旧約聖書:詩編・第22編 [聖書]

昨日、興味があって聖書を読んでいる同僚が、「キリストが「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫んでるけど、お父さんの神様は、結局最後にはキリストを見捨てちゃったわけなの?見殺しにしたの?(本人の言葉そのまま掲載)」という質問を受けました。
同僚には、キリスト教の一番根本となる基本的な「キリスト教の神様は、父なる神様、子であるイエス・キリスト、そして、父なる神様、子であるイエス・キリストが出る聖霊が一つの神様である。」などのことは、昨年から一通りは説明していますが、理解できたかどうか?!( ̄▽ ̄;)

その同僚への回答ですが、「これは、旧約聖書にある詩編の第22編の冒頭にある言葉で、決して父なる神様がイエス・キリストを見捨てたわけではないんですよ。」と結論を言ってから説明をしました。まず、イエス様は、生前からご自分がファリサイ派、律法学者や長老たちから排斥され、裁判にかけられて死に、3日目に復活されることはご存じのことで、何度も弟子たちに話されていました。

神はすべての人間の罪を赦すため、その裁きを罪なき御子イエスに下し、これによって義を全うされたわけです。それが父である神のみ旨であるということをイエス様は自覚されていたわけです。これは聖書にも書いてあるとおりですね。ですから、イエス様が死に臨んで「なぜお見捨てになったのですか」と言っても、これは「父である神が自分を見捨てる」という意味ではなかったのです。

当時のユダヤ人は詩編を暗記するほど読んでいたわけですが、詩編にはさまざまな種類があり、喜びのときに神を讃えるものもあれば、闇と絶望の中で神に嘆きを訴えるものもあります。全部で150編もあります。イエス様も日常の祈りの中で詩編の言葉をお祈りの言葉として唱えられていたはずです。回答となった詩編22編は、苦しみの中で神を呼ぶ信仰者の祈りです。自分にのしかかる逆境に呻きながらも、信仰者はこれまで与えられた神の導きを思い起こします。ですからイエス様も死に臨むに当たってこの詩編を唱えられたのです。

私たちキリスト者は、神がイエス様を決して見捨てられたのではないこと、むしろ神はイエス様と共におられ、イエスの死をご自分のものとして苦しまれたのだということを、「復活」の信仰をとおして知っています。しかも、「神はこのイエス様の苦しみをとおして、すべての人間の苦しみ、惨めさと孤独を担ってくださった。だからイエス様と結ばれている者には、もはや見捨てられた死はないのだ、死さえも私たちを神から遠ざけ、私たちの生の意味を破壊することはできないのだ。」と、このように私たちキリスト者は信じています。

………と、もっと優しい言葉で説明しましたが、理解してもらえただろうか( ̄▽ ̄;) でも、イエス様が見捨てられたわけではないことだけは、わかってもらえました(^◇^)

◯旧約聖書:詩編・第22編
「わたしの神よ、わたしの神よ
なぜわたしをお見捨てになるのか。
なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず
呻きも言葉も聞いてくださらないのか。
わたしの神よ
昼は、呼び求めても答えてくださらない。
夜も、黙ることをお許しにならない。
だがあなたは、聖所にいまし
イスラエルの賛美を受ける方。
わたしたちの先祖はあなたに依り頼み
依り頼んで、救われて来た。
助けを求めてあなたに叫び、救い出され
あなたに依り頼んで、裏切られたことはない。
わたしは虫けら、とても人とはいえない。
人間の屑、民の恥。
わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い
唇を突き出し、頭を振る。
「主に頼んで救ってもらうがよい。
主が愛しておられるなら
助けてくださるだろう。」
わたしを母の胎から取り出し
その乳房にゆだねてくださったのはあなたです。
母がわたしをみごもったときから
わたしはあなたにすがってきました。
母の胎にあるときから、あなたはわたしの神。
わたしを遠く離れないでください
苦難が近づき、助けてくれる者はいないのです。
22:13雄牛が群がってわたしを囲み
バシャンの猛牛がわたしに迫る。
餌食を前にした獅子のようにうなり
牙をむいてわたしに襲いかかる者がいる。
わたしは水となって注ぎ出され
骨はことごとくはずれ
心は胸の中で蝋のように溶ける。
口は渇いて素焼きのかけらとなり
舌は上顎にはり付く。
あなたはわたしを塵と死の中に打ち捨てられる。
犬どもがわたしを取り囲み
さいなむ者が群がってわたしを囲み
獅子のようにわたしの手足を砕く。
骨が数えられる程になったわたしのからだを
彼らはさらしものにして眺め
わたしの着物を分け衣を取ろうとしてくじを引く。
主よ、あなただけはわたしを遠く離れないでください。
わたしの力の神よ
今すぐにわたしを助けてください。
わたしの魂を剣から救い出し
わたしの身を犬どもから救い出してください。
獅子の口、雄牛の角からわたしを救い
わたしに答えてください。
わたしは兄弟たちに御名を語り伝え
集会の中であなたを賛美します。
主を畏れる人々よ、主を賛美せよ。
ヤコブの子孫は皆、主に栄光を帰せよ。
イスラエルの子孫は皆、主を恐れよ。
主は貧しい人の苦しみを決して侮らず、
さげすまれません。
御顔を隠すことなく
助けを求める叫びを聞いてくださいます。
それゆえ、わたしは大いなる集会で
あなたに賛美をささげ
神を畏れる人々の前で満願の献げ物をささげます。
貧しい人は食べて満ち足り
主を尋ね求める人は主を賛美します。
いつまでも健やかな命が与えられますように。
地の果てまで
すべての人が主を認め、御もとに立ち帰り
国々の民が御前にひれ伏しますように。
王権は主にあり、主は国々を治められます。
命に溢れてこの地に住む者はことごとく
主にひれ伏し
塵に下った者もすべて御前に身を屈めます。
わたしの魂は必ず命を得
子孫は神に仕え
主のことを来るべき代に語り伝え
成し遂げてくださった恵みの御業を
民の末に告げ知らせるでしょう。」
『新共同訳聖書』から
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