教会日記その三2019.8.14(カトリック麹町・聖イグナチオ教会「平日のミサ」水曜日) [教会日記]

今日は、お昼前から四ツ谷にあるイエズス会日本管区本部附属聖三木図書館で仕事関係の勉強をするため、カトリック赤羽教会での平日のミサに与ってから来ました。正午12時からは、カトリック麹町・聖イグナチオ教会で平日のミサ(本日第3回目のミサ)に与りました。大聖堂の補修工事によるマリア聖堂でのミサは今日で終わりです。明日からは大聖堂でのミサとなります。

正午12時のアンジェラスの鐘が響き渡る中、「平和旬間2019 平和を求める祈り」をお祈りしました。ミサでは、「聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者」の記念をお祈りし、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の神よ、
御名(みな)讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、妻の母親の病が癒やされますように、同僚の病が癒されますように、お二人の心に平安が訪れますように、また、同僚のお嬢さんの病が完治しますようにと、心を込めてお祈りしました。
さぁ、午後もイエズス会日本管区本部附属聖三木図書館で仕事関係の勉強です!う〜ん、やはりその前に昼メシですね!
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教会日記その二2019.8.14(カトリック赤羽教会「聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者ミサ」水曜日) [教会日記]

今朝は、北区赤羽にあるカトリック赤羽教会の9時からの「聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者ミサ」に与ってきました(本日第2回目のミサ)。2018年8月15日の「聖母の被昇天ミサ」に与って以来、1年振り2回目の訪問となります。赤羽教会は、聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者が在籍していた「コンベンツアル聖フランシスコ修道会」の修道司祭によって司牧されている教会です。今朝、このブログに先に掲載した記事にも書きましたが、今日は「聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者」の記念日ですから、特にミサに与りたくてお祈りに来ました。また、赤羽教会は「被昇天の聖母」に捧げられた教会で、明日は「聖母の被昇天」の記念日ですから、また明日もミサに与りにきます。

この最も教会らしいたたずまい!最高ですね。大好きな教会建築です!
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尖塔は教会の象徴ですね。美しい!
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お御堂(おみどう・聖堂)もとても美しくて立派ですね〜。これは憧れますね〜!祭壇の近景を掲載したかったのですが、撮影は許可されましたが祭壇に人がいて撮影できませんでした( ̄◇ ̄;)とても美しく珍しい「被昇天の聖母」の祭壇画だけに残念です。
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祭壇に向かって右側には、昨日記念日だった聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者の遺影と幼いイエス様を抱く聖ヨセフ様のご像があります。(昨年撮影の写真)
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祭壇に向かって左側にはアッシジの聖フランシスコのご絵と聖母マリア様のご像があります。(昨年撮影の写真)
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<カトリック赤羽教会のホームページから転載>ブログ掲載記事引用内容の明示
「1947年(昭和22年)12月8日、無原罪の聖マリアの祭日に教会の定礎式が行われ、1949年(昭和24年)8月15日に小教区として正式に認可され赤羽教会が誕生いたしました。1951年(昭和26年)11月に土井大司教様の祝別式により聖堂が落成し、「被昇天の聖母」に捧げられ、自然を愛し平和を求めたアッシジの聖フランシスコを師父として仰ぐ、コンベンツアル聖フランシスコ修道会の司祭によって司牧されています。
赤羽教会の設立は、当初長崎を拠点として活動していたコンベンツアル聖フランシスコ修道会が終戦後、東京に新しい修道院や神学生養成のための神学校の必要性を強く感じたことに起因します。ドナド・ゴスチンスキー神父とゼノ修道士が派遣され、赤羽にその地をみつけ、戦争中の空襲で焼けた工場跡のこの土地を、当時の管区長であったサムエル・ローゼンバイゲル神父がアメリカからの寄付金で購入しました。(一部省略)」

ミサに入る前に、信徒全員で赤羽教会の独自のお祈りをし、「東日本大震災被災者の祈り」と「アヴェ・マリアの祈り」を3回お祈りして「お告げの祈り」をお祈りしました。9時からのミサは、「聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者」を記念した司式内容でした。
今日もご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
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教会日記2019.8.14(カトリック田園調布教会「平日のミサ」水曜日) [教会日記]

今朝は、6月22日(土)以来、久しぶりにカトリック田園調布教会を訪れました。この教会は、フランシスコ会修道院が同じ敷地内にあり、その関係で司祭はフランシスコ会の修道士です。平日のミサ(朝ミサ)は主聖堂ではなく、中聖堂(クララ聖堂)で行われています。終わってからは、北区赤羽に移動してカトリック赤羽教会へ行き、9時からの「聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者ミサ」に与ります。少々ハードです。

