教会日記その三2019.8.13(カトリック麹町・聖イグナチオ教会「平日のミサ」火曜日) [教会日記]

仕事関係の勉強のため、イエズス会日本管区本部附属の聖三木図書館に来ていたこともあり、図書館と同じ敷地内にあるカトリック麹町・聖イグナチオ教会の正午12時(本日第3回目)と午後6時(本日第4回目)の平日のミサに与りました。今日は、早朝7時からカトリック八王子教会で平日のミサ(本日第1回目)に与り、午前9時からカトリック相模原教会で平日のミサ(本日第2回目)に与りましたから、合計4回の平日のミサに与り、ご聖体を拝領いたしました。

両ミサでは、ミサの前に「平和旬間2019 平和を求める祈り」をお祈りしました。そして、ミサではご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の神よ、
御名(みな)讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、妻の母親の病が癒やされますように、同僚の病が癒されますように、お二人の心に平安が訪れますように、また、同僚のお嬢さんの病が完治しますようにと、心を込めてお祈りしました。
いゃ〜やはり1日に4回のミサはキツイかもですね。今日のような高温多湿の天気では、体力だくでなく気力も消耗します。今夜も熟睡!?いや爆睡です!( ̄◇ ̄;)
nice!(1)  コメント(0) 

「ご聖体拝領の意義」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

訪問した教会でミサに与り、このブログに「教会日記」として記事にして掲載しておりますが、ある複数の方から「なぜ、そんなにミサに与るのですか?」と質問されましたので、少し長くなりますがその回答を記事にして掲載いたします。回答になっているかどうか不安です( ̄◇ ̄;)
私にとっては、この8月は他の月と比べて比較的時間がある月ですので、一昨年(平成29年)から、できる限り多くの教会を訪れてミサに与ってご整体を拝領することにしています。モットーとしては「一回でも多く教会を訪問し、一回でも多くミサに与り、一回でも多くご整体を拝領する。」ということになります。

「ご聖体拝領」は、イエス・キリストが<最後の晩餐>で、「これを、わたしの記念として行いなさい。」と制定された(命じられた)ものです。
◯新約聖書:ルカによる福音書・第22章・第19~第20節
「それから、イエスはパンを取り、感謝をささげて、それを裂き、使徒たちに与えて仰せになった。「これは、あなた方のために与えられる、わたしの体である。これを、わたしの記念として行いなさい。」食事を終えると、杯も同じようにして仰せになった。「この杯は、あなた方のために流される、わたしの血による、新しい契約である。」」

カトリック教会では、ミサの「感謝の典礼」と「交わりの儀」において、聖体の秘跡が行われます。すなわち≪パンとぶどう酒がイエス・キリストの体と血に変わること(パンが体、ぶどう酒が血)=「聖体変化」≫とそれを≪信徒が分け合うこと=「聖体拝領」≫がミサの中心となります。
イエス・キリストは、次のとおり教えておられます。
◯新約聖書:ヨハネによる福音書・第6章・第52〜第58節
「よくよくあなた方に言っておく、人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなた方のうちに命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む人は永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む人は、わたしの内に留まり、わたしもその人に留まる。生きておられる父がわたしをお遣わしになって、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる人もわたしによって生きる。これは天から降ってきたパンである。先祖は食べたが、それでも死んでしまったようなものではない。このパンを食べる者は、永遠に生きる。」」
注釈:生々しい表現となっていますね〜( ̄◇ ̄;)この部分だけを読んだり聞いたりすると、「人肉を食べたり血を飲んだりするとは、狂ったオカルト集団か!?」となりますね〜( ̄◇ ̄;)決してそうではなく、「人の子」とは、イエス・キリストのこと。「肉を食べ」と「血を飲む」は、ミサにおいてご聖体を拝領することです。実際ミサでは、イエス・キリストの肉=体として、パンの代わりに「ホスチア」というウェハースのような丸いものをいただきます。イエス・キリストの血としてぶどう酒となりますが、ミサでは司祭(神父様)だけが飲みます。

元上智大学神学部教授でイエズス会士のネメシェギ神父様は、「ミサこそ、キリスト者の生命の泉であり、イエスが最大の愛をもって私たちに与えた、最大の贈り物です。(中略)したがってミサのときに、イエス自身が聖霊の力によってわたしたちと共にあり、いのちをもたらす死の姿を表すパンとぶどう酒の形態のもとに、人々を自分の死と復活に合体させるのです。(ペトロ・ネメシェギ著「キリスト教とは何か」P111〜P112)」と述べられています。つまり、ミサでのご聖体拝領は、復活されたイエス・キリストの豊かな恵みに与るためなのです。
イエス・キリストの身体をいただく(ご聖体を拝領する)ということは、①「イエス・キリストの復活された体自分の身体に入る」ということになり、すべてにおいて②「イエス・キリストと一致する」ことを意味します。

