渡辺和子シスターのことば(第2日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「ボランティアは『右の手のするところを左の手に知らせない』ほどのつつましさと、秘めたよろこびをもってなされるべきである。」

渡辺和子シスターのことは、「渡辺和子シスターのことば(第1日目)2023.7.19」をご覧下さい。
この言葉にある「右の手のするところを左の手に知らせない」は、新約聖書にあるイエス・キリストの聖句(言葉)です。
◯新約聖書:マタイによる福音書・第6章・第1~第6節
<施しをするときには>
「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から報いが受けられない。だから、施しをするときには、偽善者たちが人から褒められようと会堂や通りでするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。
よく言っておく。彼らその報いをすでに受けている。施しをするときは、右の手のしていることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを隠すためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。
<祈るときには>
また、祈るときは、偽善者のようであってはならない。彼らは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈ることを好む。よく言っておく。彼らはその報いをすでに受けている。あなたが祈るときは、奥の部屋に入って戸を閉め、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」
『聖書協会共同訳聖書』から

ここに記載のある「天の父」又は「父」とは、イエス・キリストの父なる神のことを指します。この新約聖書にある聖句の意味は、「善い行いやお祈りは、人々の前で “ いかにも私は善い行いをしていますよ!熱心にお祈りしていますよ! ” と人に見せびらかすようであってはいけない。善い行いやお祈りは、誰にも見られずに気づかれずに行いなさい。そうすれば、神様は報いてくださる(良いことがある報い・天国に迎えてくれるという報い)。そうではない偽善者のような人達は、現世においてすでに報い(悪いことがある報い・地獄に落ちるという報い)を受けている。」という意味になります。

そこで、「右の手のするところを左の手に知らせない」ですが、右手も左手も身体の左右にあります。これは両手で一対ですね。身体の両側にあっても体の一部であるわけです。両手で握ることもできるわけです。でも、知るとか知らないとか、手に意識があるわけではありませんね。
ですから、それほど近い両手であっても右手(自分)のすることは、左手(他人)に知られないようにすること。つまりこの表現は譬え(たとえ)話で、それを渡辺氏は新約聖書のこの聖句を用いて、「善い行いもお祈りも他人に知ってもらおうと思わないこと。他人に知られないように行いなさい。人に知られないことを秘めた喜びとしなさい。」と説いています。ボランティアは、あくまでも謙虚でありなさいということですね。
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