今日の日記2019.9.14(フランシスコ教皇訪日日程決定!) [日記]

昨日、フランシスコ教皇訪日日程が発表されました。政府は、13日(金)午後の定例記者会見で、菅内閣官房長官が、次のとおりフランシスコ教皇の訪日について発表されました。
◯発表内容
〈ローマ法王フランシスコ台下の訪日について〉
「11月23日(土)から26日(火)まで、ローマ法王・フランシスコ台下は、安倍総理および日本カトリック司教協議会の招請により訪日し、東京、長崎、広島を訪問する予定です。法王の訪日中、天皇陛下は法王と御会見をされ、また、安倍総理は法王と会談する予定です。ローマ法王の訪日は、1981年のヨハネ・パウロ2世の訪日以来、2回目となります。今回の訪日は、2014年に安倍総理がバチカンを訪問し、法王に謁見したことを踏まえたものです。今回の法王の訪日が、日本とバチカンの間の二国間関係を一層強化する契機となること、ここを期待をいたしております。」

広島市と長崎市もご訪問されますが、東京では、11月25日(月)、15時30分〜17時45分の時間、東京ドームにおいてフランシスコ教皇司式によるミサが行われます。9月20日の午前11時から、Web上で応募受付開始となります。次のアドレスから応募できます。https://popeinjapan2019.jp/entry/ 絶対に行きたい!です。イタリア・ローマにあるバチカン市国に行かないとお目にかかれませんから、一眼でもお目にかかりたいです。それにフランシスコ教皇自ら司式するミサに与りたいですね。

ところで、皆さんは「ローマ教皇(きょうこう)」と「ローマ法王(ほうおう)」のどちらが正しい呼称であり表記だと思いますか?日本政府の見解もそうですが、日本では新聞各社、テレビ各局のニュースや雑誌などでも「ローマ法王」と呼んだり書いたりしていますね。でも、日本のキリスト教カトリック教会では、「ローマ教皇」と呼んだり書いたりしています。キリスト教カトリック教会のトップであるという意味では同じなのですが、さてさて、どちらが正しい呼称・表記なのでしょうか?

カトリック教会では「ローマ教皇」です。信徒も教皇と呼びます。以前は確かに、日本のカトリック教会の中でも混用されていましたが、日本のカトリック教会の司教団は、1981年2月のヨハネ・パウロ2世の来日を機会に、「ローマ教皇」に統一することが決定しました。「教える」という字のほうが、教皇の職務をよく表わすからということだそうです。その時以来、たびたび国内のマスコミ各社に「ローマ教皇という名称を使ってください」とお願いしていますが、残念ながら実現していません。

また、東京都千代田区三番町にある駐日バチカン大使館は「ローマ法王庁大使館」といいます。なぜでしょうか?これは、日本とバチカン(ローマ法王庁、つまりローマ教皇庁)が外交関係を樹立した当時の定訳は「法王」だったため、ローマ教皇庁がその名称で日本政府に申請。そのまま「法王庁大使館」になりました。日本政府に登録した国名は、実際に政変が起きて国名が変わるなどしない限り、変更できないのだそうです。こういう理由で今でも「法王」と「教皇」が混用されているのですね。

ちなみに、今回の訪日で、天皇陛下はフランシスコ教皇とご会見されます。キリスト教カトリック教会といういわば宗教宗派のトップとお会いするのは、普通ではあり得ないと思うのですが、フランシスコ教皇は、「バチカン市国」という立派な国の国家元首でもありますから、天皇陛下はご会見されるのです。国は小さくても、世界に13億人の信徒を擁するカトリック教会のトップである教皇は、軍事力もなく、経済制裁にも参加できないにもかかわらず、その世界に及ぼす影響力の大きさは絶大です!

【台下(だいか)】
政府の定例記者会見にありましたが、「台下」とは身分の高い人を敬っていう語のことです。
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教会日記2019.9.14(カトリック田園調布教会「平日のミサ」土曜日) [教会日記]

今日は、カトリック田園調布教会の7時からの平日のミサに与りました。田園調布教会での土曜日の早朝ミサは、8月17日(土)、24日(土)、31日(土)、9月7日(土)と今日で5週連続となります。田園調布教会は、ミサの前に「聖務日課」のお祈りを行っており、一緒にお祈りさせていただいて大変勉強になっています………が、今日のような記念日ですと、途中でどこをお祈りしているのか?分からなくなります。まだまだ慣れないですね。今後も毎週土曜日はお伺いして、聖務日課のお祈りの勉強をさせていただきたいと思っています。田園調布教会に感謝、感謝です。

ミサでは、「十字架称賛」の記念日をお祝いし、十字架を称え感謝してお祈りを捧げました。そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんの病が完治しますようにと心を込めてお祈りしました。
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「十字架称賛」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日9月14日は、十字架称賛(じゅうじかしょうさん)の祝日です。このブログの2018年9月14日に掲載した記事をそのまま掲載いたします。
人々の救いと勝利の希望であるイエス様の十字架を思い起こす祝日です。十字架の崇敬は、335年にイエス様のお墓の上に立てられた復活聖堂の献堂の祝典に関連して定められたと言われています。エルサレムでは、すでに5世紀から復活聖堂の献堂を記念する9月13日の翌日に、キリストの十字架を礼拝する習慣がありました。これは次第に東方教会全体に広まっていきましたが、西方教会(ローマ典礼)にこの習慣が取り入れられたのは 7世紀になってからです。
キリスト画像.jpg
十字架上で、イエス様は多くの人々の罪のあがないのために、ご自身を生け贄(いけにえ)として捧げられました。ですから、イエス様の十字架は、私たちにとって新しい命への出発点ともなったのです。この十字架は、「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です」(新約聖書:コリントの信徒への手紙第二・第1章・第18節)と書かれています。