先程のネメシェギ神父様は、同じ著書のところで「教会の初めから、イエスが復活したあの日、すなわち日曜日に、信者たちは一堂に集まり、「主の晩餐」を執り行ってきました。後の時代になって、教会は特別のおきてで、日曜日ごとにミサに与ること、また少なくとも毎年一度イエスの復活祭あたりに聖体をいただくことを、信者の義務にしました。しかし、わたしたちに聖体の秘跡を残したイエスの恵みの素晴らしさを少しでも理解したキリスト者ならば、このようなことを煩わしい義務としてではなく、優れた特権と感じ、できるだけ頻繁にイエスが開いているこの宴会に与り、イエスの体をいただくに違いありません。(同著P113〜P114)」先程ご紹介したイエス・キリストの聖句のとおりですが、このネメシェギ神父様のご意見に賛同しています!キリスト者(クリスチャン=信徒)として大切な行為であり、大切な務めだからですね。ですから、教会を多く訪問して多くミサに与る=多くご整体を拝領しているのです。それと、イエス・キリストが臨在(現存)する教会のお祈りの場である聖堂で、感謝の祈り、悔い改めの祈り、救いを求める人・病に苦しむ人・貧困にあえぐ人たちを救うお願いのお祈りができるからです。………回答になっていますでしょうか?ちなみに、暇だからではありません!念のため( ̄◇ ̄;)

ちなみに、
◯平成29年8月は:アドレスは、https://jesus195876.blog.so-net.ne.jp/archive/201708-1 です。
31日間ある中の22日間(71%)に12の教会に24回を訪問し、21回ミサに与り21回ご聖体を拝領させていただきました。(1日にミサ2回が2日、3回はお祈りのみ)
◯平成30年8月は:アドレスは、https://jesus195876.blog.so-net.ne.jp/2018-08-31-2 です。
31日間ある中の31日間(100%)を17の教会・修道院に42回訪問し、41回ミサに与り41回ご聖体を拝領させていただきました(1日にミサ2回が7日、1日にミサ3回が2日)
◯令和元年度8月は
どうなるのでしょうか? )
nice!(0)  コメント(0) 

教会日記その二2019.8.13(カトリック相模原教会「平日のミサ」火曜日) [教会日記]

昨日に続いて、カトリック相模原教会を訪れ、9時からの平日のミサに与りました。今朝のカトリック八王子教会での早朝7時のミサに続いて本日第2回目となります。終わってからは、仕事関係の勉強のため、四ツ谷にあるイエズス会日本管区本部附属の聖三木図書館に行きます。そして、図書館と同じ敷地内にあるカトリック麹町・聖イグナチオ教会の平日のミサに与ります。

時からのミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の神よ、
御名(みな)讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、妻の母親の病が癒やされますように、同僚の病が癒されますように、お二人の心に平安が訪れますように、また、同僚のお嬢さんの病が完治しますようにと、心を込めてお祈りしました。
nice!(1)  コメント(0) 

教会日記2019.8.13(カトリック八王子教会「平日のミサ」火曜日) [教会日記]

今日は、今年の4月13日(土)に訪問して以来、4ヶ月振りにカトリック八王子教会を訪れ、早朝7時からの平日のミサに与りました。終わってからは、カトリック相模原教会の9時からのミサに与り、仕事関係の勉強のため、四ツ谷にあるイエズス会日本管区本部附属の聖三木図書館に行きます。

ミサの前に「東日本大震災被災者のための祈り」をお祈りし、7時からのミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、妻の母親の病が癒やされますように、同僚の病が癒されますように、お二人の心に平安が訪れますように、また、同僚のお嬢さんの病が完治しますようにと、心を込めてお祈りしました。
今から、カトリック相模原教会の9時からのミサに与ります!
nice!(1)  コメント(0) 

アルフレッド・テニスンのことば(第1日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「人間は一人では、人間たりえない。」

アルフレッド・テニスン男爵(イギリス:1809年~1892年)は、キリスト教イギリス国教会のクリスチャンで、ヴィクトリア朝時代のイギリス詩人です。詩集は、日本でも翻訳・出版され愛読されているようです。
人間という文字は、「人の間」と書いて人間というわけですから、一人では人間に成り得ないわけですね。人と人とのつながりがあって初めて“生きていることの意味”があるのではないでしょうか。“相互扶助の精神”は人間存在の証しでもあります。
nice!(1)  コメント(0)