「聖体拝領」のお話し(改編第二版) [キリスト教関係事項・用語等]

このブログの「教会日記」で、毎日のように「ご聖体を拝領し………」と書いていますが、この「ご聖体」とは何か?について、そして、本日のブログ記事のメインテーマとなる<ミサで行われる司式に関係すること>を合わせて書いてみたいと思います。なお、信徒の方しかわからない内容だと思いますので、予めご了承ください。

現在行われているミサの中では、「聖体拝領(せいたいはいりょう)」というものがあります。これは聖書に書かれているとおり、イエス・キリストが磔刑(たっけい:十字架に磔(はりつけ)にされる刑罰)される前夜に行われた<最後の晩餐(さいごのばんさん)>において、イエス・キリストご自身が、「今後は、私の記念としてこのように行いなさい。」と言われ制定されたものです。この最後の晩餐とは、イエス・キリストと12人の使徒(12人の弟子のこと)で行われた最後の夕食会のことです。
聖書には次のとおり書かれています。
◯新約聖書:マタイによる福音書・第26章・第26~第28節
「さて、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美をささげて、それを裂き、弟子たちに与えて仰せになった、「取って食べなさい。これはわたしの体である。」また杯を取り、感謝をささげ、彼らに与えて仰せになった、「みな、この杯から飲みなさい。これは、罪の赦しのために、多くの人のために流される、わたしの契約の血である。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

◯新約聖書:マルコによる福音書・第14章・第22~第24節
「さて、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美をささげて、それを裂き、弟子たちに与えて仰せになった、「取りなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝をささげて、彼らに、お与えになった。彼らはみな、その杯から飲んだ。 するとそして、イエスは仰せになった、「これは私の血、多くの人のために流される契約の血である。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

◯新約聖書:ルカによる福音書・第22章・第17~第19節
「そして、イエスは杯を取り、感謝をささげて仰せになった、「これを取って、あなた方の間で回して飲みなさい。あなた方に言っておく。今から後、神の国が来るまでは、わたしはぶどうの実から造ったものを、決して飲まない。」それから、イエスはパンを取り、感謝をささげて、それを裂き、使徒たちに与えて仰せになった。「これは、あなたがたのために与えられる、わたしの体である。これを、わたしの記念としてこのように行いなさい。」」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

この聖書に書かれている最後の晩餐で食べたパンとは = イエス・キリストの身体のことで = 「聖体(せいたい)」と言います。カトリック教会、正教会、東方諸教会などキリスト教諸教派において、ミサや聖体礼儀で食するために “ 特殊なパン ” を聖別し、イエス・キリストの体の実体として信じて食べるものです。聖別によってパンとぶどう酒が、キリストの体と血の実体に変化することを「聖変化(せいへんか)」と言います。この聖変化がミサの中で行われるのです。
◯写真はホスチアです。直径3㎝くらいです。
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現在ではパンではなく、写真の「ホスチア」というものになります。カトリック教会では、ご聖体のパンとしてイースト菌(酵母)を使わない一種のウエハースを用います。これを「ホスチア」と呼びます。市販されておらず、修道院で作って販売していたり、カトリック聖品専門店で販売しています。「ホスチア (hostia)」はラテン語で「いけにえ(の供え物)」という意味で、もともとはご聖体として聖別されたパンとぶどう酒を指していましたが、聖別されたパンの方だけをホスチアと呼ぶようになりました。ミサでホスチアと呼ばれるパンを用いるようになったのは12世紀頃からですが、種なしパンの使用は9世紀頃に遡るそうです。私は信徒(洗礼を受けた人のこと)ですので、ご聖体を拝領できるのですが、まったくウエハースと同じですね、教会によって多少の違いはあるものの、基本的には同じ大きさですが、作る材料が少々違ったりします

◯実際のミサの司式では、次のとおりになります。
<第二奉献文>
司祭:まことに聖なる神
すべての聖性の源である父よ
いま、聖霊を注ぎ、この供えものを聖なるものとしてください。
わたしたちのために、
主イエス・キリストの
御(おん)からだと御血(おんち)になりますように。
主イエスはすすんで受難に向かう前に、
パンを取り、感謝をささげ、裂いて、
弟子に与えて仰せになりました。
『皆、これを取って食べなさい。これはあなたがたのために渡される私の身体である。』
★司祭が聖別されたホスチアを高くあげた後、一同は手を合わせて深く拝礼をします。
司祭:食事の後に同じように杯を取り、
感謝をささげ、
弟子に与えて仰せになりました。
『皆、これを受けて飲みなさい。これは私の血の杯、あなたがたと多くの人のために流されて、罪の赦しとなる新しい永遠の契約の血である。これを私の記念として行ないなさい。』
★司祭が聖別されたカリス(杯)を高くあげた後、一同は手を合わせて深く拝礼をします。
司祭:信仰の神秘。
会衆:主よ、あなたの死を告げ知らせ、復活をほめたたえます。再び来られる時まで。
司祭:聖なる父よ、
わたしたちはいま、
主イエスの死と復活の記念を行い、
み前であなたに奉仕できることを感謝し、
いのちのパンと救いの杯をささげます。
キリストの御からだと御血にともにあずかるわたしたちが、
聖霊によって一つに結ばれますように。
(後省略)