祈り
「聖なる父よ、
あなたは人類の救いのために、
御ひとり子が十字架をになうようにお定めになりました。
十字架の神秘を信じるわたしたちが、
永遠にその勝利にあずかることができますように。
アーメン」
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新約聖書:マルコによる福音書・第1章・第40〜第45節 [聖書]

「さて、一人の重い皮膚病を患っている人が、イエスのもとに来てひざまずき、こう願った。「お望みなら、わたしを清くすることがおできになります」。イエスは憐れに思い、手を差し伸べて、その人に触り、「わたしは望む、清くなれ」と仰せになった。すると、たちまち、重い皮膚病は治り、その人は清くなった。イエスはその人をきびしく戒め、すぐに立ち去らせたが、その時、こう仰せになった。「誰にも話さないように注意しなさい。ただ祭司のもとに行って、体を見せ、あなたが清められたことを人々に証しするために、モーセが命じた物をささげなさい」。しかし、その人は立ち去ると、盛んにこの出来事を語り、言いふらし始めた。それで、イエスはもう公然と町にお入りにならず、人里離れた所に留まれだが、至る所から、人々はイエスのところにやって来た。」

このブログの2019年2月23日に掲載した記事を大幅に加筆・修正して掲載いたします。約半年前に掲載したばかりですが、先月のミサで朗読され、神父様の説教を印象深く聴きましたので、再度掲載したしだいです。この聖句は、新約聖書にある有名な箇所で、イエス・キリストが、宣教のためにガリラヤ地方の町々を巡っておられた時のお話しとなっております。
「重い皮膚病」とは、「ハンセン病」のことを指しています。ライ菌によって起こる感染症のことですが、現代医学では完治する病気です。当時は罪深い者、神様から呪われた者、宗教的に穢れた者とされていましたので、神様の在所である神殿などに近づくことが禁じられていたばかりでなく、村八分となって人里離れたところに住まなければなりませんでした。
そして、首から鈴をさげて、“チリンチリン”と鳴らし、人の気配がすれば「穢れた者です。近寄らないでください。」と叫ばなければなりませんでした。それは、重い皮膚病者に触れた人は穢れた人として村八分にされるからです。そうした悲惨な境遇に置かれていた重い皮膚病者が、救いを求めて密かにイエス・キリストのところにやってきました。そしてイエス・キリストの前にひざまずいて言いました、「お望みなら、わたしを清くすることがおできになります。」と。
この、重い皮膚病者の純粋で素直な信仰心と必死の祈り(願い)が、イエス・キリストの心を打ったのです。当時「触れれば穢れるから絶対に触れるな」という律法の戒めを破り、この男のからだに触れて「わたしは望む、潔くなれ。」と命ずると、不治の病である重い皮膚病が一瞬のうちに癒されました。私もこの重い皮膚病者のような信仰心でありたいものです。

クリスチャン詩人である八木重吉は、この聖句を詩にしています。
『奇蹟』
「らい病の男が
キリストのところへ来ておがんでいる
旦那(だんな)
おめえ様が癒してやってくれべいとせえ思やあ
わしの病気やすぐ癒りまさあ
旦那 なおしておくんなせい
拝むから旦那 
癒してやっておくんなせい
キリストは悲しいお顔をなさった
そしてその男のからだにさわって
よし さあ潔くなれ
とお言いになると
見てるまにらい病が癒った」

【八木重吉(やぎ じゅうきち)】
私が尊敬するクリスチャン詩人です。
八木重吉2.jpg
八木重吉(1898年~1927年)は、詩人、英語科教師でプロテスタント教会のクリスチャンです。生前に刊行した詩集は1冊のみで、昭和初期に若くして亡くなりましたが、第二次世界大戦(太平洋戦争)後にクリスチャン詩人としての評価が高まりました。当時は不治の病であった結核を28才で発病し、翌年29才の若さで早世しています。祈りの詩人、信仰の詩人ともいわれ、短い生涯でしたが数多くの詩を残しています。皆さんは、きっと小学生か中学生の時に、国語の教科書で八木重吉氏の詩と出会ってますね。
生家と家族のお墓は、私の自宅のある東京都町田市相原町にあり、現在の生家は「八木重吉記念館」として一般の皆さんに開館しており、貴重な資料を展示しています。八木重吉の詩は短い詩が多く、単純な分かりやすい言葉で純粋な抒情詩になっているのですが、どの詩も侘びしさがあり、そこに人間の儚い美しさがあると思うのです。読む人の胸に、何かキューと締め付けるような、何とも言えない儚さがあり、キリスト教の信仰による詩も数多くあります。詩集「秋の瞳」や「貧しき信徒」などが有名ですね。
『八木重吉全詩集1秋の瞳・詩稿1・2』
『八木重吉全詩集2貧しき信徒・詩稿3』
(株)筑摩書房:ちくま文庫(文庫版)・1988年第1刷発行
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◯「八木重吉記念館」
住所は、東京都町田市相原町4473番地です。詳細は、ホームページ:https://www.jukichi-yagi.org/
をご覧ください。
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