教会日記その二2019.8.6(カトリック麹町・聖イグナチオ教会「平日のミサ」火曜日) [教会日記]

今日は、仕事が終わってから、四ツ谷にあるカトリック麹町・聖イグナチオ教会の18時からの平日のミサに与りました。今日は、世界のカトリック教会では「主の変容」の祝日で、ミサでは「主の変容」をお祝いしてお祈りが捧げられました。また、日本のカトリック教会では、広島に原子爆弾が投下された本日6日から15日の終戦記念日まで、「平日旬間」が行われます。平和のために祈り、平和の尊さを学び行動する(広める)機会となります。詳しくは、今朝このブログに掲載した「カトリック成城教会「平日のミサ」火曜日」に書きましたからご覧ください。
聖イグナチオ教会は、大聖堂が補修工事(閉鎖日:8/1・8/2・8/5・8/9・8/12・8/14)のため、マリア聖堂(中聖堂)でミサが行われました。

夕刻18時のアンジェラスの鐘が響き渡る中、「平和旬間2019 平和を求める祈り」をお祈りし、ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の神よ、
御名(みな)讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、妻の母親の病が癒やされますように、同僚の病が癒されますように、お二人の心に平安が訪れますようにとお祈りし、同僚のお嬢さんの病気が完治するようにと心を込めてお祈りしました。
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教会日記2019.8.6(カトリック成城教会「平日のミサ」火曜日) [教会日記]

今朝も出勤前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城教会の7時からの平日のミサに与りました。今日は、世界のカトリック教会では「主の変容」の祝日で、ミサでは「主の変容」をお祝いしてお祈りが捧げられました。また、日本のカトリック教会では、広島に原子爆弾が投下された本日6日から15日の終戦記念日まで、「平日旬間」が行われます。平和のために祈り、平和の尊さを学び行動する(広める)機会となります。
<「平和旬間」とは>
1981年にヨハネ・パウロⅡ世教皇が来日した折に、広島市にある広島平和記念公園でのスピーチで、「戦争は人間の仕業です。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です。」と訴えられ、この教皇のスピーチを受けて日本の司教団が「平和旬間」と定めたのが始まりです。具体的には、広島に原子爆弾が投下された8月6日から8月9日の長崎の原子爆弾投下をはさみ、第二次世界大戦での敗戦に至る8月15日までの10日間を「平和のためにお祈りし、平和について学び、行動する。」というものです。

6時50分から「お告げの祈り」をお祈りし、7時からのミサでは、「主の変容」の祝日をお祝いしてお祈りを捧げました。また、今日は広島に原子爆弾が投下され、多くの人が亡くなられた日でもあります。亡くなられた方々に主の平安がありますようにお祈りを捧げました。そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の神よ、
御名(みな)讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、妻の母親の病が癒やされますように、同僚の病が癒されますように、お二人の心に平安が訪れますように、また、同僚のお嬢さんの病が完治しますようにと、心を込めてお祈りしました。そして、今日は、飼い猫のミミのお葬式(火葬)の日です。天国の神様のもとで、天使の皆さんに可愛がってもらえるようにお祈りしました。
さぁ、これから仕事に行ってきます!
◯「主の変容」については、次の「カトリック中央協議会」のホームページをご覧ください。詳しく解説しています。アドレスをクリックすると見れます。
https://www.cbcj.catholic.jp/faq/henyou/
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新約聖書:ヨハネの手紙第一・第3章・第17〜第18節 [聖書]

「世の富を持ちながら、兄弟が必要な物に事欠くのを見て同情しない者があれば、どうして神の愛がそのような者の内にとどまるでしょう。子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。」

この「ヨハネの第一の手紙」は、新約聖書中の一書で「公同書簡」と呼ばれている書簡群の一つです。伝承では老齢にさしかかった福音記者ヨハネ(使徒ヨハネ)がエフェソスで書いたものだとされてきました。
この手紙を書いたとされるヨハネは、手紙の中で主イエス・キリストの聖句(言葉)である“お互いに愛し合いなさい”をたびたび記載しています。同情することも助けることも“お互いに愛し合う”ことだと説いています。そして、言葉だけ、口先だけで終わるのではなく、“行い”をもって“愛し合いなさい”と説きます。やはり、ここでも「行い」が問われています。“善い行い”ですね。キリスト教の信仰とは、“善い行い”が伴って初めて信仰といえるのです。

この「信仰には善い行いが伴う」ということが、はっきりと書かれているのが、新約聖書に収められている「ヤコブの手紙」です。この「ヤコブの手紙」には、「信仰とは、善い行いが伴わなけらばなりません。善い行いが伴わない信仰は死んだものとなります。」と書かれています。信仰するということは、善い行いが伴うということです。信じるだけでなく、善い行いが伴わなければ、それは信仰していることにならないということですね。本文は次のとおりです。
◯新約聖書:ヤコブの手紙・第2章・第14〜第17節
「わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、あなたがたのだれかが、彼らに、『安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい』と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。」
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