教会日記2023.7.21(カトリック成城・聖タデオ教会「年間第15金曜日のミサ」金曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「年間第15金曜日のミサ」に与りました。今週の初めは、猛暑日(35度以上)とになって連日厳しい暑さでしたね(⌒-⌒; ) とにかく熱中症に注意です!こまめな水分補給を心掛けましょう!
今日も清々しい朝を迎えています!

ミサでは、先唱奉仕を担当しました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
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渡辺和子シスターのことば(第2日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「ボランティアは『右の手のするところを左の手に知らせない』ほどのつつましさと、秘めたよろこびをもってなされるべきである。」

渡辺和子シスターのことは、「渡辺和子シスターのことば(第1日目)2023.7.19」をご覧下さい。
この言葉にある「右の手のするところを左の手に知らせない」は、新約聖書にあるイエス・キリストの聖句(言葉)です。
◯新約聖書:マタイによる福音書・第6章・第1~第6節
<施しをするときには>
「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から報いが受けられない。だから、施しをするときには、偽善者たちが人から褒められようと会堂や通りでするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。
よく言っておく。彼らその報いをすでに受けている。施しをするときは、右の手のしていることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを隠すためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。
<祈るときには>
また、祈るときは、偽善者のようであってはならない。彼らは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈ることを好む。よく言っておく。彼らはその報いをすでに受けている。あなたが祈るときは、奥の部屋に入って戸を閉め、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」
『聖書協会共同訳聖書』から

ここに記載のある「天の父」又は「父」とは、イエス・キリストの父なる神のことを指します。この新約聖書にある聖句の意味は、「善い行いやお祈りは、人々の前で “ いかにも私は善い行いをしていますよ!熱心にお祈りしていますよ! ” と人に見せびらかすようであってはいけない。善い行いやお祈りは、誰にも見られずに気づかれずに行いなさい。そうすれば、神様は報いてくださる(良いことがある報い・天国に迎えてくれるという報い)。そうではない偽善者のような人達は、現世においてすでに報い(悪いことがある報い・地獄に落ちるという報い)を受けている。」という意味になります。

そこで、「右の手のするところを左の手に知らせない」ですが、右手も左手も身体の左右にあります。これは両手で一対ですね。身体の両側にあっても体の一部であるわけです。両手で握ることもできるわけです。でも、知るとか知らないとか、手に意識があるわけではありませんね。
ですから、それほど近い両手であっても右手(自分)のすることは、左手(他人)に知られないようにすること。つまりこの表現は譬え(たとえ)話で、それを渡辺氏は新約聖書のこの聖句を用いて、「善い行いもお祈りも他人に知ってもらおうと思わないこと。他人に知られないように行いなさい。人に知られないことを秘めた喜びとしなさい。」と説いています。ボランティアは、あくまでも謙虚でありなさいということですね。
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