三浦綾子のことば(第3日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「わたしの、今の祈りは、すべてのことが、わたしの願いどおりになることではなくて、神の御心のままになるようにと、祈り得る真の信仰が与えられることである。」
『光あるうちに』から

三浦綾子さんのことは、「三浦綾子のことば(第1日目)2020.1.8」をご覧下さい。
私達は、一般的に自分の願いどおりに、希望どおりに、要求どおりに、うまく事が運ぶようにお願いします。そのように神様にお祈りして、すべて自分の思いどおりに成就するようにお願いします。そうなるためにお祈りしているわけですからと………しかし、これではやがて人間は高慢になり、我欲の強い人間になり、自分勝手な生き物になることでしょうね。キリスト教はご利益宗教ではないのです。

神様にお願いするということは、すべてお願いどおりになるということを期待することではなく、それは神様の「御心(みこころ)に委ねる。」ということなのです。なぜか?それは、私たち人間が神様にお願いする内容は、すでにお願する前から神様はご存知なわけです。これは聖書にも書かれていることです。すべてを委ねるところに信仰があるのです。

信仰とは、私は「目に見えない神様の存在を信じること。」と自覚しています。それと、この「御心(みこころ)のままに。」と祈ることこそが信仰なのです。私達人間に謙虚な気持ちがなくては、かなうことではないと思います。神様の前では、あくまでも謙虚で純真な心子どものような人間でありたいものですね。神様はいつも側で見ておられます。
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