2021年4月の訪問教会・支援活動日記 [訪問教会・支援活動記録]

4月4日に「復活の主日」を迎え、新しい年度が始まりました。コロナ渦での生活も1年が経ち、再々発出された緊急事態宣言もあり、ミサも「条件付き公開ミサ」を継続しています。私が所属する成城教会は平日のミサは火曜日と金曜日の2日で、主日のミサは土曜日の16時からと日曜日は9時30分と14時になっています。聖歌隊奉仕活動は、4月4日(日)の復活の主日・日中のミサの9時30分と11時30分の2回担当しました。
4月は30日間ある中の13日間( 43.3%)を1つの教会・修道院に回訪問し、12回ミサに与ってご聖体を拝領させていただきました。また、ホームレス支援活動は2回参加しました。

1日(木)支援活動:山谷夜回りの会・19時30分から
※成城教会:聖木曜日・主の晩餐の夕べのミサ・19時から(欠席)
2日(金)成城教会:聖金曜日・主の受難の祭儀・19時から
3日(土)成城教会②:復活の主日・聖なる復活徹夜祭・18時から
4日(日)成城教会③:復活の主日・日中のミサ・9時30分・11時30分から・聖歌隊担当
5日(月)………
6日(火)成城教会④:平日のミサ・7時から
7日(水)………
8日(木)………
9日(金)成城教会⑤:平日のミサ・7時から
10日(土)………
11日(日)………
12日(月)………
13日(火)成城教会⑥:平日のミサ・7時から
14日(水)………
15日(木)支援活動②:山谷夜回りの会・19時30分から
16日(金)成城教会⑦:平日のミサ・7分から
17日(土)成城教会⑧:主日のミサ・16時から
18日(日)………
19日(月)………
20日(火)成城教会⑨:平日のミサ・7時から
21日(水)………
22日(木)………
23日(金)成城教会⑩:平日のミサ・7時から
24日(土)成城教会⑪:主日のミサ・16時から
25日(日)………
26日(月)………
27日(火)成城教会⑫:平日のミサ・7時から
28日(水)………
29日(木)………
30日(金)成城教会⑬:平日のミサ・7時から
以上です。
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教会日記2021.4.30(カトリック成城・聖タデオ教会「復活節第四金曜日のミサ」金曜日) [教会日記]

今日は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会の7時からの復活節第四金曜日のミサに与りました。昨日というか昨夜の雨は凄かったですね〜よく降りました。おかげで今朝は爽やかですね。朝の寒さも和らぎ、気持ちのいい朝を迎えています。路上の花粉も洗い流されたようです。今は復活節で、今日は「復活節第四金曜日」です。これからも福音を告げ知らせ、祈りと善き行いに励みましょう!

ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学3年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人の二人が癒されるようお祈りしました。最後に「主よ、わたしがここにおります。このわたしを遣わしてください。アーメン」とお祈りしました。
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『現代の貧困 ─ワーキングプア/ホームレス/生活保護』のご紹介 [貧困問題]

日本の貧困問題について、先々月からいろいろな本を読んでいますが、今日は第2弾『現代の貧困 ─ワーキングプア/ホームレス/生活保護』です! 本書の内容について、筑摩書房のホームページから掲載いたします。
「格差社会の果てにワーキングプアや生活保護世帯が急増中、と言われる。しかし本当にそうか?バブルの時代にも貧困問題はあった。ただそれを、この国は「ない」ことにしてきたのだ。そもそも、貧困をめぐる多様な議論が存在することも、あまり知られていない。貧困問題をどう捉えるか、その実態はどうなっているのか。ある特定の人たちばかりが貧困に苦しみ、そこから抜け出せずにいる現状を明らかにし、その処方箋を示す。」と本書の概要(内容)を説明しています。
目次
1章 格差論から貧困論へ
2章 貧困の境界
3章 現代日本の「貧困の経験」
4章 ホームレスと社会的排除
5章 不利な人々
6章 貧困は貧困だけで終わらない
7章 どうしたらよいか
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本書は、随分前に出版された本ですが、各種の調査データに裏付けされた分析や政策的な提言など、大いに勉強することがありました。私は東京の山谷地区でホームレス支援活動を行っていますが、物的支援だけでは根本的な支援にはならず、時折<焼け石に水>ではないかと思ってしまう時もありますが、このような貧困関係の書籍を読んでいると、支援活動改善のヒントをみつけることができるのがいいところですね。この本は、2007年に出版されてから最近まで何回かの増刷をしていますので、評価が高く広く読まれているのでしょう。困っている人を助けるということが、一般化されていない社会には平和は訪れません。イエス・キリストは、「隣人をあなた自身のように愛しなさい」と説いておられます。(新約聖書:『マタイによる福音書』第22章・第39節)大切なことは「隣人への愛」とそのための「善き行い」ですね。

