教会日記2021.3.30(カトリック成城・聖タデオ教会「聖週間・受難の火曜日のミサ」火曜日) [教会日記]

今日は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会の7時からの「聖週間・受難の火曜日のミサ」に与りました。日中はかなり暖かくなってきました。朝もスーツ姿で通勤できるほどです。花粉症は、ピークを超えたようですが、まだ続きます( ̄◇ ̄;) 憂うつな日々が続いています。さて、今は「聖週間」中です。復活祭に向けていつもに増して祈りに専心しましょう!

ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人の二人が癒されるようお祈りしました。最後に「主よ、わたしがここにおります。このわたしを遣わしてください。アーメン」とお祈りしました。
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『キリストにならう』第2巻・第3章(第2日目) [キリスト教と読書]

「まず、あなた自身のうちに平和を保ちなさい。
そうすれば、他人にも平和を分けることができる。
平和な人は、偉大な学者よりも他人のためになる。
感情的な人は善さえも悪に変え、また悪を信じやすい。
ところが、平和を愛する人は、すべてを善に変える。
心に平和を保っている人は、誰をも疑わないが、
不平を言い怒りっぽい人は、いろいろな疑いに苦しめられる。
その人は、自分も平和を知らず、また他人の平和をも乱す。
またそうした人は、しばしば言ってはならないことを言い、
自分のしなければならないことをおろそかにする。
彼は他人のすることに気つかい、彼は自分の務めは怠る。
だから、あなたはまず、自分の霊魂について熱心でありなさい。
そうすれば自然に、隣人のことにも熱心に注意することができるであろう。」

「キリストにならう」の詳細は、「『キリストにならう』第1巻・第16章『他人の欠点を耐え忍ぶ』(第1日目)2021.3.23」をご覧ください。
そうですね、感情的になっては、その人に平和(平安・安らぎ)は訪れないでしょうね。自分の心が平安でいられるかは、いかに”心を平静に保つことができるか”ということにつきると思います。怒りやすい、疑いやすいといった起伏の激しい人には平和(平安・安らぎ)は訪れませんね( ̄▽ ̄;)
他にも、一緒にいて心を煩わす人もダメですね。そのような人と一緒では、心は平安にはなりません。残念ですがやめた方がいいですね。性格、育った環境や生活状況の違いも大きな要素です。私のように、①信仰、②家庭、③仕事、④社会支援活動の4つについて、寝ている時間以外、ある意味常に行動している人間は、ごく普通の生活をしている多くの人達に”煩わしさ”というご迷惑をおかけしているのではないかと。反省しなければなりませんね。”時と場合”ということもあり、難しいものがあります。しかし、不思議と平安な人のまわりには、平安を求めて人がたくさん集まってくるものです(⌒-⌒;)
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