教会日記2021.3.28(カトリック成城・聖タデオ教会「受難の主日(枝の主日)のミサ」日曜日) [教会日記]

今日は、カトリック成城・聖タデオ教会の9時30分からの「受難の主日(枝の主日)」のミサに与りました。カトリック教会では、今日から4月4日の「復活祭」に向けて「聖週間」が始まりました。聖週間と今日の受難の主日(枝の主日)については、詳細をこのブログに掲載しましたのでお読みください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2021-03-28

聖堂の祭壇横に、棕梠(シュロ)の枝が十字架と共にかかげられています。
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午後から雨が降るようですね。花粉症の私には神様のお恵みですが、それにしても風が強く肌寒いです。春一番でしょうか。緊急事態宣言は解除となりましたが、感染者が増えているようですね。気をつけないと第4波となって、またまた緊急事態宣言となりかねません( ̄◇ ̄;) 聖週間に入り、4月3日の復活の主日・聖なる徹夜祭と4日の復活の主日・日中のミサまでは、何事もないことをお祈りしています。

聖堂横の桜も見頃は今日が最後になりそうです。超満開です!
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ミサは、コロナ渦にあることから3蜜を避けるため、ソーシャルディスタンスで入堂制限があります。また、今までミサに与っていた回数を半減することやなるべく自宅でのお祈りを推奨しています。緊急事態宣言が延長されましたから、ミサに与るにはまだまだ制限が継続されます。
ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
とお祈りしました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、仕事の同僚と同じ病の私の親しいご婦人の二人の病気が癒されますようにお祈りしました。最後に、「主よ、ここにわたしがおります。このわたしを遣わしてください。アーメン」とお祈りしました。
さぁ、今から復活祭で歌う聖歌の練習です!
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「聖週間」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日3月28日(日)から、キリスト教会において「降誕祭(クリスマス)」と並んで最も重要な「復活祭(イースター)」前の「聖週間」が始まりました。4月4日(日)の「復活祭(復活の主日)」の前日までの一週間を「聖週間(せいしゅうかん)」といいます。また「受難週(じゅなんしゅう)」ともいいますが、この受難とは、イエス・キリストが十字架で磔刑(たっけい:十字架のはりつけの刑)されたことをいいます。
昨夜3月27日(土)から今日の3月28日(日)は「受難の主日=枝の主日(えだのしゅじつ)」で、月曜日からは次のようになります。
3月29日(月)は「受難の月曜日」
3月30日(火)は「受難の火曜日」
3月31日(水)は「受難の水曜日」
4月1日(木)は「聖木曜日(主の晩餐の夕べのミサ)」
4月2日(金)は「聖金曜日(主の受難の祭儀)」・「過ぎ越しの聖なる断食(大斎・小斎)」
4月3日(土)は「聖土曜日」・夜から「復活の主日(復活祭)・聖なる復活徹夜祭(ふっかつてつやさい)」です。通常はこの復活徹祭で「洗礼式」が行われます。1日(木)からは最も重要な「聖なる三日間」といいます。
4月4日(日)は「復活の主日(復活祭)・日中のミサ」です。

◇受難の主日=枝の主日(えだのしゅじつ:「棕梠(シュロ)の主日」ともいいます)
聖週間の初日となる「受難の主日=枝の主日」は、キリスト教カトリック教会では祝日で、復活祭の一週間前の日曜日に当たります。この祝日は、イエス・キリストが子ろばに乗り、エルサレムに入城した時を記念するものです。新約聖書の「ヨハネによる福音書」では、エルサレムに来たイエス・キリストを、イエス・キリストの通る道で棕梠(シュロ)の木の枝を振ったり道に敷きつめたりして、「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に。」と叫び喜び迎えました。

このイエス・キリストがエルサレムに入城した時の、その群衆の様子をミサの中で思い起こすため、皆さんは聖歌を歌いながら、棕梠(シュロ)の枝(写真)をもって神父様から祝別(祝福)のため、聖水をかけてもらうのです。その日が今日でした。祝福(祝福)を受けた枝はもらって帰り、来年の「灰の水曜日」まで家の中に飾っておきます。
また、この日の典礼の最大の特徴は、司祭(神父様)と複数の朗読者、さらには会衆全員の参加による「イエスの受難の朗読」が行われることです。朗読は今年は典礼の聖書朗読配分がB年ですので、『マルコによる福音書:第15章・第1〜第39節又は14章・第1〜第15節』からとられています。通常はイエス・キリスト役は司祭(神父様)、ローマ帝国のシリア州総督であったポンティオ・ピラト役は信徒から1人、群集役は信徒全員、語り手は信徒から1人です。悲しくも感激のある朗読となります。

