今日の日記2023.7.22(カフェの午前の風景!) [日記]

今日は、仕事はお休みをいただき、都心に出て四ツ谷の整体院に行ってきました。終わってからスタバでアイスコーヒーを飲んだのですが、この数年でスタバを含めてカフェの店内風景が変わりました。それは、母親と小学生の子どもの親子が勉強をしているという風景です。子どもの勉強に母親がついて来ているとうことですね。別に夏休みだからということではなく、毎週日曜日・祝日はすでにこの風景となっています。また、大学生や中高校生は、以前から勉強している人はいました。皆さんパソコン持ち込みでやってますね。

この夏、休みの日は出かけない限り家で暑い日を過ごすことなります。電気代は値上がりしていますが、だからといってクーラーをかけないわけにはいきません。カフェなら電気代はいらないわけです。カフェは夏は冷房&冬は暖房が効いており、飲み物一つである程度の時間を過ごすことができます。ある意味、最適とはいかないまでも、いい勉強部屋になっているわけですね。また、テレビやゲームの誘惑もカフェならありません。そうなると、このカフェでの勉強はいい利用方法となるわけです………ただ、お店の方からすると、お客様の回転率は下がりますから営業としてはどうなのかなと?つい心配してしまいます(⌒-⌒; )
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教会日記2023.7.22(カトリック成城・聖タデオ教会「年間第16主日のミサ」土曜日) [教会日記]

今日は、仕事はお休みをいただき、夕方から出かけてカトリック成城・聖タデオ教会で18時からの「年間第16主日のミサ」に与りました。成城教会は、コロナ渦以前のミサ司式に戻りつつあります。朗読奉仕は、コロナ渦の間は1人で担当していましたが、以前のように第一朗読の担当と第二朗読の担当の2人体制に戻りました。また、聖歌は全部ではありませんが、すでにアレルヤ唱や閉祭の歌などは会衆全員で歌っていますし、ミサ中の応唱の部分も少しずつではありますが、新しいミサ式次第になって変更された楽譜で応唱しています。暗譜するまで、しばらく配布された楽譜を見ながら応唱することになります。

そこで、今日は第一朗読奉仕と答唱詩編の担当でした。先月、典礼係りの方から依頼がありました。私は、平日のミサで一昨年から第3月曜日の朗読奉仕を担当しており、先唱奉仕は、初金のミサを除いて第2~第4金曜日を担当しています。ちなみに以前所属していたカトリック町田教会では、毎週土曜日の主日のミサの第2朗読奉仕を6年間ほど、それこそほぼ毎週担当していたものですから、典礼委員会の皆さんから「第2朗読の男」と言われていました( ̄▽ ̄;) 朗読は聴いている方には簡単そうに思われがちですが、話す方にとってはいつまで経っても難しいですね。声量は小さ過ぎず大き過ぎず、速度は早過ぎず遅過ぎず、抑揚はつけ過ぎずですね。

◯6年ぶりにアルバを着ました。身長180cmの私がアルバを着ると、なんか余計にデカく見えてしまいます(⌒-⌒; ) やたら頭がデカくないですか!?( ̄▽ ̄;) アルバのことは、このブログの先月6月24日に掲載した「ミサの祭壇奉仕者・朗読奉仕者の服装アルバのお話し」をお読みください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-06-24-3
昨年11月末の待降節から新しい「ミサ式次第」が始まり、司式内容だけでなく、ミサに係る奉仕者の服装も新しい勧めがありました。それは、祭壇奉仕者の侍者だけでなく、朗読奉仕者もアルバ(白衣)を着用するように勧めれたことです。ただ、アルバの他に①洗礼の時に男性が使用する首から掛ける白い布(男女共用)又は②ベール(女性)に替えることもできます。
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ところで、私は左耳がまったく聴こえなくて、右耳もあまり聴こえがよくないものですから、声の音量と声色(こわいろ)が自分ではよく分かりません。これでよく聖歌隊で歌ってられるなと思うのですが、幼稚園の1年間にカワイ楽器のオルガン教室、小学1年から5年までいやいやながらもピアノの個人レッスンを受けていたのと、中学2年から大学卒業まで吹奏楽をやっていたので、一応の音感はあると思います( ̄▽ ̄;) ちなみに、ピアノはバイエルを終わってチェルニーの初めの練習曲くらいで終わり、吹奏楽の担当楽器はトロンボーン3年、フレンチホルンを6年です。しかし、今でも歌う時は音程が合っているか?という不安がつきまといますから辛いですね。