著者:岩田正美
1947年生まれ。中央大学大学院経済学研究科修士課程修了。博士(社会福祉学)。現在、日本女子大学教授。研究テーマは、貧困・社会的排除と福祉政策。『戦後社会福祉の展開と大都市最底辺』(ミネルヴァ書房)で第2回社会政策学会学術賞、第4回福武直賞を受賞。他の著書に『老後生活費――今日と明日』(法律文化社)、『消費社会の家族と生活問題』(培風館)、『ホームレス/現代社会/福祉国家――「生きていく場所」をめぐって』(明石書店)などが、共著に『貧困と社会的排除――福祉社会を蝕むもの』(ミネルヴァ書房)、『社会福祉研究法――現実世界に迫る14レッスン』(有斐閣)などがある。
出版:筑摩書房(ちくま新書)
発行:2007年5月7日
定価:858円(税込み)
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「シエナの聖カタリナおとめ教会博士」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日4月29日は、シエナの聖カタリナ(又はシエナのカテリーナ:イタリア語: Santa Caterina da Siena, 1347年~1380年)の記念日です。
彼女はドミニコ会第三会員の在俗修道女(尼僧)です。本名はカテリーナ・ベニンカーサといい、裕福な家庭の出身でした。14世紀は、教会内の分裂、ペストの流行、教皇のローマからアヴィニョンへの退去などで混乱していましたが、彼女はペスト患者や貧しい人々、刑務所にいる人々のために献身的に働き、また、手紙や著書をもって教会と国家のあいだの困難な問題、特に教皇のローマ帰還、ドミニコ会の改革のために貢献しました。
カトリック教会、福音主義ルーテル教会、聖公会で聖人。記念日は4月29日です。シエナの聖カタリナの象徴として、ユリの花、本、十字架像、心臓、茨の冠、聖痕、指輪、バラの花、骸骨、教会の小模型、教皇庁の紋章を掲げた船の小模型が用いられます。身体に現れる有形の病、火事に対する守護聖人。イタリアでは、流産、看護師、病人の守護聖人となっています。

イエス・キリストから宝石の冠と茨の冠とを差し出され、その場でひざまずいて、茨の冠の方を選んだのでした。幼い頃からイエス・キリストの花嫁になることを決め、親が薦める結婚には見向きもしませんでした。彼女の禁欲の行は有名です。隠遁生活をやめた後は病人や貧しい人達のために働きました。また彼女は囚人たちのために信仰の教えを説き多くの死刑囚が回心しました。彼女は地獄、煉獄、天国などの多くの幻視も受けた聖女です。
「私は十字架に磔にされたキリストによってどんな事でも行えます。なぜなら、キリストはご自分の被造物に対し、彼らが耐えられない重荷は置かれないと知っているからです。」
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◯カタリナの祈り
「永遠の神よ、あなたの光のうちに私たちは光を見ます。
主よ、お願いですから
この光をすべての人々の上に注いでください。
見えない人たちに、
あなたを愛し、あなたを望み、あなたを知るように、
彼らに目を与えてください。
あなたに感謝します。
私に多くの人々を愛するように
広い心を与えてくださったことを心から感謝いたします。
彼らをあなたの光で照らしてください。
主よ、私をあわれんでください。
そしてあなたの味わい深い祝福を注いでください。
アーメン。」
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新約聖書:ヨハネの黙示録・第13章・第15~18節 [聖書]

「第二の獣は、獣の像に息を吹き込んで、獣の像がものを言うことさえできるようにし、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。
また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由人にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。
そして、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようにした。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。
ここに知恵がある。理解ある者は、獣の数字の持つ意味を考えるがよい。数字は人間を指している。そして、その数字は六百六十六である。」
『聖書協会共同訳聖書』から

このブログに4回目の掲載となります。聖書(旧約聖書+新約聖書)をとおして最も難解なのが、この「ヨハネの黙示録」です。はっきり言って信徒でも、何が書いてあるのか?何を言っているのか?まったく分かりません!「注解書」がないと解読できないのに、初めて聖書を読む方は間違いなく理解できません。だから「黙示録」なんだという方もいますが……。でも、聖書を真剣に読み出して7年経って、やっと書かれていることが理解できるようになりました。では、次に「黙示(アポカリプス)」とは何か?について説明をしますね。

