今日の日記2021.3.20(豪徳寺の洋食屋さん!) [日記]

昨夜のことになりますが、仕事帰りに小田急線豪徳寺駅で偶然に卒業生と出会い、近くにある「洋食ボンバー」に寄って食事を共にしました。私は、天然の大きな海老を揚げた「海老フライ定食」にしました。海老も美味しいですが、特製タルタルソースも美味い!
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『グレゴリア聖歌「昇天と聖霊降臨」』CDのご紹介 [キリスト教と音楽]

今日ご紹介するグレゴリオ聖歌のCDは、ベルギー王国にある「プレモントレ会グリンベルゲン大修道院 の聖歌隊による『昇天と聖霊降臨~グレゴリオ聖歌~』です。グレゴリオ聖歌は、単旋律聖歌の基軸をなす単旋律、無伴奏の宗教音楽(聖歌)で、主にカトリック教会で用いられます。
主に9世紀から10世紀にかけて、西ヨーロッパから東に広がってフランク人の居住地域で発展し、後に改変を受けながら伝承したものです。教皇グレゴリウス1世が編纂したと広く信じられていましたが、現在では、カロリング朝にローマとガリアの聖歌を統合したものと考えられています。
グレゴリオ聖歌のCDは本当にたくさん出回っており、どのCDもよく似た感じを受けます。その中でも、このCDはお勧めの1枚です。歌詞はラテン語ですので意味はわかりません( ̄▽ ̄;) が、美しい単旋律の調べが静かな聖堂の中で響き、聴くものに神様の癒しを感じさせてくれます。
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CDのご紹介の前に、修道会「プレモントレ会」をご紹介しましょう。(ブログ掲載文献表示:日本大百科全書から引用)
「プレモントレ会は、1120年、聖ノルベルトSt. Norbert(1080ころ―1134)が、フランスのプレモントレに創立した修道参事会員の修道会。厳格な観想修道生活と13世紀の托鉢(たくはつ)修道会との間に生まれた司祭からなる修道会で、修徳と司牧とをあわせもった修道会を目的とし、その意味でドミニコ会の先駆となった。会律は、聖アウグスティヌス修道会律を採用し、かつ補足強化し、修道三誓願をたて、シトー会の影響も受けながら最初聖職者40名とともに出発した。1126年には教皇庁によって公認され、のちドイツを中心に西欧、東欧に発展した。生活は清貧を基調とし、手の労働、簡素な食物と衣服を厳守し、白い制服を身にまとい「白い修道会」または「白い参事会員」として知られる。近代では、宗教改革やフランス革命などによって破壊され、19世紀になって徐々に再興され、とくにベルギー、アメリカで再建された。」

◯『昇天と聖霊降臨~グレゴリオ聖歌~』
ベルギー グリンベルゲン大修道院グレゴリオ聖歌隊
HEMELVAART en PINKSTEREN
GREGORIAANS ABDIJKOOR GRIMBERGEN
曲目
<昇天>HEMELVAART
1.父よ、わたしは現した  Pater, Manifestavi
2.ガリラヤの人々  Viri Galilaei
3.キリストは昇られる  Ascendens Christus

<聖霊降臨>PINKSTEREN
4.主の霊は  Spiritus Domini
5.聖霊 来てください<アレルヤ唱>  Veni Sancte Spiritus(Alleluia)
6.聖霊 来てください<聖霊の続唱>  Veni Sancte Spiritus(Prosa)
7.天から音が響き  Factus Est Repente
8.造り主である霊 来てください  Veni Creator Spiritus

<キリストの聖体>SACRAMENTSDAG
9.なんと甘美な  O Quam Suavis Est
10.民を養い  Cibavit Eos
11.わたしの肉は  Caro Mea
12.そのたびことに  Quotiescumque

<年間第18主日>18de ZONDAG NA PINKSTEREN
13.平和をお与えください  Da Pacem
14.主よ、祈りを聞き入れてください  Domine, Exaudi Orationem
15.聖なるものとした  Sanctificavit
16.献げ物をもって  Tollite Hostias

<聖母の被昇天>ONZE-LIEVE-VROUW HEMELVAART
17.大いなるしるし  Signum Magnum
18.わたしを幸せなものと呼ぶ  Beatam Me Dicent
19.みごとな器  Haec Est Praeclarum Vas

<年間23主日>23ste ZONDAG NA PINKSTEREN
20.主は仰せになる  Dicit Dominus
21.地の淵から  De Profundis
22.あなたがたにアーメン  Amen Dico Vobis
23.うるわしい女王  Salve Regina
全23曲 55分36秒
発行:女子パウロ会
定価:2,776円(税込)
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新約聖書:マタイによる福音書・第6章・第1〜第6節 [聖書]

「人々の前で自分の善い行いを見せびらかさないように気をつけなさい。さもないと、天におられるあなた方の父のもとで、報いを受けることはできない。だから、施しをする時には、偽善者たちが人から称賛されようとして、会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。あなた方によく言っておく。彼らはすでに報いを受けている。あなたが施しをする時には右の手のすることを左の手に知らせてはならない。これは、あなたの施しを隠しておくためである。そうすれば隠れたことをご覧になるあなたの父が報いてくださる。
また、あなた方は祈る時、偽善者のようであってはならない。彼らは人に見せびらかすために、会堂や街角に立って祈るのを好む。あなたがたによく言っておく。彼らはすでに報いを受けている。あなたは祈る時は、奥の部屋に入って入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた行いをご覧になるあなたの父が報いてくださる。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

ここに記載のある「天の父」又は「父」とは、イエス・キリストの父なる神様のことを指します。この聖句(イエス・キリストの言葉・聖書の言葉)の教えは、①愛の行いと②祈りのについての正しい行い方です。
この聖句を解釈しますと、「善い行いやお祈りは、人々の前で“いかにも私は善い行いをしていますよ!熱心にお祈りしていますよ!”と見せびらかすようであってはいけない。善い行いやお祈りは、誰にも見られずに気づかれずに行いなさい。そうすれば、神様は見ておられ、必ずや報いてくださる(善いことがある報い・天国に迎えてくれるという報い)。そうではない偽善者のような人達は、現世においてすでに報いを受けているため、将来において救いを期待できない、あるいは救われないという解釈になります。

そこで、「右の手のするところを左の手に知らせない」ですが、右手も左手も身体の左右にあります。これは両手で一対ですね。身体の両側にあっても身近にあるわけです。両方の手で握ることもできるわけです。でも、知るとか知らないとか、手に意識があるわけではありませんね。ですから、それほど近い両手であっても右手(自分)のすることは、左手(他人)に知られないようにすること。つまりこの表現は譬え(たとえ)話しで、「善い行いもお祈りも他人に知ってもらおうと思わないこと。他人に知られないように行いなさい。人に知られないことを秘めた喜びとしなさい。」ということです。偽善者はダメですよ!
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