6時35分くらいに着いて、40分から聖務日課(第二水曜日の朝)のお祈りが始まりました。いつものことながら聖堂に常備してある『教会の祈り-新しい聖務日課-(1480ページもある大部な本)』のどこのページをお祈りしているかわからず手をこまねいていたら、お美しいご婦人が教えてくれました。
7時からのミサ(本日第1回目のミサ)では、聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者の記念日をお祈りし、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、妻の母親の病が癒やされますように、同僚の病が癒されますように、お二人の心に平安が訪れますように、また、同僚のお嬢さんの病が完治しますようにと、心を込めてお祈りしました。
では、カトリック赤羽教会へ向かいます!
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「マキシミリアノ・マリア・コル司祭殉教者」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日は、聖マキシミニアノ・マリア・コルベ司祭殉教者の記念日です。このブログの2018年8月14日に掲載したものをそのまま再掲載します。3年連続の掲載となります。
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「憎しみからは何も生まれません。
愛だけが創造するのです。
苦しみは私たちを消滅させません。
私たちの霊が主(神)の前にもっと強くなれるよう、助けてくれるのです。」

聖マキシミリアノ・マリア・コルベ(ポーランド:1894年~1941年) は、ポーランド人のキリスト教カトリック教会の司祭で、悪名高いナチス・ドイツのアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(通称:アウシュヴィッツ捕虜収容所)で「餓死刑」に選ばれた男性の身代わりとなったことで知られ、「アウシュビッツの聖者」と言われています。キリスト教カトリック教会では、聖人に列せられています。

この言葉は、イエス・キリストの説く「愛」と「赦し」ですね。動乱の時代にご苦労をされ、一命を投げ出して自己犠牲されたコルベ神父様でこその言葉だと思います。コルベ神父と日本はご縁があって、コルベ神父が中国での宣教を考えていたところ、当時ローマに留学していた神学生の里脇浅次郎(後の長崎教区大司教及び枢機卿)に「中国へ布教に行きたいがどうしたら良いでしょうか。」と尋ね、尋ねられた里脇神学生は、「中国は政情が不安定だから、しばらく日本で待機したらどうですか。」と日本行きを勧めたのがきっかけでした。
1930年に日本(長崎)に上陸し、2ヶ月後には日本語版の「無原罪の聖母の騎士」誌(宣教の機関誌で現在も発刊中)の出版を開始し、翌年には聖母の騎士修道院を設立しています。

1936年にポーランドのニエポカラノフ修道院の院長に選ばれたため、母国であるポーランドに帰国して出版やラジオなどを通じて、精力的な布教活動を展開していました。ところが、1941年にナチス・ドイツの秘密警察機関であるゲシュタポから、コルベ神父が発行していた「無原罪の聖母の騎士」誌や日刊紙が、ナチス・ドイツに対して批判的なものでると因縁をつけられ、4人の神父と共に逮捕されてしまいました。そして、ユダヤ人を何十万人も毒ガス室で殺した悪名高い「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」に送られました。

劣悪な環境の中で毎日重労働に従事していましたが、1941年7月末、収容所からの脱走者が出たことで、懲罰として無作為に選ばれた10人が餓死刑(がしけい)に処せられることになり、その10人の内の一人であったフランツェク・ガイオニチェクというポーランド人軍曹が、「私には妻子がいる!」と叫びました。この声を聞いた時、その場所にいたコルベ神父は「私が彼の身代わりになります、私はカトリック司祭で妻も子もいませんから。」と申し出ました。収容所の責任者はこの申し出を許可し、コルベ神父と9人の囚人は地下牢の餓死室に押し込められました。そ

通常、餓死刑に処せられるとその牢内において受刑者たちは飢えと渇きによって錯乱状態で死ぬのが普通でしたが、コルベ神父は全く毅然としており、他の囚人を励ましていたそうです。時折牢内の様子を見に来た通訳のブルーノ・ボルゴヴィツは、牢内から聞こえる祈りと歌声によって餓死室は聖堂のように感じられたと証言しています。2週間後、収容所の責任者は、コルベ神父を含む4人にまだ息があったためフェノールを注射して殺害しました。

もっと詳しく知りたい方のために、次の書籍(文庫本)をご紹介いたします。あまりにも悲しい実話に涙を流さない方はいないと思います。
『聖者マキシミリアノ・コルベ』(聖母文庫)
著者:アントニオ・リッチャルディ-、 訳者:西山達也 、出版:聖母の騎士社
『アウシュビッツの聖者コルベ神父』(聖母文庫)
著者:マリア ヴィノフスカ、訳者:岳野 慶作、出版:聖母の騎士社
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