もっと問題なのは会話です。会話で相手の話す声が聴こえない、或いは聴き取りにくいものですから「もう一度お話ししていただけませんか?」と聴き返すのも相手に申し訳ないし、いいけげん面倒くさくなって、分かっていないのに「ハイ」とか「分かりました。」と言ってしまう時があるのです( ̄▽ ̄;) これは相手に対して失礼ですよね。ですから後で嫌な思いをして後悔したりする時があります( T _ T ) 声色もかわらないものですから、軽い口調で話していたり、ろれつもまわっていなかったりする時があるようです( ̄▽ ̄;) 大学時代は勉強好きでもないのに、授業で教授の声が聴きずらいものですから、教室ではいつも一番前に座っていました。

ミサでは、朗読奉仕で第一朗読と答唱詩編を担当し、主日ではありませんが、個人的に今日(22日・土曜日)の「マグダラの聖マリア」の祝日をお祝いしてお祈りしました。
そして、「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。

【音感】
音の高さに対する感覚のことで、音の高度や高度の隔たりを捉える感覚のことをいいます。主に高度に対する感覚を「絶対音感」、隔たりに対する感覚は「相対音感」と呼ぶことがあります。
【声色】
声の音色や声の調子のこと。
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「マグダラの聖マリア」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日7月22日は、「マグダラの聖マリア」の祝日です。
マグダラの聖マリアは、エルサレムの裕福な家に生まれ、幼くして両親を失い、兄のラザロと姉のマルタといっしょに暮らしていたといわれています。自由奔放な生活をし、やがて7つの悪霊につかれて苦しみ、人々から「罪の女」というレッテルをつけられて疎まれるようになりました。その時に、イエス・キリストと出会い、悪霊からも解放され、真の愛を知って回心して徹底して信仰の道を歩みました。復活したイエスが最初に現われたのは、このマリアであり、彼女が他の弟子たちにイエスの復活を告げました。

その後は、使徒たちの宣教活動を助けて、イエス昇天後、兄弟ラザロ、マルタ (マリアの姉) らとともに南仏マルセイユ(あるいはサント=マリー=ド=ラ=メール)に着き、晩年はサント=ボームの洞窟で隠士生活を送った後にその一生を終え、遺骸はいったんエクス=アン=プロヴァンス郊外のサン=マクシマン=ラ=サント=ボームに葬られたと信じられていました。ヴェズレーのサント=マドレーヌ大聖堂はその遺骸(頭蓋骨)を移葬したものと主張しています。しかし、サン=マクシマン側は今も遺骸を保持していると主張しており、一部はパリのマドレーヌ寺院にも分骨されているそうです。
(ブログ掲載文献表示:「女子パウロ会ホームページ」から引用、一部加筆・修正)

私の大好きなスペイン出身の画家エル・グレコ作の「悔悛するマグダラのマリア」です。アメリカ・マサチューセッツ州のウースター美術館に所蔵されています。グレコはマグダラの聖マリアを複数枚描いていますが、この絵はスペインのトレドに移り住んで、数年後の1580年頃に完成された作品です。エル・グレコの作品に限らず、マグダラの聖マリアを主題とした宗教画では、アトリビュートとして頭蓋骨と香油の入った壺が描かれることが多いようです。
これは墓にあると思われていたイエスの遺体に塗るために香油を持って墓を訪れたとの聖書の記述に由来しています。また、結わずに長くのばされた髪、若干露出が高めの肌の描写が多く、元娼婦という伝説上の固定観念が若干色濃く反映されているようにも見えます。なお、マグダラのマリアの長い髪については、フランスの洞窟で隠者として苦行をしていた頃に、服をまとわず髪を伸ばして毛皮のように体をおおっていたという伝説が元となっているそうです。
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新約聖書の4つの福音書で、マグダラの聖マリアについて記載されているのは、次のとおりです。①七つの悪霊をイエスに追い出していただき、磔にされたイエスを遠くから見守り、その埋葬を見届けたこと。②復活したイエスに最初に立ち会い、「すがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから」とイエスに窘められたこと。
◯新約聖書:マタイによる福音書・第24章・第8節
「そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。」
◯新約聖書:ルカによる福音書:第24章・第9~第10節
「しばらくしていつの間にかマグダラのマリアのそばには復活したイエスがついていたが、最初、彼女はそれがイエスだとは気づかなかった。「マリア」と呼びかけられてやっと、彼女はそうと気づいた。彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。」
◯新約聖書:ヨハネによる福音書・第20章・第1~2節、第11~18節
「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」
マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」 マリアは、園丁だと思って言った。 「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。 わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、 また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」 マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。」

