渡辺和子シスターのことば(第4日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「神様は私たちの『願ったもの』よりも、幸せを増すのに『必要なもの』を与えてくださいます。それは必ずしも自分が欲しくないものかもしれません。しかしすべて必要なものなのだと、感謝して謙虚に受け入れることが大切です。」

渡辺和子シスターのことは、「渡辺和子シスターのことば(第1日目)2023.7.19」をご覧下さい。
本当は「願ったもの」が欲しかったのに、神様から見てその人に「必要なもの」が与えられるということです。実はこれが案外とあるのです。願ったもの・希望したものでなく、欲しくなかったもの・希望しなかったものが与えられ、“予想しなかった結果”となって、結果的に良かったことになることがあります。過去を振り返ってみると、これも案外とあるのです。
不思議なことですね。これを「神の摂理(せつり)」と言います。キリスト教では、創造主である神の、宇宙と歴史に対する永遠の計画・配慮のことをいいます。神様はこれによって被造物(人間)をそれぞれの目標に導くということです。願ったことではなくても、与えられたもの・ことを運命だと思って受け入れることが良い結果を招くことになります。でも謙虚にならないと受け入れることはできませんね。私の自戒とするところです。

次の詩は、アメリカの南北戦争で負傷した南軍の無名兵士が、収容先の病院の病室に書き残したとされる詩です。現在は、ニューヨーク州立大学病院物理療法リハビリテーション研究所の受け付けの壁に展示されているそうです。このブログの2023年6月5日に掲載しましたが、渡辺和子シスターの言葉と同じ意味をなしていますので、ここに再掲載いたします。
◯『苦しんでいる者のための信条(詩)』
「私は何かを成し遂げようとして神に力を求めたが
私が謙遜になって従うようにと弱くされた。

私はより大きなことを成そうとして健康を求めたが
私がより良いことを成すようにと病を授かった。

私は幸福になろうとして富を求めたが
私が賢明になるようにと貧困を授かった。

私は人々の賞賛を得ようとして権力を求めたが
私が神の必要を感じるようにと弱さを授かった。

私は人生を楽しもうとしてあらゆることを求めたが
私があらゆることを喜ぶようにといのちを授かった。

私が求めたものは何一つ得られなかった
しかし願ったことはすべてかなえられた。

こんな私であるにもかかわらず
私の数々の暗黙の祈りは答えられた。

私はあらゆる人々の中にあって
最も豊かに祝福された者だ!」
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