ミサでは、ご聖体拝領の時に、信徒(洗礼を受けた人)も信徒でない人(洗礼を受けていない人)も司祭:
神父様に向かって列に並びます。この場合、信徒はご聖体であるホスチアをいただくのですが、司祭が「キリストの体」と言ってホスチアを信徒の目の前に示します。信徒はそれを両手(左手の掌が上で右手が下)で受けて「アーメン」と応えて口に入れます。
信徒ではない方はご聖体であるホスチアはいただけませんが、その代わりに司祭から” 祝福 ”をいただきます。順番が来て、司祭の前で頭を下げると司祭が右手の掌で相手の頭に触れ、「主(神様)の豊かな恵みと平安がありますように。」と祝福してくれます。とても暖かな気持ちになりますよ。ちなみに、カトリック教会では、最後の晩餐で飲んだぶどう酒とは = イエス・キリストの血で = 聖別された(聖変化した)ぶどう酒となります。ミサにおいて飲むのは司祭(神父様)だけで信徒は飲みません。

◯以上のとおりですが、本日のブログ記事のメインテーマはこれからです。
実は、先ほど書いたミサでの司式中のことですが、信徒の皆さんに「それは間違っているよ!」とまでは申しませんが、「こうやった方がいいのにな~。」ということを恐れ多いのですが述べさせていただきます。先ほどミサでの司式を書きましたが、★印を付けたところが2箇所あります。ここが「述べさせていただく」と書いたところです。
司祭が、ホスチアを高く上げた時のことですが、信徒の中には、このときにキリストの身体であるホスチアを見ないで拝礼をする方がいるのです。つまり、司祭がホスチアを高く上げると同時に拝礼してしまうのです。信徒である会衆は、司祭が高く上げたホスチアを見るべきです。拝礼は、司祭がホスチアを祭壇上に下ろした(戻した)時に司祭と一緒にすればいいことです。次に同じように行われるキリストの血であるカリス(杯)を上げた時も同じことが言えます。

私が、なぜこのようなことを申し上げるかというと、それは、お会いしたことはありませんが、著作をとおして尊敬するイエスズ会のペトロ・ネメシェギ司祭(上智大学神学部教授、神学校教授をなど歴任)の著作に、次のとおり書いてあるからです。
「ミサのとき、イエスのことばを唱えたあと司祭は、「わたしたちを訪れた復活したイエスですよ」、という意味を込めてパンと杯を会衆に示します。司祭がご聖体のパンと杯を示すとき、会衆はそれを見るべきです。聖なるものを見てはいけないと考えている宗教もありますが、キリスト教の場合はそうではありません。イエスのあわれみといつくしみを思いながら、ご聖体を仰ぎ見るのはいいことです。そして、司祭が聖体を再び祭壇の上に置いてから、司祭も会衆も共に、聖体に対して最敬礼をします。」
ということです。ミサで、司祭が主に聖霊の訪れ願い、祭壇上のイエス・キリストの身体であるホスチアと血であるぶどう酒が聖別されたのですから、それを仰ぎ見ることは大切なことだと思います。
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◯上記の著作は次のとおりです。
書名:『愛とゆるし(キリスト教信仰案内講座5)』文庫本
著者:ペトロ・ネメシェギ
発行:聖母の騎士社
出版:1992年10月3日
定価:500円+税

◯ペトロ・ネメシェギ司祭紹介
著者のペトロ・ネメシェギ神父様は、1923年にハンガリーのブタペストに生まれ、プタペスト国立大学で政治学を学び、卒業後にイエズス会に入会、ローマで神学と哲学を学んでいます。1952年に司祭叙階、1956年にグレゴリアン大学で神学博士号を取得、来日して上智大学神学部で教授として教鞭をとられていました。1993年ハンガリーに帰国し、ブダペストにおいて司牧活動をしていらっしゃいましたが、2020年6月13日に帰天されました。
主な著書は、『父と子と聖霊・三位一体論』、聖母の騎士社から<キリスト教信仰案内講座>として『愛といのち』、『愛と恵み』、『愛と平和』、『神の言葉と秘跡』、『愛とゆるし』、『愛と永遠』の6冊があります。他に『どうすればしあわせに』、『ぼだい樹の笛』、『ペピの青春物語』(女子パウロ会)、『ひまわり』、『たんぽぽ』、『蛍』(南窓社)があります。どれも読みやすく素晴らしい内容の著作ばかりです。ちなみに、私が受講したカトリック町田教会の入門講座で、当時の主任司祭の小池亮太神父様が推奨された参考図書は、ペトロ・ネメシェギ神父様の『キリスト教とは何か』でした。
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