「灰の水曜日」のお話し(教会日記2021.2.17(カトリック成城・聖タデオ教会「灰の水曜日」水曜日) [キリスト教関係事項・用語等]

今日は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会の7時からの「灰の式」に与ってきました。今日2月17日(水)は、「灰の水曜日(はいのすいようび)」です。カトリック成城教会では、10時から「灰の水曜日のミサ」があり、朝の7時と夜の19時に簡単な「灰の式(ミサ、聖体拝領なし)」を行うことになっていましたので、私は今朝7時の「灰の式」い与ったしだいです………ということで、今年もこのブログに「灰の水曜日のお話し」を掲載いたします。

キリスト教カトリック教会では、今日から「四旬節(しじゅんせつ)」が始まりました。イエス・キリストの復活をお祝いする「復活祭(復活の主日:今年は4月4日)」の46日前の今日が初日で、復活祭の1週間前の「聖週間」までの準備期間を四旬節といいます。この四旬節の期間は非常に大切で、カトリック教会では次の3つの行いを信仰規範として大切にしています。
①愛徳の善き行いをすること。
②祈りに専心すること。
③断食をすること。
【復活祭】
イエス・キリストが磔刑(たっけい)されてお亡くなり、3日後に復活されたことを記念するものです。これを「復活祭 = イースター」といいます。
【磔刑】
公開処刑の死刑で、十字架に磔(はりつけ)になって処刑される刑罰。

四旬節の初日である今日は、「灰の水曜日(はいのすいようび)」と言います。これは、神父様がミサのなかで、灰(シュロの枝を燃やし灰にして聖水で溶いたもの)を信徒の額に十字の印をつける(又は灰を頭に振りかける)儀式です(写真)。この意味は、次の3つに集約されます。
①「灰は、最終的に塵と終わる人間の儚さを思い起こさせるため。」という意味があること。
②灰は、古くから石鹸の代用として洗浄に使われてきたことから、「人の罪が贖われ、新たな力がもたらされる。」という意味があること。
③イエス・キリストが、エルサレム入城に際して、人々が歓喜してシュロの枝を通り道に敷いてお迎えした(新約聖書:マタイによる福音書・第21章・第8~9節)という、その歓喜のシュロの枝を燃やすことで、歓喜は消えてしまいますが、しかし、シュロの枝の灰によって死が再生につながり、復活(復活祭)の意味を先取りするという意味があること。
以上です。

灰に聖水をかけて(灰と溶かして)祝福する用具と灰です。
IMG_5476.JPG
灰を頭にふりかけたり、写真のように親指に灰をつけて信徒の額に十字を画いたりします。この二通りがありますが、今年は新型コロナウイルス感染症のことがありますので、頭にふりかける方法となりました。いずれにしても、司祭は「回心して、福音を信じなさい。」と言いながら灰をつけたり、ふりかけたりします。
灰の水曜日.jpg
そして、断食(だんじき)が始まります!
断食とは、宗教上の目的で、祈願、抗議、修業、苦行として、一定の期間、一定の飲食をしないことです。どの宗教にも見られる行為で、ユダヤ教では、施し、祈り、断食は3つの大きな宗教行為でした。キリスト教カトリック教会では、これを「大斎(だいさい)」・「小斎(しょうさい)」と言います。現代の断食は、まったく食べないということはありません。
ちなみに、今日の私の朝食はバナナ、ミカン、野菜ジュースでした………いつものことですが、このまま続ければダイエットになるのですが………これが続かないんですよ~(⌒-⌒; )
【大斎】
食事の量を節制すること、つまり、1日の食事中、1食だけ充分に食事をすることができます。朝食はごく少量、他の1食は普通の半分にします。満60歳に達するまでのすべての成人が対象となります。ただし、病人や妊娠中の人は、もちろん免除されていますのでご安心ください。
【小斎】
鳥獣の肉を食べないことです。大斎は食物の量を節制するのに対し、小斎は、食物の質や美食に対する節制なのです。焼肉、シャブシャブ、ステーキ、すき焼きなど論外ですぞ!(⌒-⌒; )

イエス・キリストは、断食をするにあたり、内的な行為を大切にするようにと教えておられます。
◯新約聖書:マタイによる福音書・第6章・第16~第18節
「断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」 ※「父」とは、イエス・キリストの父である神様のことです。

教会の長い歴史の中で、断食はイエス・キリストの受難にあずかる行為として大切にされていましたが、同時に行為だけが優先し、断食することが目的化してしまった時代もありました。現在、教会はイエス・キリストの精神に戻り、祈りと愛の業との関連で断食を意義づけています。具体的には、カトリック教会では、「大斎」と「小斎」を定め、償いと克己(こっき:自分の感情・欲望・邪念などにうちかつこと。)を行わせ、イエス・キリストの受難に倣うようにしています。

大斎も小斎も各自の判断にまかされています。とくに愛徳のわざ、信心業、節制のわざを実行することをもって替えることができ、14歳以上の人が守ります。大斎の日は灰の水曜日と聖金曜日。小斎の日は毎金曜日ですが、その日が祭日に当たるときには小斎とはなりません。この期間に、好きなタバコやお酒を断つなどをしている人は多いですね………そのまま禁煙に結びついた人もいますが、禁酒した人は聞いたことがありませんね( ̄▽ ̄;)

ちなみに、「灰の水曜日」の前、つまり四旬節の始まる直前に、世界各地で「謝肉祭(カーニバル)」というお祭りが行われていますが、古代・中世のキリスト教者(クリスチャン)達は、四旬節に肉食を断っていたので、その前に肉のごちそうを食べて大いに騒いでいたそうです。その習慣が今も続いているのですが、現在では宗教的な意味合いは薄れ、日本のクリスマスのように商業的になっていますね。キリスト教会とは直接関係ありません。
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。