黙示とは、初期のユダヤ教及びキリスト教において、“神が選ばれた預言者に与えたとする「秘密の暴露」、またそれを記録したもの”ということになります。黙示を記録した書を「黙示文学」といいます。黙示文学は、天地創造以来、現代を経て終末に至るまでの時代区分の説明、善と悪の対立、現代が悪の支配する時代であるという認識、終末による悪の時代の終焉、死者の復活、最後の審判、天国と地獄などの教義が書かれています。

この黙示文学の1つの書が「ヨハネの黙示録」です。新約聖書が成立したのは3世紀終わりごろですが、当時、「ヨハネの黙示録」の扱いは、キリスト教徒の間でも、その解釈と正典への受け入れをめぐって多くの論議を呼び起こし、大いに揉めたという記録があります。伝統的に『黙示録』の成立は、ローマ皇帝ドミティアヌス帝時代の紀元96年辺りであると考えられてきましたが、中にはネロ帝時代の69年頃と考える聖書学者もいます。

今日は解釈ではなく、最後のところにある「666」の数字についてご説明します。この「666」は、オカルト映画では度々“悪魔の数字”とされており、その代表的な映画「オーメン」は、頭に「666」のアザを持つ悪魔の子ダミアンを巡る物語です。では、なぜ悪魔の数字になのか?!と言いますと、現在の多くの聖書学者や研究者の一致した解釈では、この「666」はローマ帝国第5代皇帝であった「ネロ」のことだとしています。

皇帝ネロは、史実としてキリスト教徒を大迫害、大虐殺したことで悪名を残しています。ローマ市内の大きな競技場に貴族や市民を集め、キリスト教徒がライオンに食い殺されるところを見世物にしたり、木に縛りつけて火炙りにして焼死するところを見世物にしたり、残忍極まりないことをした記録が残っています。まぁ、古代は現代のような理性のない時代だったのです。このことから皇帝ネロ=悪魔・獣=666という図式になるのです。

なぜ666が皇帝ネロなのか?ネロ(Nero Caesar)のギリシア語表記(Νέρων Καίσαρ, Nerōn Kaisar)をヘブライ文字に置き換え(נרון קסר, Nrwn Ksr)、これを数値化し、その和が「666」になるというものです。ヘブライ文字はギリシア文字のように、それぞれの文字が数値を持っており、これによって数記が可能となります。「数字は人間を指している。そして、数字は666である。」は、つまり皇帝ネロということです。

【黙示、黙示録、黙示文学】
紀元前200年頃~200年頃の約400年間にユダヤ・キリスト教文化圏で書かれた一連の宗教的文学ジャンルの総称です。内容は、未来の出来事、特にこの“世の終末”の時のありさまについての秘密の知識を超人間的な手段で知り、これを象徴によって人々に語り、最後まで忠実である人々を神が劇的に救済するという匿名の (ときに高名な預言者の名を借りた) 書物が中心です。宗教的圧迫や政治的苦難を社会的背景として生れ、民衆の間に広がりました。またエッセネ派や原始キリスト教に深い影響を与えました。聖書正典としては旧約の『ダニエル書』,新約の『ヨハネの黙示録』が代表的です。その他聖書、外典を問わずこの文学に属する文書又は断片は少なくありません。これらの文学の解釈をめぐっては,未来を予言するとするもの、荒唐無稽とするものなどさまざまな立場があります。19世紀以来この種の文学が復活し、現代のSFにもこの傾向がみられるようです。
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「大天使聖ミカエル」のTシャツ! [ジーニスト日記]

