろう。」

この言葉は、三浦綾子さんの言葉です。このブログを2012年2月12日に初めて立ち上げた日に最初に掲載した言葉でした………早いもので、あれから約8年となります。今日から2018年5月24日から10日間連載した記事を再掲載いたします。最近はあまり掲載していませんが、このブログでは三浦綾子さんの言葉が一番多く掲載されています。今日の言葉は、だれもが共感する言葉ですね。私の自戒とする言葉です。

三浦綾子さん(北海道旭川市:1922年~1999年)は、日本の女性作家(クリスチャン作家)で、キリスト教プロテスタントのクリスチャンです。キリスト教の信仰に生涯を捧げた、私がもっとも尊敬する方の一人です。
旧姓は堀田。結核の闘病中に洗礼を受けた後、作家活動(創作)に専念するようになりました。故郷の北海道旭川市には、「三浦綾子記念文学館」があります。1922年4月25日(大正11年)に北海道旭川市に生まれ、両親と九人兄弟姉妹と共に生活し、1939年に旭川市立高等女学校卒業。その後、旭川市で7年間小学校教員を勤め、終戦によりそれまでの国家のあり方や、自らも関わった軍国主義教育に疑問を抱いて退職。このころ肺結核を発病し、1952年に結核の闘病中に小野村林蔵牧師より洗礼を受け、1959年に旭川営林局勤務の三浦光世氏と結婚されました。

1961年、『主婦の友』募集の第1回「婦人の書いた実話」に「林田律子」名義で『太陽は再び没せず』を投稿し入選。翌年、『主婦の友』新年号に「愛の記録」入選作として掲載され、1963年、朝日新聞社による大阪本社創刊85年・東京本社75周年記念の1000万円(当時の1000万円は莫大な金額でした)懸賞小説公募に、小説『氷点』を投稿。これに入選し、1964年12月9日より朝日新聞朝刊に『氷点』の連載が始まりました。この『氷点』は、1966年に朝日新聞社より出版され、71万部の売り上げを記録。大ベストセラーとなり、1966年には映画化(監督:山本薩夫・出演:若尾文子)されました。また、数度にわたりラジオドラマ・テレビドラマ化されています。ちなみに、日本テレビ系番組『笑点』は、このころベストセラーであった『氷点』をもじって題名を取ったと言われています。

三浦綾子さんは、若いときに自殺未遂をし、結核、脊椎カリエス、心臓発作、帯状疱疹、直腸癌、パーキンソン病など度重なる病魔に苦しみながら、1999年10月12日に多臓器不全により77歳で亡くなるまでクリスチャンとしての信仰に根ざした著作を次々と発表しました。他のクリスチャン作家、音楽家の多くが彼女の影響を受けています。
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私が最も尊敬し敬愛している作家です。作品はほとんど読みました。自室には色紙(写真)を飾っています。三浦綾子さんは、色紙を求められると「愛は忍ぶ」と「清心」を好んで書かれたそうです。平成24年5月、社会活動のため、札幌市に行った帰りに旭川市に出て念願の「三浦綾子記念文学館」を訪問し、夫の三浦光世氏にお会いしました。
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