旧約聖書:シラ書(集会の書)・第19章・第13〜第17節 [聖書]

「友に問いただせ。
彼は、何もしていないかもしれない。
何かしていたとしても、二度とはしなくなるだろう。

隣人に問いただせ。
彼は、何も言っていないかもしれない。
何か言っていたとしても、二度と繰り返さないだろう。

友人に問いただせ。
しばしば中傷にすぎないものだ。
噂は一切信じるな。
心ならずも口を滑らせてしまう者もいる。

自分の舌で罪を犯したことがない者がいるだろうか。
隣人を脅す前に、問いただせ。
あとは、いと高き方の律法に任せよ。」
『聖書協会共同訳聖書』から

“噂(うわさ)話し”が好きな人は多いですね~。噂話しのほとんどは人の悪口ばかりです。しかも、本当のことではなく嘘の場合が多いですね。また、本当のことであっても尾ひれが付いて、勝手に話しが大きくなっているのです。シラ書に書いてあるとおり、大切なことは噂話しをする前に、噂の主人公になっている当事者本人に聞くことです。あえて噂をする人がいますが、それは絶対にしてはいけない「悪意」です。そして、自分が噂話しの主人公になるのが嫌だったら、他人の噂話しは絶対にしないことです。普段から気を付けなければならないことであり、私の自戒する言葉であります。最後にある「いと高き方の律法に任せよ。」は、後はすべてを見ておられる神様に委ねなさいということです。

【尾ひれ(尾鰭)が付く】
一般的に多い意味(解釈)は、「話が伝わる間に、実際にないことが付け加わって大げさになること。」というものです。しかし、この解釈えすと、元々魚には尾鰭(おひれ)は付いているのに、さらに(もう一つ)付けることになるということですが、実際に尾鰭はないことではなく尾鰭はあるわけです。
私はこのような解釈ではなく、次の解釈を推奨します。
「本体となるものに付帯している部分。特に、話題に付け加えられる事柄。おまけ。」
尾鰭は魚本体の最後尾に付いているもので、いわば魚本体ではないわけです。尾鰭が「実際にないこと」ではなく、「本体となるものに付帯している」ということで、「尾鰭が目的なのではない」ということですね。あくまでも尾鰭は”おまけ”なのです。 つまり、「話に尾鰭がつく」とは、「誇張」とか「大げさ」という表現は否定しませんが、それよりも「本題以外のいらない部分が増える」ということですね。質的に膨らむこともありますが、単に量的に膨らむことを意味すると解釈します。なんか日本語を難しくしちゃいました?
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