★教皇庁典礼秘跡省、教令「マグダラの聖マリアの祭儀について」2016年6月3日:教皇庁文書 典礼秘跡省 諸文書『典礼秘跡省教令』
「教会は、西方においても東方においても、マグダラの聖マリアが主の復活の最初の証人であり最初に福音を告げた者(evangelista)であると、つねに最高の敬意をもって考え、さまざまな方法ではあるがあがめてきた。
現代において教会は、女性の尊厳、新しい福音宣教、そして神のいつくしみの神秘の偉大さに関して、いっそう熱心に熟考するよう求められている。そのため、マグダラの聖マリアの模範が信者によりふさわしく供されることも有意義であると思われる。実際、この女性は、キリストを愛し、キリストから非常に愛された者として知られている。そして、大聖グレゴリオからは「神のいつくしみの証人」(testis divinae misericordiae)と呼ばれ、聖トマス・アクィナスからは「使徒の中の使徒」(apostolorum apostola)と呼ばれ、今では教会における女性の役務の模範としてキリスト信者に認められている。
それゆえ、教皇フランシスコは、マグダラの聖マリアの祭儀が、今後は現在の記念日ではなく祝日(festum)の等級で一般ローマ暦に記入されるべきであると定めた。
 祭儀の新しい等級は、祭儀そのものが執り行われる日付の変更を含むものではない。ミサならびに聖務日課の式文に関しては、以下のことを守ることとする。
a) マグダラの聖マリアの祭儀に与えられた日付は、ローマ暦に記載されているのと同じ日付、すなわち 7 月 22 日をそのまま保つ。
b) ミサと聖務日課で用いる式文は、『ミサ典礼書』と『教会の祈り』の中でこの日に定められているのと同じ式文をそのまま使用する。ただし、本教令に添付された固有の叙唱を『ミサ典礼書』に追加する。この叙唱を国語に翻訳するのは司教協議会の務めであり、あらかじめ使徒座の認証を受けて用いることができ、『ローマ・ミサ典礼書』の次回の増刷時に挿入される。
局地法の規定に従って、マグダラの聖マリアが異なる日付または等級で適法に祝われているところでは、今後もこれまでの日付と等級のまま祝われる。
以上に反することはすべて退けられる。」
Prot. N. 257/16
典礼秘跡省にて
2016 年 6 月 3 日、イエスのみ心の祭日
長官 ロベール・サラ枢機卿
次官 アーサー・ローチ大司教

【アトリビュート】
西洋絵画、特に宗教画(キリスト教絵画)には、「アトリビュート(=持物:じぶつ)」というものがあります。これは、絵を描く時の“約束事”として、特定の人物(聖人など)に密接に結びつけられたもの、例えば花、動物、小物、道具や背景などが画かれるのです。
例えば、聖母マリア様ですと、必ず画かれているのが純潔の象徴である「百合の花」ですね。「受胎告知」の絵で、大天使ガブリエルが百合の花を持っています。そして、天の真実を意味する「青色(濃紺色)のマント」です。「祈りの聖母」と「悲しみの聖母」の絵もそうですね。他にも、「12の星の冠」や足の下に「三日月」と「蛇」が画かれています。聖母マリア様の絵を見るときはよく観察しましょうね。
他にも、聖母マリアの夫である聖ヨセフは、大工であったことから大工道具がアトリビュートになっていますし、聖アガタは、乳房を切り取られたことから、乳房がアトリビュートになっています。旧約聖書の「トビト記」に出てくるトビアスを描いた絵は、必ず魚が画かれています。(「トビト記」を読めばわかります。)
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