三浦綾子のことば(第7日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「がんにかなると死にたくなる。
失恋すると死にたくなる。
夫に女ができると死にたくなる。
愛する者に死なれると死にたくなる。
借金で首がまわらなくなると死にたくなる。
受験に失敗すると死にたくなる。
死にたい理由はいろいろある。
しかし、それは人間の側の理由であって神から見ると、決して死ぬ理由とはならない。」
『北国日記』から

三浦綾子さんのことは、「三浦綾子のことば(第1日目)2020.1.8」をご覧下さい。
まぁ、人生というものを歩んで行くと、誰でもいろいろなことがあるわけです。失敗、事故、いじめ、挫折、障害、困難さなど、このようなことに出会うと、私達人間はすぐに「死にたい」と思う時があります。しかし、それは大なり小なり誰にでも訪れることです。でも、そのたびに「死にたい」では、この世を生きていくことができませんね。

当たり前のことですが、すべての人間に生きる権利があります。しかし、自ら死ぬ権利は誰にもありません。実はないのです。あると思っていた人は多いのではないでしょうか?皆さん勘違いしているのですね。この世にいったん生を授かった人間には、自ら死ぬ権利などないのです。キリスト教では、自殺は自分を殺すという殺人罪なのですから。

生死の与奪の権利は神様だけにあるのです。それを人間は間違ってしまうのですね。また、人間に自ら死ぬ「理由」などないのです。自殺に理由があると思っているでしょ。自殺する理由は絶対にありません。こんなことを書くと、「自殺者の気持ちなんかわからないんだ!」、「遺族の気持ちなんか、お前にわかるわけない!」とおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。それでも自ら死ぬことに権利も理由もないのです。あるのは「生きる責任」だけです。

どんなことがあっても死んではいけないのです。人間には生きる努力をしなけれはならない最大の使命があるのです。生きることを放棄してはならないのです。希望を信じることです。生きていれば必ずや希望が見えてくるのです。それを信じることです。幸せは、どんなに惨めな姿になっても生きる人間に与えられます。それを信じることです。
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