教会日記2020.1.10(カトリック成城教会「平日のミサ」金曜日) [教会日記]

今日も出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会の7時からの平日のミサに与りました。冬ですから寒い日が続くのは当たり前ですが、風邪をひかないようにしなければね………昨年は、1月下旬にインフルエンザに罹りましたから(⌒-⌒; ) 今朝も清々しい朝を迎えています!

6時50分から「お告げの祈り」をお祈りし、7時からのミサではご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学一年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病気が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
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三浦綾子のことば(第3日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「わたしの、今の祈りは、すべてのことが、わたしの願いどおりになることではなくて、神の御心のままになるようにと、祈り得る真の信仰が与えられることである。」
『光あるうちに』から

三浦綾子さんのことは、「三浦綾子のことば(第1日目)2020.1.8」をご覧下さい。
私達は、一般的に自分の願いどおりに、希望どおりに、要求どおりに、うまく事が運ぶようにお願いします。そのように神様にお祈りして、すべて自分の思いどおりに成就するようにお願いします。そうなるためにお祈りしているわけですからと………しかし、これではやがて人間は高慢になり、我欲の強い人間になり、自分勝手な生き物になることでしょうね。キリスト教はご利益宗教ではないのです。

神様にお願いするということは、すべてお願いどおりになるということを期待することではなく、それは神様の「御心(みこころ)に委ねる。」ということなのです。なぜか?それは、私たち人間が神様にお願いする内容は、すでにお願する前から神様はご存知なわけです。これは聖書にも書かれていることです。すべてを委ねるところに信仰があるのです。

信仰とは、私は「目に見えない神様の存在を信じること。」と自覚しています。それと、この「御心(みこころ)のままに。」と祈ることこそが信仰なのです。私達人間に謙虚な気持ちがなくては、かなうことではないと思います。神様の前では、あくまでも謙虚で純真な心子どものような人間でありたいものですね。神様はいつも側で見ておられます。
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