ピーテル・パウル・ルーベンス作の「キリストのエルサレム入城」です 1632年。フランス最古の美術館の一つである「ディジョン美術館」蔵です。
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〈入城の福音〉
今年のミサにおける聖書朗読配分が「B年」となっていますから、次の『マルコによる福音書』又は『ヨハネによる福音書』のどちらかが朗読されます。
◯新約聖書:マルコによる福音書・第1〜第10節
「一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山に面したベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、言われた「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだ誰も乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れてきなさい。もし、誰かが、「なぜ、そんなことをするのか」と言ったら、「主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります」と言いなさい。」二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばがつないであるのをみつけたので、それをほどいた。「すると、そこに居合わせた人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。二人が子ろばをイエスのところに連れてきて、その上に自分の上着を掛けると、イエスはそれにお乗りになった。多くの人が自分の上着を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て敷いた。そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。
「ホサナ
主の名によって来られる方に
祝福があるように。
我らの父ダビデの来たる国に
祝福があるように。
いと高きところにホサナ」
『聖書協会共同訳聖書』から
◯新約聖書:ヨハネによる福音書・第12章・第12~第16節
「その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。
「ホサナ。
主の名によって来られる方に、
祝福があるように、
イスラエルの王に。」
イエスはろばの子を見つけて、お乗りになった。次のように書いてあるとおりである。「シオンの娘よ、恐れるな。見よ、お前の王がおいでになる、/ろばの子に乗って。」弟子たちは最初これらのことがわからなかったが、イエスが栄光を受けられたとき、それがイエスについて書かれたものであり、人々はそのとおりにイエスにしたのだということを思い出した。」
『聖書協会共同訳聖書』から

◇聖木曜日「主の晩餐」(この日のミサは「主の晩餐の夕のミサ」と言います。)
聖木曜日(せいもくようび)は、復活祭前の週の木曜日のこと。「洗足木曜日(せんぞくもくようび)」とも呼ばれます。聖木曜日からの三日間は特に尊重され、「聖なる三日間」と呼びます。イエス・キリストと使徒たちの「最後の晩餐(さいごのばんさん)」を記念する日であり、その席でイエスが(へりくだりの行いとして)弟子たちの足を洗ったという記述が福音書に見られるため、「洗足木曜日」という呼称が生まれました。また、カトリック教会ではこの日を「司祭職の制定の日」としており、司教が司祭たちに聖香油を渡す慣習があります。
◯新約聖書:コリントの信徒への手紙一・第11章・第23〜第26節
「私があなたがたに伝えたことは、私自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りを献げてそれを裂き、言われました。『これは、あなたがたのための私の体である。私の記念としてこのように行いなさい。』
食事の後、杯も同じようにして言われました。『この杯は、私の血による新しい契約である。飲む度に、私の記念としてこれを行いなさい。』だから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲む度に、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。
『聖書協会共同訳聖書』から
◯新約聖書:ヨハネによる福音書・第13章・第1〜第15節 ※「洗足」
「過越祭の前に、イエスは、この世から父のもとへ移るご自分の時が来たことを悟り、世にいるご自分の者たちを愛して、最後まで愛し抜かれた。夕食のときであった。すでに悪魔は、シモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていた。イエスは、父がすべてをご自分の手に委ねられたこと、また、ご自分が神のもとに帰ろうとしていることを悟り、夕食の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手拭いを取って腰に巻かれた。それから、たらいに水を汲んで弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手拭いで拭き始められた。(中略)こうしてイエスは弟子たちの足を洗うと、上着を着て、再び席に着いて言われた。「私があなたがたにしたことが分かるか。あなたがたは、私を『先生』とか『主』とか呼ぶ。そう言うのは正しい。私はそうである。それで、主であり、師である私があなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合うべきである。私があなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのだ。」
『聖書協会共同訳聖書』から

◇聖金曜日「主の受難」
聖金曜日(せいきんようび)は、復活祭前の週の金曜日のこと。「主の受難日」とも呼ばれます。『ヨハネによる福音書:第18章・第1〜第19節・42節』にあるの記述をもとにイエスの受難を思い起こす特別な典礼や祈りが行われます。カトリック教会では聖金曜日には断食を行う習慣があます。断食といっても完全な絶食ではありませんが、「大斎(たいさい)」と「小斎(しょうさい)」を行います。「大斎・小斎」の説明は、このブログの「灰の水曜日のお話し2021.2.17」
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2021-02-17-1をお読みください。 
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