先日もTシャツのご紹介をしたばかりですが、今日は「大天使聖ミカエル」のTシャツです。背中側の絵柄は、大天使聖ミカエルが竜の化身(サタン)を踏みつけ、槍を突きつけて退治しているところを描いた伝統的な図象です。色は人生久々のイエローです。目立ちますね(⌒-⌒; )
大天使聖ミカエルの詳細は、このブログの2018年10月11日に掲載した「祈りの言葉(大天使聖ミカエルの祈り)」をご覧ください。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2018-10-11
また、大天使聖ミカエルに関係して、このブログの2020年3月1日に掲載した「交響的印象『教会のステンドグラス』のご紹介」に、オットリーノ・レスピーギが1925年に作曲した4楽章からなる管弦楽(オーケストラ)曲「交響的印象『教会のステンドグラス』の第2楽章に「大天使ミカエル」があります。詳しいことは次のアドレスをクリックしてください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2020-03-01
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フランス・パリの聖ミカエル通りにある「大天使聖ミカエル」のご像です。こちらは槍ではなく、剣を持っていますね~同じようにサタンを踏みつけて懲らしめています!
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悪いやつを踏みつけるといえば、奈良市にある東大寺の戒壇院に安置されている「四天王立像」は、四神とも邪鬼(じゃき)を踏みつけています。邪鬼は、人間に祟りをなす鬼のことで、人間に悪さを働いたため、よく仏(仏教)の守護神である四天王や仁王(におう)などに踏みつけられています。左から「広目天(こうもくてん)」、「増長天(ぞうちょうてん)」、「持国天(じこくてん)」、「多聞天(たもんてん)」です。多聞天は「毘沙門天(びしゃもんてん)」とも呼ばれています。皆さん、インドのご出身ですが、中国を経て日本にやってきました。
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下の写真は四天王に踏みつけられている「邪鬼」です。邪鬼は「寺社ガール(じしゃがーる)」に人気だそうですよ!理由は「とってもかわゆ~い[黒ハート]」ということだそうですΣ( ̄ロ ̄lll) 確かに、丸っこくて憎めない顔をしていますね~!なんか、サタンと違ってとっても弱そうなんですけど!寺社ガールとは、お寺や神社の知識に精通し、寺社巡りをしてお寺と神社を愛してやまない女子たちのことです。特徴は「ご朱印帳」をたくさん持っていることです。ご朱印ガールともいいます( ̄▽ ̄;) 最近、奈良や京都を中心にして全国的に増殖しているらしいですよ!(⌒-⌒; )
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【四天王(してんのう)】
仏教の四人の守護神で、東方の「持国天(じこくてん)」、南方の「増長天(ぞうちょうてん)」、西方の「広目天(こうもくてん)」、北方の「多聞天(たもんてん)」のこと。 帝釈天(たいしゃくてん)に仕えて、八部衆を支配しているそうです。 お寺では、甲冑(かっちゅう)をまとった武将の姿で表され、足下に邪鬼(じゃき)を踏まえて本尊を四方から囲んで配されています。奈良市にある東大寺の戒壇院のものが有名ですね。
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教会日記2021.4.7(カトリック成城・聖タデオ教会「復活節第四火曜日のミサ」火曜日) [教会日記]

今日は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会の7時からの復活節第四火曜日のミサに与りました。ここのところ、昼間は20度未満で、朝は一桁代の気温ですから寒いですね。コロナだけでなく、寒暖差がありますから、風邪引きにも注意が必要です。さて、今は復活節で、今日は「復活節第四火曜日」です。これからも福音を告げ知らせ、祈りと善き行いに励みましょう!

ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学3年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人の二人が癒されるようお祈りしました。最後に「主よ、わたしがここにおります。このわたしを遣わしてください。アーメン」とお祈りしました。
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旧約聖書:箴言・第12章・第23節 [聖書]

「賢い人は知識を隠し持つ。愚かな心は無知をさらけ出す。」
『聖書協会共同訳聖書』から

この聖句(聖書の言葉)は、このブログに3回目の登場です。日本の諺にある「能ある鷹は爪を隠す。」+「空き樽の音は高し。」ですね。この言葉にあるように、賢い人のようにならなければと思いつつも、つい余計な発言をしてしまって後悔するのですね。常に私の自戒とするところです。

◯仕事における、できる女と男の鉄則!
1 頼まれたことにはなんでも「YES」と答える。
2 必要以上にでしゃばらない。
3 失敗をしたらすぐに自分の非を認める。
4 人を信頼することが出来る。
5 他の人に尊敬の気持ちを持てる。
6 誰かの役に立ちたいという気持ちがある。
7 知ったかぶりをしない。

どれもこれも大切な言葉ですね。私は2番を除いて1番から7番まですべて大丈夫です。中でも1番と6番は得意ですが、やはり2番は弱点ですね~(汗)。6番をやり過ぎると2番になるのです( ̄▽ ̄;) でも、一番大切なのは「優しさ」と「笑顔」ですね。
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『菜根譚』のことば(第3日目) [今日の言葉(詩・その他)]

「かりに悪事をはたらいても、
人に知られることを恐れているなら、
まだ見所がある。
せっかく善行を積んでも、
早く人に知られたいと願うようでは、
すでに悪の芽を宿している。」


