今日の日記2023.7.24(核医学検査結果!) [日記]

今日は、北里大学附属病院で、7月4日に受検した核医学検査の結果を医師から聴きました。結果は、「狭心症とは認められない。」というものでした。検査結果の写真を見ながら説明を受けたのですが、負荷をかけた時と平静時の差があまりなく、狭心症とまでは言えないというこどでした。だったら、あの胸の痛みは何だったのか?ということになりますが、細菌が入り込んだためなのか?検査結果からは判断できないとのことでした。次の段階の検査となると入院しての検査となりますが、現時点で発作的な心臓の痛みはないため、検査を続けずに経過を見ながら生活することになりました。まずは一安心安ですが、不安は払拭できません。とにかく節生です!

引き続き、①体重の減量に努め、②食事の量と内容を制限し、③最低でも6〜7時間の睡眠を確保するという3点を継続します。後は、無理をしない適度な運動ですね。今は、①1.5Kg 〜2Kgのダンベルで回数を多くしたダンベルダイエット、②40分〜60分のウォーキング、①と②を一日おきに交互にやっています。ウォーキングは、右膝の痛みもありますから約3Km〜4Kmを急がずに歩くことにしています。昨夜は、久しぶりに妻と2人で歩きました(^◇^)ところで、今までお金と時間を注ぎ込んだ出っ張ったお腹は、いっこうに凹っこまないですね〜(⌒-⌒; ) お腹が出っ張ったまま腹筋がついたらどうしょう!( ̄◇ ̄;) これも不安を払拭できませんね!(T_T)
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教会日記2023.7.24(カトリック成城・聖タデオ教会「年間第16月曜日のミサ」月曜日) [教会日記]

今日は、仕事はお休みをいただき、北里大学附属病院で診察と7月4日に行った核医学検査の結果・今後の治療や生活などについて、医師から詳しい話しがあります( ̄▽ ̄;) その前にカトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「年間第16月曜日のミサ」に与りました。
梅雨が開け、先週初めの連日の猛暑日(35度以上の日)からは少し解放されましたが、やはり33度前後くらいの気温が続きそうです(⌒-⌒; ) でも、夜は涼しくなりました。昨夜の22時時点で、町田市は25度ということでしたが、実際には23度、夜明け前は21度くらいではなかったかと思います。寝る前に網戸にしてカーテンを閉めてあったのですが、寒くて目が覚めて窓を閉めました。さすがすぐそばに小高い山?丘の森の樹々がありますから。相原町は田舎です!
今日も清々しい朝を迎えています!

ミサでは、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
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渡辺和子シスターのことば(第4日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「神様は私たちの『願ったもの』よりも、幸せを増すのに『必要なもの』を与えてくださいます。それは必ずしも自分が欲しくないものかもしれません。しかしすべて必要なものなのだと、感謝して謙虚に受け入れることが大切です。」

渡辺和子シスターのことは、「渡辺和子シスターのことば(第1日目)2023.7.19」をご覧下さい。
本当は「願ったもの」が欲しかったのに、神様から見てその人に「必要なもの」が与えられるということです。実はこれが案外とあるのです。願ったもの・希望したものでなく、欲しくなかったもの・希望しなかったものが与えられ、“予想しなかった結果”となって、結果的に良かったことになることがあります。過去を振り返ってみると、これも案外とあるのです。
不思議なことですね。これを「神の摂理(せつり)」と言います。キリスト教では、創造主である神の、宇宙と歴史に対する永遠の計画・配慮のことをいいます。神様はこれによって被造物(人間)をそれぞれの目標に導くということです。願ったことではなくても、与えられたもの・ことを運命だと思って受け入れることが良い結果を招くことになります。でも謙虚にならないと受け入れることはできませんね。私の自戒とするところです。

次の詩は、アメリカの南北戦争で負傷した南軍の無名兵士が、収容先の病院の病室に書き残したとされる詩です。現在は、ニューヨーク州立大学病院物理療法リハビリテーション研究所の受け付けの壁に展示されているそうです。このブログの2023年6月5日に掲載しましたが、渡辺和子シスターの言葉と同じ意味をなしていますので、ここに再掲載いたします。
◯『苦しんでいる者のための信条(詩)』
「私は何かを成し遂げようとして神に力を求めたが
私が謙遜になって従うようにと弱くされた。

私はより大きなことを成そうとして健康を求めたが
私がより良いことを成すようにと病を授かった。

私は幸福になろうとして富を求めたが
私が賢明になるようにと貧困を授かった。

私は人々の賞賛を得ようとして権力を求めたが
私が神の必要を感じるようにと弱さを授かった。

私は人生を楽しもうとしてあらゆることを求めたが
私があらゆることを喜ぶようにといのちを授かった。

私が求めたものは何一つ得られなかった
しかし願ったことはすべてかなえられた。

こんな私であるにもかかわらず
私の数々の暗黙の祈りは答えられた。

私はあらゆる人々の中にあって
最も豊かに祝福された者だ!」
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