教会日記2021.3.5(カトリック成城・聖タデオ教会「初金のミサ」金曜日) [教会日記]

今日は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会の7時からの初金のミサに与りました。今朝は寒さは和らいでいますが、午後から雨が降ってくるようですね。季節の変わり目は気温の変動が大きかったりしますから、引き続き体調管理に注意が必要です。今は「四旬節」ですので、いつもに増して祈りに専心し、積極的に愛徳の業を行い、毎日の生活で節制するようにしなければなりません。4月4日の「復活祭」に向けて信仰生活を充実したものにしましょう!

ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人の二人が癒されるようお祈りしました。
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「2021年 性虐待被害者のための祈りと償いの日」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日3月5日は、「性虐待被害者のための祈りと償いの日」です。内容については、次のカトリック東京大司区の菊池大司教からの文書をお読みください。(カトリック東京大司教区ホームページから)

カトリック東京大司教区の皆様
2021年「性虐待被害者のための祈りと償いの日」について
「神を信じるわたしたちには、神の賜物である尊厳あるいのちを守るために最善を尽くす義務があります。残念ながら、その務めの模範たるべき聖職者が、とりわけ性虐待という人間の尊厳を辱め蹂躙する行為におよんだ事例が、世界各地で、過去にさかのぼって多数報告されています。なかでも保護を必要とする未成年者に対する性虐待という、卑劣な行為を行った聖職者の存在も明らかになっています。加えて司教をはじめとした教会の責任者が、聖職者の加害行為を隠蔽した事例も、少なくありません。日本の教会も例外ではありません。

教皇フランシスコは、聖職者によるこのような問題に教会が全体として真摯に取り組み、その罪を認め、ゆるしを願い、また被害にあった方々の尊厳の回復のために尽くすよう求めておられます。そして特別の祈りの日を設けるようにと指示されました。日本の司教団は、日本における「性虐待被害者のための祈りと償いの日」を、四旬節・第二金曜日と定めました。2021年にあっては、来る3 月5日(金)がこの「性虐待被害者のための祈りと償いの日」にあたります。東京教区の各小教区共同体にあっては、この日、またはその直後の日曜日に、教皇様の意向に従ってミサを捧げてくださるようにお願いいたします。

そのミサにおいては、『ゆるしの奉献文』が使用されることといたします。またこの意向を持ってのミサが主日など他の日に捧げられる場合でも、3月5日当日には、祈りの時を持つことも勧められています。なお共に唱えるための祈りが新潟教区訳で準備されています。また東京カテドラル聖マリア大聖堂では、3月7日(日)午前10時の関口教会主日ミサをこの意向を持っての大司教ミサといたします。祈りを共にしてくださるように、お願いいたします。無関心や隠蔽という教会の罪を認めるとともに、被害を受けられた方々に心からお詫び申し上げます。同じようなことが繰り返されないように、信仰における決意を新たにし、愛のうちに祈り、行動したいと思います。」
カトリック東京大司教区 大司教 菊地 功

「性虐待被害者のための祈りと償いの日」共同祈願例文
・いつくしみの主である神よ、教会に集う私たちが、被害に遭われた方の痛みに寄り添い、共に癒しの道を歩めるよう導いてください。
・加害者が謙虚にその過ちを認め、被害に遭われた方とその家族に誠実に謝罪することができるよう、光と力をお与えください。
・仕えるために来られたキリストに従い、人々への奉仕の道を歩むことを選んだ聖職者たちが、その使命を全うすることができるよう導いてください。
・神の民である私たちが良心に目覚め、弱い立場におかれている子どもや大人を守り、連帯し、キリストの福音を告げる使命を全うすることができますように。
(カトリック中央協議会 子どもと女性の権利擁護のためのデスク 作成)

『性的虐待被害者のための祈り』
「天の父よ、
あなたは、あなたのすべての子どもたち、
特に最も小さく弱い子どもたちを愛し、
心にかけておられます。
性的虐待を受け、信頼と純真の心を傷つけられてしまった、
自分を守ることのできない多くの子どもと大人たちをあなたに委ねます。
私たちが彼ら、彼女らの苦しみの叫びに耳を傾け、
損なわれた多くの人生に寄り添い、
責任ある行動を取っていくことができますように。
被害を受けた方々が、仲間や家族からの理解と支えを受け、
あなたの恵みによって傷が癒やされ、
平安に生きることができますように。
聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、
罪を除いて私たちと同じ弱さを身にまとわれた御子、
私たちの主、イエス・キリストによって。
アーメン。」
(教皇庁児童を守るための委員会作成 新潟教区訳)
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新約聖書:コリントの人々への第二の手紙・第13章・第13節 [聖書]

「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、みなさん一同とともにありますように。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

この聖句(聖書の言葉)は、ミサの司式の冒頭(一番最初のところ)で司祭の言葉に採用されている聖句です。今日は、ミサに関係することですので、信徒の方しかわからない内容ですね。ご了承ください。
<開祭の儀>
「入祭のあいさつ」のところで、
司祭:会衆(信徒)に向かって十字を切りながら「父と子と聖霊のみ名において」と唱えます。
会衆:(司祭と一緒に)十字を切ってから「アーメン」と唱えます。
司祭:「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんと共に。」と唱えます。
会衆:「また司祭と共に」と応えます。
そして司式は「回心の祈り」に入っていきます。

この司祭の唱える「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんと共に。」は、『コリントの人々への第二の手紙』の一番最後にある第13章の第13節からの引用だったのですね。この聖書の言葉は、キリスト教の根本である「三位一体の神」を見事に表現しています。私も私的な手紙やメールの最後の結びとして「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが◯◯さんと共にありますように。」と書くようにしています。ただし、クリスチャンではない方への手紙には意味が通じない(理解できない)ですから使えないですね~( ̄▽ ̄;)
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