『菜根譚(さいこんたん)』のことについては、「『菜根譚』のことば(第1日目)2021.4.22」をご覧下さい。
悪事はしてはいけないことですが、悪事をしたことを他人に知られないようにビクビクしているのであれば、その人にはまだまだ改善の余地(見どころ)はありますが、多くの善い行いをしても、早く他人に知ってもらって、褒めてもらおうとか認めてもらおうと心の中で願っているようでは、その人はすでに悪事を行う素質があるということです。善き行いをして、褒めてもらおうとか認めてもらおうとか思うのは、典型的な偽善者です。そのような人よりも、まだ悪事を恥じてビクビクしている人の方が救いはありますね。聖書には、次のとおり書いております。

◯新約聖書:マタイによる福音書・第6章・第1〜第6節
「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。
祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」

意味は、「善い行いやお祈りは、人々の前でいかにも私は善い行いをしていますよ!熱心に祈っていますよ!と見せびらかすようであってはいけない。善い行いやお祈りは、誰にも見られずに気づかれずに行いなさい。そうすれば、神様は報いてくださる(善いことがある報い・天の国に迎えてくれるという報い)。そうではない偽善者のような人達は、現世においてすでに報いを受けているため、将来において救いを期待できない、救われないという意味になります。

そこで、「右の手のするところを左の手に知らせない」ですが、右手も左手も身体の左右にあります。これは両手で一対ですね。身体の両側にあっても身近にあるわけです。両手で握ることもできるわけです。でも、知るとか知らないとか、手に意識があるわけではありませんね。ですから、それほど近い両手であっても右手(自分)のすることは、左手(他人)に知られないようにすること。つまりこの表現は譬え(たとえ)話しで、「善い行いもお祈りも他人に知ってもらおうと思わないこと。他人に知られないように行いなさい。人に知られないことを秘めた喜びとしなさい。」ということですね。
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「子羊と聖母子」のTシャツ! [ジーニスト日記]

今年もTシャツの季節がやってきました!まだ早いか?(⌒-⌒; ) オリーブ色のTシャツの左側に「子羊と聖母子」の絵柄(聖母マリア様が、赤ちゃんのイエス・キリストと子羊を抱いている伝統的な図象)で、右側にスペイン語で『ルカによる福音書』から第1章・第28節が書かれています?!………最後のところに「Luke 1:28」とありますから
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「bendita
tu
eres
entre
todas
las
mujeres
Luke 1:28」
このスペイン語が、ルカによる福音書の第1章・第28節なら、『原文校訂による口語訳フランシスコ会訳注聖書』では、「喜びなさい、恵まれた方よ。主はあなたとともにおられます。」となります。しかし、翻訳ソフトの訳は「あなたは、女のうちで、祝福されています。」となります。まったく違いますね〜(⌒-⌒; ) 単語の意味(日本語)は、bendita 祝福された、tu あなたは、eres です、entre 間で、todas すべて、las(直接目的語代名詞)、mujeres 女です。これは、『アヴェ・マリアの祈り』の祈祷文の一節で、日本語祈祷文では「あなたは、女のうちで祝福され」ですね。

では、次に『アヴェ・マリアの祈り』の祈祷文全文を掲載いたします。
「アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、
主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、
ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、
わたしたち罪びとのために、
今も、死を迎える時も、お祈りください。
アーメン。」
この祈祷文を見ると、Tシャツに書かれているスペイン語は、『アヴェ・マリアの祈り』の祈祷文の3行目であることが分かりますね。では、『ルカによる福音書』の第1章・第28節の方はどうかというと、祈祷文の1行目と2行目であることが分かります………ということは、Tシャツにある「Luke 1:28」は間違いとうことですかね?( ̄◇ ̄;) これは、第1章・第28節は、有名な「受胎告知」の場面を描いています。神様から遣わされた大天使聖ガブリエルが、ナザレにいるやがて聖母となるマリア様のところに降り、聖なる子(イエス・キリスト)を胎に宿すと告知される場面のことですね。新約聖書にある4つの福音書のなかで、この場面を描いているのは『ルカによる福音書』だけです。『アヴェ・マリアの祈り』は、この場面を祈祷文にしていますから、Tシャツのスペイン語と第1章・第28節の訳が違っても、ほぼ同じことを意味していると解釈できますから、まったくの間違いではありませんね(^∇^)

◯ 新約聖書:ルカによる福音書・第1章・第26~第38節
「六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアと言った。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉にひどく戸惑って、これは一体何の挨拶かと考え込んだ。
すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産む、その子をイエスと名付けなさい。 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と呼ばれる。神である主が、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」
天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを覆う。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、老年ながら男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」
マリアは言った。「わたしは主の仕え女(つかえめ)です。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。」
『聖書協会共同訳聖書』から
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